桃山文化の時の人々の生活について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 04:21      
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桃山文化の時の人々の生活について考えてみます

 

 

・桃山文化の時の人々の生活について

 

 

 ・桃山文化は、町衆が支えた一面があると言われている

 

 

 

 ・桃山文化の時の茶道について

 

  ・堺の千利休という人が、侘茶というものを作り、茶道を完成させた

 

  ・茶道は、豊臣秀吉やその他の様々な大名によって保護されたため、大いに流行した

   →そのため、茶道の影響を受け、花道や香道、茶室、庭園なども発達していった

  

    ※豊臣秀吉は、1587年に京都の北野で、北野大茶湯という茶会を開いた

     →この時に、今井宗久や津田宗及などの茶人に加えて、

      身分や貧富に関係なく人々が参加出来た

 

    ※豊臣秀吉に影響されて、大名も茶会を行うようになった

     →それによって、武将の織田有楽斎や小堀遠州と呼ばれる人達も茶人になった

 

  

 

 ・桃山文化の時の娯楽について

 

  ・出雲阿国という人が行ったかぶき踊りというものが、人々に受け入れられていった

   =このかぶき踊りを、阿国歌舞伎と言う

    →阿国歌舞伎をベースにして、女歌舞伎というものが生まれた

 

   ※女の歌舞伎は江戸時代に禁止され、その後少年が演じる若衆歌舞伎が

    流行ったものの禁止された

    →そのため、17世紀の半ばからは、男性で成人だけの野郎歌舞伎になってしまった

 

 

  ・人形浄瑠璃が流行した

   ※人形浄瑠璃・・三味線の浄瑠璃(語り物の一つ)に合わせて、

           操り人形を動かす古典芸能の一つのこと

 

  ・隆達節が流行した

   ※隆達節・・堺の商人だった高三隆達という人が小歌に節をつけたもの

 

 

 

 ・桃山時代の衣食住について

 

  ・基本的には、小袖と呼ばれる服を着ていた

   ※男性は袴や肩衣をつけることもあったが、女性はそのまま小袖を着ているのが

    普通になった

 

  ・男女ともに髪を結ぶようになった

 

  ・食事が2回から3回になった

   →食事の時に、公家や武士はお米を中心に食べたが、庶民は雑穀を中心に食べていた

  

  ・農村では、萱葺屋根の平屋が一般的になった

 

  ・都市では、二階建ての家の人や瓦屋根の人が出てきた

 

 

 

ポイント
・桃山文化の人々の生活(茶道、娯楽、衣食住など)を押さえる

このあたりが今回のポイントです



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