戦国時代の都市と人々について
戦国時代の都市と人々について考えてみます
・戦国時代の都市と人々について
・農村、手工業、商品経済の発達などによって農村での市場や町が大量に増えた
・大寺社だけでなく、中小の寺社の前に町が出てきた
=この町を門前町と言う
※門前町の代表的な場所に、伊勢神宮の宇治・山田や、信濃の善光寺などがある
・浄土真宗の影響が大きい地域では、浄土真宗の寺院や道場を中心に、
寺内町という町が作られた
→寺内町には、門徒の商工業者が集まって住んでいた
※寺内町の代表的な場所に、摂津の石山や加賀の金沢、河内の富田林などがある
=これらは、楽市だったが、段々と戦国大名に支配されるようになり、
寺内町の特権が無くなっていった
・門前町や寺内町の市場や町には、自由な商業の取り引きがあり、販売座席(市座)や
市場での税を設けない市場が多かった
=このような市場を楽市という
※戦国大名は、楽市を活発にさせることを目的として、楽市令という法律を作って
楽市を保護したり、自分で楽市を作ったりした
・遠いところとの商業も活発になったため、港町や宿場町などが栄えた
※港町の代表的な場所としては、堺、博多、平野、大湊などがある
※港町や宿場町などの都市によっては、お金のある商工業者が自治的な組織を作って
市政(市の政治)を行った
→中でも、堺は36人の会合衆、博多は12人の年行司という、
それぞれの豪商が話し合うことで、市政が行われ、自分達で都市を
コントロールしていた
・京都を始めとした昔からの政治的な都市には、町が生まれた
※町・・お金のある商工業者を基本とした町衆(町で生活していた人)を中心に作られた
都市の市民の自治的な団体のこと
※町は、惣村と同じように、町ごとに独自の町法という法律を作って、
町衆の生活や商業活動などを保護した
※町が集まって、町組という組織が作られた
→町や町組は、町衆の中から選ばれた月行事という役職の人によって、
自分達で町を運営していった
→応仁の乱でボロボロになった京都は、京都の町衆が復興させた
※祇園祭も町衆達が復活させたと言われている
ポイント
・戦国時代の都市と人々の動きと流れ、内容などを押さえる
このあたりが今回のポイントです