江戸時代の商業と貨幣と金融について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 18:42      
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江戸時代の商業と貨幣と金融について考えてみます

 

 

・当時の商業について

 

 

 ・当時の商業では、近世の初期に、京都、堺、長崎、博多などを拠点とした

  力のあった商人が活躍した

  →この時期の商人は、朱印船貿易を行ったり、交通が整っていない状況での

   地域による商品の価格差を使って、自分の船や蔵で大量の資金を得たりすることで

   巨大な富を作っていた

   =このようにして稼いでいた人達を、初期豪商という

    ※初期豪商で代表的な人に、京都の角倉了以や茶屋四郎次郎、

     摂津平野の末吉孫左衛門、堺の今井宗薫などが有名

 

    ※ただし、鎖国政策によって海外との貿易が制限されたこと、

     日本の陸上と海上の交通が発達したことによって

     初期豪商は急激に力を失っていった

 

 

 

 ・17世紀の後半に、三都や城下町で問屋が商業と流通をコントロールするようになった

  ※問屋・・各地からの商品の受託(頼まれて商品を預かること)と

       仕入れを独占する業者のこと

 

  →問屋は業種ごとに仲間や組合という同業者の団体を作って、

   仲間掟という独自の法を決めることで、営業権を独占しようとした

 

   ※江戸と大阪では、江戸と大阪の間の荷物の運送の安全と流通の独占を目指して、

    問屋仲間が集まって組織を作った

    =この組織を、江戸では十組問屋、大阪では二十四問屋という

 

   ※問屋の支配のもとで、仲買という業者が出てきた

    ・仲買・・他の場所の商人や小売商人への卸売りを独占した業者のこと

 

 

 

 ・徳川幕府は、最初は仲間を認めていなかった

  →しかし、18世紀以降に商品の流通の支配と物価の政策のために、

   運上や冥加という営業税を負担することで仲間を認め、

   営業の独占を認めるようになっていった

   =この時の営業の独占権を株、株を持つ仲間を株仲間という

 

 

 

 ・小売商人という人が出てきた

  →小売商人は、店を持たないで販売したため、振売や棒手振などと呼ばれた

   ※小売商人・・問屋や仲買に従う形で、消費者に様々な商品を販売する業者のこと

    振売・・商品を担いで、物の名前を言いながら売り歩く人のこと

    棒手振・・魚や野菜を、てんびん棒でかついで売り歩く人のこと

 

  →小売商人としての仕事は、都市や都市の近くの人々にとって重要な仕事の一つだった

 

 

 

 

 

・貨幣と金融について

 

 

 ・江戸時代の初めは、同じ基準の金と銀の貨幣が全国で使われた

  →この貨幣は、徳川家康が1600年ころから、金座と銀座で作らせた

   慶長金銀だったと言われている

   

  ※金座と銀座について

 

   ・金座について

    →・金座とは・・金貨を作るための施設のこと

     ・金座は、江戸と京都に設置された

     ・後藤庄三郎という人がトップに立ち、小判や一分金などと呼ばれる

      計数貨幣という金貨を作った

  

   ・銀座について

    →・銀座とは・・銀貨を作るための施設のこと

     ・銀座は、伏見と駿府に置かれ、その後江戸と京都に移された

     ・丁銀や豆板銀などと呼ばれる秤量貨幣という銀貨を作った

 

    →金座と銀座は、最終的に江戸に統一された

 

 

 

 ・近世の初めは、銭貨という貨幣が出回っていた

  →銭貨は、中国銭だった永楽銭という銭貨がまだ大量に出回っていた

   =その時は、永楽銭1貫文=金1両という交換比率にすることで、

    貨幣による混乱を防いでいた

 

 

 ・寛永期に、江戸と近江坂本に銭座という銭貨を作るための施設を作った

  =その時に、寛永通宝という銭貨を大量に作り、銭貨を普及させた

 

  →結果的に、三貨(金、銀、銭)が全国に普及し、三貨が商品の流通の発展を

   支えたと言われている

 

   ※当時の金貨、銀貨、銭貨の単位

    ・金貨-両、分、朱  ・銀貨-貫、匁、分、厘、毛  ・銭貨-貫、文

 

   ※当時の換算率は、金1両=銭4貫文=銀60匁という比率だったが、

    実際は相場によって比率に変わった

 

   ※東日本では主に金貨が取り引きの中心とされ、西日本では主に銀貨が

    取り引きの中心とされた

    =上のような、東日本のスタイルを金遣い、西日本のスタイルを銀遣いという

 

 

 

 ・17世紀の後半から、それぞれの藩では城下町を中心とした藩の経済を

  行うところが出てきた

  →そのような場所では、藩札という貨幣が領内で流通した

  →さらに、商人が発行する小さい額の私札が出回る地域も出てきた

   =藩札や私札が出てきたことで、三貨の不足や藩の財政の足りない部分を

    補ったと言われている

 

 

 

 ・当時の貨幣は、三都やそれぞれの城下町にいた両替商という人達によって

  流通が促された

  ※両替商・・三貨を両替したり、重さを量ったりすることを

        商売にした業種の人達のこと

 

  ※大坂や江戸には、本両替という有力な両替商がいた

   →本両替は、両替商の仕事に加えて、国のお金の出納や為替、貸付などの業務を

    一緒に行うことで、幕府や藩の財政を支える役割を果たしたと言われている

 

  ※両替商として有名な施設に以下のようなものがある

   ・三井高利という人が三都で呉服店と一緒に始めた両替店

   ・江戸の三谷、鹿島屋など

   ・大坂の天王寺屋、平野屋、鴻池など

 

 

 

ポイント

・当時の商業について考えてみます

・当時の貨幣と金融について考えてみます

 

このあたりが今回のポイントです

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