江戸時代の都市と町と町人について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 15:47      
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江戸時代の都市と町と町人について考えてみます

 

 

・都市について

 

 ※近世に入った時に、多くの都市が誕生した

  →その中心は、城下町だったと言われている

 

 

 ・城下町について

 

  ・城下町では、以下のような多くの人の移動があった

 

   ・武士

    →在地領主として農村に住んでいたが、兵農分離によって

     強制的に城下町に集められた

 

   ・商人、職人、手工業者など

    →営業の自由、地子の免除などの特権をもらって、城下町に定住した

     ※地子・・屋敷にかけられる年貢のこと

 

 

  ・城下町の構成について

 

   ・城下町には、将軍や大名の城郭を中心に、武家地、寺社地、町人地などがあった

    =身分によって、住む場所がはっきりと分かれていたことを表している

 

    ※城下町は、城郭と武家地が土地の大半を占めた

     →城郭と武家地には、政治や軍事のための施設、家臣や足軽のための住居

      などが置いてあった

     →寺社地には、寺院や神社などが置いてあったため、宗教をコントロールする

      役割を持っていた

  

 

 

 

・町人地について

 

 

 ・町人地とは・・商人や手工業者が住んで、営業を行う場所のこと

  =町という小さい社会(共同体)がいくつも集まったものを町人地という

 

  ※町人地は町方とも呼ばれ、少ない土地ながらも経済的な面で

   全国と領地を結ぶ場所として重要だった

 

 

 ・町には、村と似たような自治的組織があった

 

 

 ・町の中に家と敷地を持つ人は、町人と呼ばれた

  ※ほとんどの町では、家を持っている住人が少なかった

 

  →家を持っていない人は、地借、借家、店借などを行って住んでいた

   ・地借・・土地を借りて、自分で家を建てて住むこと

   ・借家、店借・・家を一軒または一部を借りて住むこと

 

  ※地借、借家、店借は、地主に土地や建物の代金を支払うだけでよかった

   →しかし、町の運営には参加できなかった

 

 

 ・町は、名主、町年寄、月行事などの町の代表をを中心として、

  町法(町掟)によって運営された

  ※町が増えてきた時に、より広い範囲での自治を担当する人として

   町役人という役職が置かれた

 

 ・町には、田や畑が無かったため、町人は百姓と比べると、年貢の負担が軽かった

  →その分、貨幣の支払いや町人足役などの負担があった

   ※町人足役・・上下水道の整備、城郭の清掃、都市機能の維持

          などのような負担のこと

 

 

 

 ※城下町以外には、港町、鉱山町、宿場町、門前町なども都市にあった

  =これらには、全て町が存在していた

 

 

ポイント

・都市と城下町について押さえる

・町人地と町について押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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