江戸幕府の誕生について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 05:41      
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江戸幕府の誕生について考えてみます

 

 

・江戸幕府が出来るまでの流れについて

 

 

 ・徳川家康という人が、1590年の豊臣秀吉政権の時に、関東に移動させられた

  →徳川家康は、約250万石の領地を支配するほど権力の大きな大名になった

   ※徳川家康は、五大老のトップだったということがあり

    秀吉が死んだあとに地位が上がっていった

 

 

 ・五奉行の一人だった石田三成という人は、豊臣政権を続けさせようと考えた

  →すると、石田三成と徳川家康との間で対立するようになった

 

 

 ・そこで、1600年に西軍と東軍という2つの軍が出来た

   ※西軍・・石田三成が、五大老のひとりだった毛利輝元という人を

        トップにおいて作った軍

    東軍・・徳川家康が、福島正則や黒田長政などの人達を引き連れて作った軍

 

  →西軍と東軍は関ヶ原という場所で戦った

   =そのため、1600年の石田三成の西軍と徳川家康の東軍との戦いを

    関ヶ原の戦いと言う

    ※関ヶ原の戦いは、天下分け目の戦いと言われていた

 

 

 ・関ヶ原の戦いは徳川家康の東軍が勝利した

  →そこで、徳川家康は西軍側についた大名を処分した

   ※どのような処分を行ったのか

    ・石田三成や小西行長などは、京都で処刑された

    ・西軍についた多くの大名は、改易(領地を没収すること)された

    ・毛利輝元や上杉景勝などは、減封(領地を減らすこと)された    

 

 

 ・その後、1603年に全ての大名を指揮する権利に正統性を持たせるために、

  天皇の命令を受けて江戸に幕府を作った

  =これによって、江戸時代が始まった

 

 

 

 ・徳川家康は何を行ったのか

 

  →・全国の大名に、江戸城と市街地を作ることを命令した

   ・国ごとに、国絵図と郷帳を作ることを命令した

    ※郷帳・・村ごとの石高を国単位でまとめた帳簿のこと

  

   =このようなことを行うことで、徳川家康自身が

    全国を支配するトップであることを示した

 

 

   

 

 ※徳川家康が自分の地位をより安定させるために行ったこと

 

  ・徳川家康が江戸に幕府を置いた時に、豊臣秀吉の子どもだった豊臣秀頼という人が

   大坂城に残った

   →この行動によって、名前だけは秀吉の地位を引き継いでいた

 

  ・そこで、徳川家康は将軍職(征夷大将軍という職)は徳川氏の世襲だということを

   大名達に示すことを考えた

   →そのため、徳川家康は自分で将軍職を辞めて、自分の子どもだった徳川秀忠という人に

    引き継がせた

    ※征夷大将軍・・鎌倉時代以降は、幕府のトップの人のことを指す

 

  ・徳川家康は、駿府という場所に移動したが、大御所(前の将軍)ということで

   権力は握り続けた

 

  ・徳川家康は、豊臣氏が建てた京都の方広寺の鐘に記されている言葉が良くない

   という理由で1614年~1615年に豊臣氏を攻撃し、倒した

   =この出来事を、大坂の役(大坂冬の陣・夏の陣)という

 

 

 

ポイント

・江戸幕府が出来るまでの流れを押さえる

・徳川家康の行動を押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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