桃山文化について -概要と美術-
桃山文化について考えてみます
・桃山文化について
※前提として、織田信長と豊臣秀吉が活躍した時代を、2人が建てた城の地名を使って
安土・桃山時代と呼ぶ
→そのため、当時の文化を桃山文化と呼ぶようになった
※豊臣秀吉は、年を取ってからは伏見城という城を建てて、そこに住んでいたが、
その城跡に後で桃が植えられたため、「桃山」という言葉が出てきた
・桃山文化の特徴
→・戦国で荒れていた世の中を鎮めて、織田信長や豊臣秀吉が、
富と権力を自分の所に集中させた時に出てきた文化だった
=そのため、今までにない新しい時代の感覚が反映された、
新鮮味のある豪華で壮大な文化だったと言われている
・桃山文化には、力のある大名や豪商の性格と経済力が反映されていると言われている
・寺院の勢力を、織田信長と豊臣秀吉が弱めたことがあって、仏教の色が薄くなった
→そのため、現実的で力のある絵や彫刻が作られた
・この時代にポルトガル人が来たことで、西洋の文化にも触れるようになった
=以上のことから、安土桃山時代の桃山文化は、非常に多彩なものだった
と言われている
・桃山時代の芸術について
・桃山時代の城郭建築について
・桃山文化の特徴の一つに城郭建築がある
・桃山文化の時は、平地などに城を建てることが多かった
※中世は、戦いの時の防御を考えればよかったので、山に城を建てる山城が多かったが
桃山文化では、領国を支配するという事も考えて、
小高い丘や平地に城を建てる平山城や平城が多かった
・天守閣を持つ本丸を作った
・石垣が作られた
・いくつかの郭(土や石などの囲い)を作った
・城には書院造が用いられた
・城の内部の襖、屏風、壁には、濃絵を用いた、豪華な障壁画が描かれた
※濃絵・・金箔の下地に、青や緑で色をつける絵のこと
・欄間という場所には、透し彫の彫刻を用いていた
・風俗画が描かれていた
※風俗画・・庶民の生活を題材にした画のこと
・桃山時代の障壁画について
・桃山時代の障壁画では、狩野派が中心になった
・狩野永徳という人が、水墨画と大和絵を織り交ぜた新しい装飾画を作った
※狩野永徳は、門下生だった狩野山楽という人と一緒に、
大量の障壁画を描いたと言われている
・海北友松や長谷川等伯などと呼ばれる人は、濃彩の作品、水墨画などで
優れた作品を作った
・桃山時代の彫刻について
・仏像の彫刻が減り、欄間彫刻という彫刻が盛んになった
・彫刻の中には、蒔絵を加えられているものもある
→装飾性の強い作品が多かったと言われている
・桃山文化のその他の芸術について
・朝鮮侵略の時に、朝鮮から木製の活字印刷術が伝えられた
→これによって、後陽成天皇の命令で、活字印刷術を使った数種類の書物が出された
=これを、慶長勅版と言う
ポイント
・桃山文化の概要と特徴を押さえる
・桃山時代の城郭建築、障壁画、彫刻、活字印刷術などを押さえる
このあたりが今回のポイントです