江戸時代中期の鉱業と農業について
江戸時代中期の鉱業と農業について考えてみます
・当時の鉱業について
・徳川幕府は、鉱山の開発を直接行った
→その時に、採掘、精錬、排水などの技術が進歩した
=そのため、日本が17世紀の初めに、世界の中でも有数の金と銀の産出国になった
・鉱山の開発で得た技術は、治水や溜池用水路を作る技術にも使われた
※鉱山での技術が使われた例として、芦ノ湖を水源とする箱根用水や、
利根川から分けられる見沼代用水などがある
→鉱山での技術が治水や溜池用水路を作る技術に使われた結果、河川敷や海岸部などで、
大規模な耕地を作ることが出来た
=そのため、幕府が新田開発を積極的に行い、全国で耕地が大量に増えた
※新田開発を行うパターンとして、干潟から水を抜いて陸地にするパターンと、
湖沼から水を抜いて陸地にするパターンがある
=干潟から作られた新田開発の例として、備前児島湾や有明海などがあり、
湖沼から作られた新田開発の例として、下総椿海のものがある
※当時、田畑の面積は164万町歩から、297万町歩にまで増えた
・17世紀の末に、有力な都市の商人が資金をつぎ込んで、耕作地を開発した
=このようして開発した田を、町人請負新田という
・農業技術について
・当時の農業は、小規模な直径家族での農業を基本にして、
小さい土地に人を集めてつぎ込む小経営で行われた
※逆に、牛や馬、大きな農具などを大規模な土地に利用する農業は、発達しなかった
・農具で様々なものが作られた
→農具の例
・深く耕すための道具-備中鍬
・脱穀するための道具-千歯扱
・選別するための道具-唐箕や千石通し
・灌漑するための道具-踏車 など
・肥料は基本的に刈敷だったが、都市の周辺部では下肥が使われていた
※綿などの商品作物の生産が発達した地域では、油粕、〆粕、干鰯などが
金肥として普及した
・金肥・・お金を払って買う肥料のこと
・新しい栽培の技術や農業の知識を説明する本が多く書かれ、たくさんの人に読まれた
=このように、農業に関して書かれた本を農書という
※農書にはどのようなものがあるのか
・17世紀の中ごろまでに「清良記」という本が作られた
・17世紀末に、宮崎安貞という人が「農業全書」という本を書いた
・19世紀に、大蔵永常という人が「農具便利論」や「広益国産考」という本を書いた
・農業の生産の中心だったのはお米だった
→しかし、お米の多くは年貢として徴収されてしまっていた
=そのため、農民たちは自給自足で貧しい生活を強制的にさせられた
→一方で、農業の生産力が高まったため、余ったお米を商品として売ったり、
桑、油菜、野菜、タバコ、果物などを自分達が食べるのではなく、
商品作物として生産して販売されたりした
=このようにすることで、農民が貨幣を得る機会が増えた
※上のような取引は、城下町や在郷町の市場で行われた
→この市場に、周りの村が巻き込まれていくようになった
=このような状況で、それぞれの環境に適した特産物が全国で出てきた
・特産物の例
・出羽村山(最上)地方の紅花
・越前の奉書紙
・甲斐のブドウ
・紀伊のみかん
・備後の藺草
・薩摩(琉球)の黒糖 など
ポイント
・当時の鉱業を押さえる
・当時の農業を押さえる
このあたりが今回のポイントです