桃山文化の時の人々の生活について
桃山文化の時の人々の生活について考えてみます
・桃山文化の時の人々の生活について
・桃山文化は、町衆が支えた一面があると言われている
・桃山文化の時の茶道について
・堺の千利休という人が、侘茶というものを作り、茶道を完成させた
・茶道は、豊臣秀吉やその他の様々な大名によって保護されたため、大いに流行した
→そのため、茶道の影響を受け、花道や香道、茶室、庭園なども発達していった
※豊臣秀吉は、1587年に京都の北野で、北野大茶湯という茶会を開いた
→この時に、今井宗久や津田宗及などの茶人に加えて、
身分や貧富に関係なく人々が参加出来た
※豊臣秀吉に影響されて、大名も茶会を行うようになった
→それによって、武将の織田有楽斎や小堀遠州と呼ばれる人達も茶人になった
・桃山文化の時の娯楽について
・出雲阿国という人が行ったかぶき踊りというものが、人々に受け入れられていった
=このかぶき踊りを、阿国歌舞伎と言う
→阿国歌舞伎をベースにして、女歌舞伎というものが生まれた
※女の歌舞伎は江戸時代に禁止され、その後少年が演じる若衆歌舞伎が
流行ったものの禁止された
→そのため、17世紀の半ばからは、男性で成人だけの野郎歌舞伎になってしまった
・人形浄瑠璃が流行した
※人形浄瑠璃・・三味線の浄瑠璃(語り物の一つ)に合わせて、
操り人形を動かす古典芸能の一つのこと
・隆達節が流行した
※隆達節・・堺の商人だった高三隆達という人が小歌に節をつけたもの
・桃山時代の衣食住について
・基本的には、小袖と呼ばれる服を着ていた
※男性は袴や肩衣をつけることもあったが、女性はそのまま小袖を着ているのが
普通になった
・男女ともに髪を結ぶようになった
・食事が2回から3回になった
→食事の時に、公家や武士はお米を中心に食べたが、庶民は雑穀を中心に食べていた
・農村では、萱葺屋根の平屋が一般的になった
・都市では、二階建ての家の人や瓦屋根の人が出てきた
ポイント
・桃山文化の人々の生活(茶道、娯楽、衣食住など)を押さえる
このあたりが今回のポイントです
コメント
民衆はどのやうな生活をしていた?