江戸時代の都市と町と町人について
江戸時代の都市と町と町人について考えてみます
・都市について
※近世に入った時に、多くの都市が誕生した
→その中心は、城下町だったと言われている
・城下町について
・城下町では、以下のような多くの人の移動があった
・武士
→在地領主として農村に住んでいたが、兵農分離によって
強制的に城下町に集められた
・商人、職人、手工業者など
→営業の自由、地子の免除などの特権をもらって、城下町に定住した
※地子・・屋敷にかけられる年貢のこと
・城下町の構成について
・城下町には、将軍や大名の城郭を中心に、武家地、寺社地、町人地などがあった
=身分によって、住む場所がはっきりと分かれていたことを表している
※城下町は、城郭と武家地が土地の大半を占めた
→城郭と武家地には、政治や軍事のための施設、家臣や足軽のための住居
などが置いてあった
→寺社地には、寺院や神社などが置いてあったため、宗教をコントロールする
役割を持っていた
・町人地について
・町人地とは・・商人や手工業者が住んで、営業を行う場所のこと
=町という小さい社会(共同体)がいくつも集まったものを町人地という
※町人地は町方とも呼ばれ、少ない土地ながらも経済的な面で
全国と領地を結ぶ場所として重要だった
・町には、村と似たような自治的組織があった
・町の中に家と敷地を持つ人は、町人と呼ばれた
※ほとんどの町では、家を持っている住人が少なかった
→家を持っていない人は、地借、借家、店借などを行って住んでいた
・地借・・土地を借りて、自分で家を建てて住むこと
・借家、店借・・家を一軒または一部を借りて住むこと
※地借、借家、店借は、地主に土地や建物の代金を支払うだけでよかった
→しかし、町の運営には参加できなかった
・町は、名主、町年寄、月行事などの町の代表をを中心として、
町法(町掟)によって運営された
※町が増えてきた時に、より広い範囲での自治を担当する人として
町役人という役職が置かれた
・町には、田や畑が無かったため、町人は百姓と比べると、年貢の負担が軽かった
→その分、貨幣の支払いや町人足役などの負担があった
※町人足役・・上下水道の整備、城郭の清掃、都市機能の維持
などのような負担のこと
※城下町以外には、港町、鉱山町、宿場町、門前町なども都市にあった
=これらには、全て町が存在していた
ポイント
・都市と城下町について押さえる
・町人地と町について押さえる
このあたりが今回のポイントです
コメント
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