江戸時代中期の鉱業と農業について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 18:00      
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江戸時代中期の鉱業と農業について考えてみます

 

 

・当時の鉱業について

 

 

 ・徳川幕府は、鉱山の開発を直接行った

  →その時に、採掘、精錬、排水などの技術が進歩した

   =そのため、日本が17世紀の初めに、世界の中でも有数の金と銀の産出国になった

 

 

 ・鉱山の開発で得た技術は、治水や溜池用水路を作る技術にも使われた

  ※鉱山での技術が使われた例として、芦ノ湖を水源とする箱根用水や、

   利根川から分けられる見沼代用水などがある

   

   →鉱山での技術が治水や溜池用水路を作る技術に使われた結果、河川敷や海岸部などで、

    大規模な耕地を作ることが出来た

    =そのため、幕府が新田開発を積極的に行い、全国で耕地が大量に増えた

 

    ※新田開発を行うパターンとして、干潟から水を抜いて陸地にするパターンと、

     湖沼から水を抜いて陸地にするパターンがある

     =干潟から作られた新田開発の例として、備前児島湾や有明海などがあり、

      湖沼から作られた新田開発の例として、下総椿海のものがある

 

    ※当時、田畑の面積は164万町歩から、297万町歩にまで増えた

  

 

 ・17世紀の末に、有力な都市の商人が資金をつぎ込んで、耕作地を開発した

  =このようして開発した田を、町人請負新田という

 

 

 

 

 

・農業技術について

 

 

 ・当時の農業は、小規模な直径家族での農業を基本にして、

  小さい土地に人を集めてつぎ込む小経営で行われた

  ※逆に、牛や馬、大きな農具などを大規模な土地に利用する農業は、発達しなかった

 

 

 ・農具で様々なものが作られた

  

   →農具の例

    ・深く耕すための道具-備中鍬

    ・脱穀するための道具-千歯扱

    ・選別するための道具-唐箕や千石通し

    ・灌漑するための道具-踏車      など

 

 

 ・肥料は基本的に刈敷だったが、都市の周辺部では下肥が使われていた

  ※綿などの商品作物の生産が発達した地域では、油粕、〆粕、干鰯などが

   金肥として普及した

   ・金肥・・お金を払って買う肥料のこと

 

 

 ・新しい栽培の技術や農業の知識を説明する本が多く書かれ、たくさんの人に読まれた

  =このように、農業に関して書かれた本を農書という

   

   ※農書にはどのようなものがあるのか

    ・17世紀の中ごろまでに「清良記」という本が作られた

    ・17世紀末に、宮崎安貞という人が「農業全書」という本を書いた

    ・19世紀に、大蔵永常という人が「農具便利論」や「広益国産考」という本を書いた

 

 

 ・農業の生産の中心だったのはお米だった

  →しかし、お米の多くは年貢として徴収されてしまっていた

   =そのため、農民たちは自給自足で貧しい生活を強制的にさせられた

 

  →一方で、農業の生産力が高まったため、余ったお米を商品として売ったり、

   桑、油菜、野菜、タバコ、果物などを自分達が食べるのではなく、

   商品作物として生産して販売されたりした

   =このようにすることで、農民が貨幣を得る機会が増えた

 

   ※上のような取引は、城下町や在郷町の市場で行われた

    →この市場に、周りの村が巻き込まれていくようになった

     =このような状況で、それぞれの環境に適した特産物が全国で出てきた

 

    ・特産物の例

     ・出羽村山(最上)地方の紅花

     ・越前の奉書紙

     ・甲斐のブドウ

     ・紀伊のみかん

     ・備後の藺草

     ・薩摩(琉球)の黒糖 など

 

 

   

ポイント

・当時の鉱業を押さえる

・当時の農業を押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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