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	<title>アラエス &#187; 在庁官人</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>武士について②　－源氏の登場－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1133</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1133#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:49:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[前九年合戦]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[平忠常の乱]]></category>
		<category><![CDATA[後三年合戦]]></category>
		<category><![CDATA[東国武士団]]></category>
		<category><![CDATA[武家]]></category>
		<category><![CDATA[清和源氏]]></category>
		<category><![CDATA[源氏]]></category>
		<category><![CDATA[藤原清衡]]></category>
		<category><![CDATA[開発領主]]></category>

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		<description><![CDATA[武士について、源氏の登場について考えてみます &#160; &#160; ・源氏の登場について &#160; 　・１１世紀に、開発領主は自分の土地の拡大と保護を目指すことを考えた 　　→そこで、開発領主は貴族についていき [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1133">武士について②　－源氏の登場－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>武士について、源氏の登場について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・源氏の登場について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１１世紀に、開発領主は自分の土地の拡大と保護を目指すことを考えた</p>
<p>　　→そこで、開発領主は貴族についていき、その貴族の郎党になったり、</p>
<p>　　　在庁官人になったりして、自分達の力を拡大していくと同時に、</p>
<p>　　　地方の武士団として成長していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中央の貴族の血筋だった清和源氏や桓武平氏という氏族は、広範な地方の武士団を</p>
<p>　　コントロールして武家（軍事貴族）を作り、大きな力を持つようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※特に、摂津という地方にいて、清和源氏である源満仲という人と、</p>
<p>　　その子供である頼光と頼信の兄弟は、摂関家に接近することで、</p>
<p>　　摂関家に保護されるようになり、棟梁（集団のトップ）になって勢力を広げた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１０２８年には、平忠常の乱という反乱が起き、この乱が房総半島に広がった</p>
<p>　　→その時に源頼信は、平忠常の乱という反乱を鎮圧した</p>
<p>　　　＝この出来事が、源氏が東北に進出するきっかけになったと言われている</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・陸奥では、豪族である安倍氏の勢力が強くなり、安倍氏は国司と戦うようになった</p>
<p>　　→そのような状況の中で、源頼信の子供である源頼義は陸奥守として、陸奥に行った</p>
<p>　　→その時に、源頼義の子供である源義家と一緒に東国の武士を引き連れて安倍氏と戦った</p>
<p>　　　＝この出来事を前九年合戦という</p>
<p>　　　　※この争いの時は、出羽の豪族の清原氏の協力を得て、安倍氏を倒した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、陸奥と出羽の２つの国で、清原氏が大きな力を持つようになった</p>
<p>　　※しかし、清原氏の中で紛争が起きるようになってしまった</p>
<p>　　　→そこで、陸奥守だった源義家が介入して、藤原（清原）清衡を</p>
<p>　　　　助けることで紛争を鎮めた</p>
<p>　　　　＝この出来事を後三年合戦という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、奥羽の地方では、以下のような動きが起きた</p>
<p>　　・藤原清衡の子孫による支配が続いた</p>
<p>　　・源氏が東国武士団という集団との関係を強くしていき、源氏が武家の棟梁として</p>
<p>　　　地位を築き上げた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・源氏を中心とした動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1133">武士について②　－源氏の登場－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>武士について①　－地方の反乱と武士の成長について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1132</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1132#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:43:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[大宰府]]></category>
		<category><![CDATA[平将門の乱]]></category>
		<category><![CDATA[承平・天慶の乱]]></category>
		<category><![CDATA[押領使]]></category>
		<category><![CDATA[武士団]]></category>
		<category><![CDATA[滝口の武士]]></category>
		<category><![CDATA[藤原純友の乱]]></category>
		<category><![CDATA[追捕使]]></category>
		<category><![CDATA[郎等]]></category>

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		<description><![CDATA[武士について、地方の反乱と源氏の登場について考えてみます &#160; &#160; ・地方の反乱と武士の成長について &#160; 　※９世紀末から１０世紀にかけて、地方の政治が大きく変わったと言われている 　　→そこ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1132">武士について①　－地方の反乱と武士の成長について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>武士について、地方の反乱と源氏の登場について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・地方の反乱と武士の成長について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※９世紀末から１０世紀にかけて、地方の政治が大きく変わったと言われている</p>
<p>　　→そこで、地方の豪族や有力な農民は、自分達の勢力を維持したり拡大したりするために</p>
<p>　　　武装するようになった</p>
<p>　　　＝そのため、各地で紛争が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→紛争の鎮圧のために、政府から押領使や追捕使に任命された中級・下級貴族が送られた</p>
<p>　　　　※中級・下級貴族の中には、そのまま在庁官人などになって現地に残り、</p>
<p>　　　　　武士（兵）になる人が出てきた　　　</p>
<p>　　　　※押領使や追捕使は、両方とも盗賊の追捕や内乱の鎮圧のために派遣された</p>
<p>　　　　※押領使や追捕使は、最初は臨時に任命されていたが、</p>
<p>　　　　　段々と様々な国に常備されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→武士は、家子やその下の郎党（郎等、郎従）などの従者を引き連れて、</p>
<p>　　互いに闘いを繰り返すようになった</p>
<p>　　※武士の中には、国司に反抗する人が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→武士は、段々とくっついて、連合体を作るようになった</p>
<p>　　※辺境（中央から遠いところ）の地方では、任期が終わってもそのまま任地に残った国司の</p>
<p>　　　子孫などを中心にして、大きな武士の集団（＝武士団）が成長し始めた</p>
<p>　　※中でも、東国（関東地方）では、良い馬が産まれるようになったため、</p>
<p>　　　機動力のある武士団が出てくるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東国では、桓武平氏という氏族が住み着くようになった</p>
<p>　　→その中でも、桓武平氏の平将門は下総という場所を中心にして、様々な一族と争い、</p>
<p>　　　国司と対立するようになった</p>
<p>　　　＝そこで、９３９年に平将門が反乱が起こした。この争いのことを平将門の乱と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平将門は常陸、下野、上野の国府を攻め落とし、東国の大半を占領した</p>
<p>　　→そこで、平将門は自分のことを親皇と呼んだ</p>
<p>　　　※しかし、平将門は武士の平貞盛や藤原秀郷という人達によって討伐された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平将門と同じ頃に、元々伊予（現在の愛媛県）の国司だった藤原純友という人が</p>
<p>　　瀬戸内海の海賊を引き連れて反乱を起こした</p>
<p>　　＝この反乱のことを藤原純友の乱と言う</p>
<p>　　　※藤原純友の乱の時に、伊予の国府や太宰府を攻め落としたが、</p>
<p>　　　　結局、清和源氏という氏族の生みの親である源経基などによって討伐された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→平将門と藤原純友の乱は、上のような経緯によって終わったので、東西の反乱が落ち着いた</p>
<p>　　※一方で、朝廷の軍事力の低下が明らかになったので、</p>
<p>　　　地方の武士の組織が強化されるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→平将門と藤原純友の２つの乱は、その当時の年号から、承平・天慶の乱と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１０１９年に、九州北部を刀伊が襲った、という出来事が起きた</p>
<p>　　　→その時は、太宰権帥の藤原隆家という人が、九州の武士達を指揮することで、</p>
<p>　　　　刀伊を撃退した</p>
<p>　　　　＝この出来事は、当時の九州にも武士団があったことが示されていると言われている　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝廷や貴族は、地方の武士の実力を知ったので、地方の武士を侍として、</p>
<p>　　朝廷や貴族に奉仕させるようにした</p>
<p>　　→具体的には・・</p>
<p>　　　・９世紀末に滝口の武士（宮中の警備をする武士）として起用した</p>
<p>　　　・貴族の身の回りや、都の警護にあたらせた</p>
<p>　　　・地方で、押領使や追捕使に任命して、治安維持にあたらせた</p>
<p>　　　・地方で、武士を舘侍や国侍として国司の下で組織させた</p>
<p>　　　　　※・舘侍・・受領の家子や郎党などのような、受領の直接の指揮下にある武士のこと</p>
<p>　　　　　　・国侍・・国衙の軍事力とした地方の武士のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・武士について、地方の反乱と武士の成長過程についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1132">武士について①　－地方の反乱と武士の成長について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>荘園と国司について②　－荘園の仕組み－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1131</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1131#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:37:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[不輸・不入]]></category>
		<category><![CDATA[初期荘園]]></category>
		<category><![CDATA[国免荘]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[墾田地系荘園]]></category>
		<category><![CDATA[官省符荘]]></category>
		<category><![CDATA[寄進地系荘園]]></category>
		<category><![CDATA[検田使]]></category>
		<category><![CDATA[荘園公領制]]></category>
		<category><![CDATA[開発領主]]></category>

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		<description><![CDATA[荘園の仕組みについて考えてみます &#160; &#160; ・荘園について &#160; 　※荘園とは・・貴族や寺社が私的に持っていた土地のこと &#160; 　・８～９世紀あたりに初期荘園という荘園が出てきた 　　※ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1131">荘園と国司について②　－荘園の仕組み－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>荘園の仕組みについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・荘園について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※荘園とは・・貴族や寺社が私的に持っていた土地のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８～９世紀あたりに初期荘園という荘園が出てきた</p>
<p>　　※しかし、初期荘園は国司や郡司の制度に依存して経営されていたため、</p>
<p>　　　１０世紀までにほとんどの初期荘園が衰退していった</p>
<p>　　※初期荘園は、貴族や寺社が自分で開墾したり、墾田を買収したりすることで成り立っていた</p>
<p>　　　＝そのため、墾田地形荘園と呼ばれることがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１０世紀後半からは、国衙に臨時雑役などを免除されることで、</p>
<p>　　一定の土地を開発する人が増えてきた</p>
<p>　　＝このような人達は、１１世紀に開発領主と呼ばれるようになった</p>
<p>　　　→開発領主は、自分が開発した土地に対しての支配権を強くしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・開発領主のほとんどは、在庁官人になって行政の道に進んだ</p>
<p>　　※中には、自分の土地にかかる税を逃れようとして、土地を中央政府で</p>
<p>　　　権力のある人に渡して（寄進して）その土地については、</p>
<p>　　　権力者を領主にしてしまうというような荘園を持つ人が出てくるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・渡された荘園の領主は領家と呼ばれるようになった　　</p>
<p>　　→領家が、渡された土地をさらに上の階級の人に渡すことがあった</p>
<p>　　　＝さらに上の階級で領主になった人は、本家と呼ばれるようになった</p>
<p>　　　※領家や本家の中で、実際に支配していた人を本所と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・開発領主は荘官になって、自分の土地の個人的な支配をより強めていった</p>
<p>　　※荘官・・荘園の中の年貢の取り立てや治安維持などを行った職業のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のように寄進が行われている荘園を、寄進地系荘園と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・以上のような荘園の中には、貴族や寺社の権力を利用して、中央政府に</p>
<p>　　不輸を認めてもらう荘園が増えてきた</p>
<p>　　※不輸・・政府から官物や臨時雑役の免除を認めてもらうこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国司（受領）によって、その国司が任期の時だけ不輸が認められた荘園が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→中央政府に不輸が認めてもらえた荘園を官省符荘と言い、国司に不輸を認めて</p>
<p>　　　もらえた荘園を国免荘と言う</p>
<p>　　　※官省符荘は、政府が出した太政官符や民部省符というものによって認められていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、不輸の対象の土地や範囲について、開発領主と国司が対立するようになった</p>
<p>　　→そこで、開発領主は領家や本家の権力を使って、不入の権利を得る荘園が増えてきた</p>
<p>　　　※不入・・検田使などのような、国司に派遣されてきた人の立ち入りを禁止すること</p>
<p>　　　　検田使・・国の中の耕作の状況を調べて、官物や臨時雑役の負担の分量を</p>
<p>　　　　　　　　　決めるために国司が派遣した役人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝不輸や不入の権利が広がっていったので、荘園での個人的な支配が</p>
<p>　　どんどん大きくなっていった</p>
<p>　　※この動きは、寄進地系荘園が広がることで、さらに進んだと言われている</p>
<p>　　※この動きの時に、国司は荘園をコントロールしようと考え始めたため、</p>
<p>　　　国司と荘園領主がより対立することになった</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・国司がどのように地方を支配したかを押さえる</p>
<p>・国司と荘園についてを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1131">荘園と国司について②　－荘園の仕組み－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>荘園と国司について①　－国司の地方の支配－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1130</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1130#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:18:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[受領]]></category>
		<category><![CDATA[国司]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[官物]]></category>
		<category><![CDATA[延喜の荘園整理令]]></category>
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		<category><![CDATA[負名]]></category>
		<category><![CDATA[醍醐天皇]]></category>

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		<description><![CDATA[荘園について考えてみます &#160; &#160; ・国司の地方の支配について &#160; 　※１０世紀の初めは、律令体制が崩れてきていた時代だと言われている 　　→そこで政府は、以下のようなことを行って、律令を立て [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1130">荘園と国司について①　－国司の地方の支配－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>荘園について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国司の地方の支配について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１０世紀の初めは、律令体制が崩れてきていた時代だと言われている</p>
<p>　　→そこで政府は、以下のようなことを行って、律令を立て直すことを目指した</p>
<p>　　　・９０２年に延喜の荘園整理令という法律を作り、違法な土地の所有を禁止した</p>
<p>　　　・班田の推奨をすることを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※しかし、戸籍や計帳、班田収受の機能がダメになってしまっていたので、</p>
<p>　　　租・調・庸で国家の財政を維持することが出来なくなってしまった</p>
<p>　　　→その状況が分かるものとして、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　・阿波国の戸籍は、男が圧倒的に少ない状態で登録されていた</p>
<p>　　　　　＝調や庸を負担する男性の数を減らそうとする狙いがあったと考えられる</p>
<p>　　　　・三善清行という人が醍醐天皇に提出した「意見封事十二箇条」に、</p>
<p>　　　　　当時の混乱した様子が書かれている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→このような状況があったので、中央政府が以下のような行動を取った</p>
<p>　　　　・国司に、一定の額の税を納めることを義務とさせた</p>
<p>　　　　・その代わり、国司に自分の担当する国の統治を任せる、という方針を取ることにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→以上のような流れから、国司や国衙の役割が大きくなった</p>
<p>　　　　※しかし、実務の仕事を国司が担当する分、郡家や郡衙の役割が小さくなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国司について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その国の国司の中でもトップに立つ人は、受領と呼ばれるようになり、</p>
<p>　　政府に税を納めるための代行人のようになった</p>
<p>　　※受領の中には、自分の立場を使って、大量の利益を得ようとする人が多かったので、</p>
<p>　　　郡司や有力農民などに訴えられることが時々あった</p>
<p>　　　→受領の当時の様子について描かれたもので代表的なものに、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　・藤原元命という人が「尾張国郡司百姓等解」によって訴えられた、ということがある</p>
<p>　　　　・藤原陳忠という人が述べたことについて書いてある「今昔物語集」が有名</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この時代には、受領の国司が成功や重任を行うようになった</p>
<p>　　※・成功・・国司が自分のお金で朝廷の儀式や寺を作ることなどを行う代わりに、</p>
<p>　　　　　　　　中央の官職に任命してもらうこと</p>
<p>　　　・重任・・国司が自分のお金で朝廷の儀式や寺を作ることなどを行う代わりに、</p>
<p>　　　　　　　　収入の多い官職に再任してもらうこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※受領以外の国司は、実務から排除されるようになり、遙任が盛んになった</p>
<p>　　　・遙任・・赴任しないで、国司としての収入だけを受け取ること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・受領は、田堵と呼ばれる有力農民に、一定の期間田地の耕作を任せ、</p>
<p>　　官物と臨時雑役を課すようになった</p>
<p>　　→田堵の中には、国司と手を組んで大規模な経営を行った田堵が出てくるようになった</p>
<p>　　　＝このような田堵を、大名田堵と言う</p>
<p>　　　　※・官物・・租、調、庸の系統の税のこと</p>
<p>　　　　　・臨時雑役・・雑徭の系統の税のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　・課税の対象になる田地は、名という単位に分けられ、それぞれの名に負名という</p>
<p>　　請負人がつけられることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のような流れによって、戸籍上の成人男性に課税する（調、庸など）スタイルから</p>
<p>　　土地を使って受領が負名から徴税するスタイルに変わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※さらに、１１世紀後半には、受領は交代のとき以外は自分の担当する国に行かなくなった</p>
<p>　　→その代わり、目代という国司の代理人を派遣して、在庁官人を使うことで</p>
<p>　　　政治を行うようになった</p>
<p>　　　・在庁官人・・現地で採用した下級の役人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント<br />・国司がどのように地方を支配したかを押さえる<br />・国司と荘園についてを押さえる<br /><br />このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1130">荘園と国司について①　－国司の地方の支配－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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