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	<title>アラエス &#187; 大逆事件</title>
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	<item>
		<title>日本の産業革命とその弊害としての社会問題をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2472</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2472#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 06 Feb 2014 11:13:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[八幡製鉄所]]></category>
		<category><![CDATA[労働問題]]></category>
		<category><![CDATA[大逆事件]]></category>
		<category><![CDATA[幸徳秋水]]></category>
		<category><![CDATA[日本銀行]]></category>
		<category><![CDATA[殖産興業]]></category>
		<category><![CDATA[治安警察法]]></category>
		<category><![CDATA[産業革命]]></category>
		<category><![CDATA[田中正造]]></category>
		<category><![CDATA[資本主義]]></category>

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		<description><![CDATA[日本は、明治初年から、殖産興業を始めた ※同時に、日本銀行を設立して紙幣を発行させ、官営の事業を払い下げた ＝民間の産業の育成を目指した &#160; 1880年代後半・・製糸業と紡績業を中心に、民間の産業が急速に発展し [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2472">日本の産業革命とその弊害としての社会問題をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日本は、明治初年から、<strong>殖産興業</strong>を始めた</p>
<p>※同時に、<strong>日本銀行を設立</strong>して紙幣を発行させ、官営の事業を払い下げた</p>
<p>＝民間の産業の育成を目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1880年代後半・・<strong>製糸業</strong>と<strong>紡績業</strong>を中心に、民間の産業が急速に発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>製糸業</p>
<p>→江戸時代の技術にフランスの技術を取り入れて、長野県などに工場を作った</p>
<p>※生糸の生産は1880年からの20年間で4倍に増え、アメリカなどに輸出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>紡績業</p>
<p>→イギリスの技術を取り入れて、上記による大規模な機械生産を始めた</p>
<p>※<strong>日清戦争後</strong>には、綿糸は盛んに清や韓国に輸出された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＝結果的に、1900年ころまでに、製糸業や紡績業（主に軽工業）を中心に、産業革命が達成された</p>
<p>※<strong>産業革命</strong>の達成によって、<strong>資本主義</strong>が確立された</p>
<p>※ただし、鉄鋼業などの重工業は遅れていた</p>
<p>→日清戦争後は、鉄鋼の需要が高まり、政府は福岡県に官営の<strong>八幡製鉄所</strong>を作った</p>
<p>＝そのため、日露戦争後に鉄鋼や造船などを中心に、重工業もだんだんと発達していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※産業革命の時に、鉄道と海運が発達した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>鉄道</strong></p>
<p>→1872年：新橋―横浜間で初めて開通</p>
<p>＝これを皮切りに、全国に鉄道網が広がっていった</p>
<p>※日露戦争後に、全国の主な鉄道は国有化された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>海運</strong></p>
<p>→外国航路がどんどん開設された</p>
<p>※貿易の発展に貢献</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＝鉄道と海運の発達は、以下のような効果をもたらした</p>
<p>・ヒトとモノが短時間で大量に輸送できるようになった</p>
<p>・経済が発展した</p>
<p>・人々の生活範囲が広がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※産業革命は、一方で<strong>労働問題</strong>も引き起こした</p>
<p>＝産業革命によって、労働時間が長く、給料が少ないという厳しい労働条件になっていった</p>
<p>→そこで、労働者が団結して、労働条件を改善しようとする運動が、片山潜などの指導で進められた</p>
<p>→そのため、労働組合の結成や労働争議が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※労働問題に対して、政府は<strong>治安警察法</strong>を制定して、<strong>工場法</strong>を作った</p>
<p>・治安警察法・・人々を取り締まった</p>
<p>・工場法・・労働条件を改善するための法律</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※一方で、<strong>幸徳秋水</strong>などは社会民主党を結成し、社会主義運動を始めた</p>
<p>→しかし、日露戦争後に明治天皇の暗殺を計画したとして、多くの社会主義者が政府にとらえられた</p>
<p>※加えて、<strong>大逆事件</strong>も起きた（幸徳秋水などが死刑になった）</p>
<p>＝そのため、社会主義運動は厳しく弾圧された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※産業革命は、労働問題に加えて<strong>環境問題</strong>も引き起こした</p>
<p>＝その代表が足尾銅山鉱毒事件だった</p>
<p>→渡良瀬川に鉱毒が流れ込み、流域の住民は被害を受けた</p>
<p>→そこで、<strong>田中正造</strong>が鉱毒防止と被害者救済の運動を進めた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2472">日本の産業革命とその弊害としての社会問題をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>社会運動の登場と当時の生活様式について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1276</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1276#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 01:59:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代後期]]></category>
		<category><![CDATA[ストライキ]]></category>
		<category><![CDATA[労働組合期成会]]></category>
		<category><![CDATA[大逆事件]]></category>
		<category><![CDATA[工場法]]></category>
		<category><![CDATA[治安警察法]]></category>
		<category><![CDATA[特高]]></category>
		<category><![CDATA[産業革命]]></category>
		<category><![CDATA[社会民主党]]></category>
		<category><![CDATA[繊維産業]]></category>
		<category><![CDATA[足尾銅山鉱毒事件]]></category>

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		<description><![CDATA[社会運動の登場と当時の生活様式について考えてみます &#160; &#160; ・社会運動の登場について &#160; &#160; 　・工場制工業が活発になるにつれて、賃金労働者が増えてきた 　　※１９００年の工場労働 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1276">社会運動の登場と当時の生活様式について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>社会運動の登場と当時の生活様式について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・社会運動の登場について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・工場制工業が活発になるにつれて、賃金労働者が増えてきた</p>
<p>　　※１９００年の工場労働者の大半は繊維産業で働き、労働者は女性がほとんどだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・女性労働者（女工または工女とも言う）のほとんどは、家計を助けるために</p>
<p>　　出稼ぎに行った小作農家の子供などだった</p>
<p>　　→女工は、賃金の前借りや宿舎に泊まって仕事をさせられる、</p>
<p>　　　ということなどによって工場で縛られることになった</p>
<p>　　　※さらに、悪い労働環境、ものすごい低賃金、長時間労働</p>
<p>　　　　という状況で仕事をしていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・紡績業では、基本的に２交代制で昼と夜に分けて仕事をさせられた</p>
<p>　　※製糸業では、１５～１８時間の労働時間などで働いていたこともあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、重工業の男子の熟練の工員はまだ少なかった</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・男子は、鉱山業や運輸業などで働いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→当時の苦しい労働の状況について書かれたものに、以下のようなものがある</p>
<p>　　・１８８８年に、高島炭鉱の悲惨な様子について書かれた「日本人」という雑誌</p>
<p>　　・１８９９年に、横山源之助という人が書いた「日本之下層社会」という本</p>
<p>　　・１９０３年に、農商務省というとことが出した「職工事情」という本　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日清戦争前後の産業革命の時に、待遇の改善や賃金の引き上げなどを求めて、</p>
<p>　　工場労働者がストライキを起こすようになった</p>
<p>　　※１８９７年には、全国で４０件近くのストライキが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９７年に、アメリカの労働運動に影響を受けて、高野房太郎や片山潜などの人達が</p>
<p>　　労働組合期成会という団体を作って、労働運動の指導をするようになった</p>
<p>　　→このような動きに刺激されて、鉄工組合や日本鉄道矯正会などと</p>
<p>　　　呼ばれる労働組合が作られた</p>
<p>　　　＝そのため、熟練工の人達を中心に、労働者が団結して</p>
<p>　　　　資本家に対抗する動きが出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９１年に、栃木県の足尾銅山という銅山から出ている鉱毒が</p>
<p>　　渡良瀬川流域の農業や漁業に被害をもたらすという公害事件が起きた</p>
<p>　　＝この公害事件を足尾銅山鉱毒事件という</p>
<p>　　　※この事件に対して、田中正造という人が戦った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような動きに対して、政府は１９００年に治安警察法という法律を作った</p>
<p>　　→この法律で、労働者の団結権やストライキ権などの権利を制限することで、</p>
<p>　　　労働運動を取り締まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で政府は、労働条件を改善して、労働者と資本家の対立を減らそうと考えた</p>
<p>　　→そこで、社会政策という考え方から、日本最初の労働者保護法として</p>
<p>　　　工場法という法律が考えられるようになった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→工場法は、資本家の反対があったため、１９１１年に作られることになった</p>
<p>　　　※しかし、工場法の内容が充実していないのと同時に、</p>
<p>　　　　工場法は実際には１９１６年に始まった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※工場法の内容</p>
<p>　　　　・少年と少女の労働時間について１２時間を限度にした</p>
<p>　　　　・少年と少女を深夜で働かせることを禁止した</p>
<p>　　　　・工場法が適用されるのは、１５人以上を使う工場だけだった</p>
<p>　　　　・製糸業は１４時間まで認められた</p>
<p>　　　　・紡績業は期限付きで深夜に働かせることを認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況の中で、安部磯雄、片山潜、木下尚江、幸徳秋水などが集まった</p>
<p>　　→この人達は、１９０１年に最初の社会主義政党として社会民主党という党を作った</p>
<p>　　　※しかし、社会民主党は治安警察法によって、すぐに解散させられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争が近づいている時に、幸徳秋水や堺利彦などは平民社という団体を作った</p>
<p>　　→平民社は、「平民新聞」というものを発行して戦争反対（反戦論や非戦論などと言う）を</p>
<p>　　　国民に呼びかけた</p>
<p>　　　＝このようにして、社会主義運動が政治運動に進む動きが強まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争の後の１９０６年に、日本社会党という団体が作られたが、</p>
<p>　　次の年に解散させられた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※なぜ日本社会党が解散させられたのか</p>
<p>　　　・日本社会党が出来た時の第１次西園寺公望内閣は、日本社会党をすぐには禁止しなかった</p>
<p>　　　・しかし、日本社会党の中で、議会で政策を考えるべきという派（片山潜など）と</p>
<p>　　　　直接行動すべきという派（幸徳秋水など）が対立するということが起きた</p>
<p>　　　　→その時に、直接行動派が優勢になったので、日本社会党を解散させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１０年に大逆事件という事件が起きた</p>
<p>　　→政府は、この事件をきっかけにして社会主義運動を本格的に抑えつけていくようになった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※大逆事件とは・・</p>
<p>　　　　・第２次桂太郎内閣は、天皇の暗殺を計画していた社会主義運動の人達を捕まえた</p>
<p>　　　　・その時に、全国で数百人の社会主義者や無政府主義者を検挙した</p>
<p>　　　　　→その中で、幸徳秋水など２６人を大逆罪という罪で起訴した</p>
<p>　　　　　　＝この出来事を大逆事件という</p>
<p>　　　　　　　※次の年に２６人全員が有罪判決を受け、そのうち１２人は死刑判決を受けたが</p>
<p>　　　　　　　　ほとんどは天皇の暗殺計画に直接は関わっていなかった</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※大逆事件の時に、警視庁の中に特別高等課（特高）という思想警察が出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→大逆事件の後から、第一次世界大戦が始まるまで、社会主義の人達は動くことが</p>
<p>　　出来ない時代に入った</p>
<p>　　＝この時代を「冬の時代」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の生活様式について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治時代に、大都市の官庁、会社、軍隊、学校などは、ガラス窓の建物になり、</p>
<p>　　机や椅子を使い、洋服を着て、時間通りに行動するという西洋に近い生活様式を取り入れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８０年代の終わりに、大都市で電灯が使われるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治初年に鉄道が開通して、１８８０年代に鉄道馬車が走るようになった</p>
<p>　　→１８９０年代には、京都で路面電車が走るようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・女性は、日本髪から束髪というスタイルに変わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のように、日本の生活様式は、日本と西洋が混じったような状態だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※地方の農村や漁村では、石油を使うランプや人力車、洋風の駐在巡査などが</p>
<p>　　　出てきたものの、人々の日常生活に大きな変化はなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・社会主義の動きについて押さえる</p>
<p>・当時の生活様式を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1276">社会運動の登場と当時の生活様式について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>桂園時代の日本について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1271</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1271#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:37:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[地方改良運動]]></category>
		<category><![CDATA[大逆事件]]></category>
		<category><![CDATA[工場法]]></category>
		<category><![CDATA[帝国在郷軍人会]]></category>
		<category><![CDATA[戊申詔書]]></category>
		<category><![CDATA[桂園時代]]></category>
		<category><![CDATA[桂太郎]]></category>
		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>
		<category><![CDATA[西園寺公望]]></category>
		<category><![CDATA[鉄道国有法]]></category>

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		<description><![CDATA[桂園時代の日本について考えてみます &#160; &#160; ・桂園時代の日本について &#160; &#160; 　・１９０１年に、第１次桂太郎内閣が誕生した 　　→この内閣は、日英同盟の成立や日露戦争など様々な出来 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1271">桂園時代の日本について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>桂園時代の日本について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・桂園時代の日本について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９０１年に、第１次桂太郎内閣が誕生した</p>
<p>　　→この内閣は、日英同盟の成立や日露戦争など様々な出来事があった時期を担当していた</p>
<p>　　　※第１次桂太郎内閣は１９０５年の終わりに終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第１次桂太郎内閣の時に、野党だった立憲政友会は、</p>
<p>　　鉄道や港を充実させていくことを目標にして、</p>
<p>　　地方で力のある人達の支持を得ながら勢いを伸ばしていった</p>
<p>　　＝その結果、第１次桂太郎内閣が終了した時の、次の内閣を立憲政友会のトップの</p>
<p>　　　西園寺公望という人が担当することになった</p>
<p>　　　※西園寺公望内閣は、１９０６年に鉄道国有法という法律を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西園寺公望内閣は、１９０７年に起きた恐慌によって、行き詰まってしまった</p>
<p>　　→そのため、次の年の総選挙で圧勝したにも関わらず、桂太郎に政権を渡した</p>
<p>　　　＝結果的に、第２次桂太郎内閣が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次桂太郎内閣は、１９０８年に戊申詔書という詔書を出すと同時に、</p>
<p>　　内務省を中心にして地方改良運動という運動を行うことを推奨していった</p>
<p>　　※地方改良運動・・江戸時代からあった村落共同体である旧町村を、</p>
<p>　　　　　　　　　　　新しい町村に組み替え直して、税金を負担する力を</p>
<p>　　　　　　　　　　　高めさせようとした運動のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→地方改良運動によって、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・旧村落のお金が新しく組み替えられた町村に吸収された</p>
<p>　　　　・旧村落の青年会が新しく組み替えられた町村の青年会に組み替えられた</p>
<p>　　　　　→この結果、青年会が内務省や文部省とのつながりを強めることになった</p>
<p>　　　　・１９１０年に帝国在郷軍人会というものが出来た</p>
<p>　　　　　→そのため、町村ごとにあった在郷軍人会というものが、</p>
<p>　　　　　　帝国在郷軍人会の下に編成されることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次桂太郎内閣は、１９１０年に起きた大逆事件という出来事をきっかけとして、</p>
<p>　　社会主義者と無政府主義者を抑えつけるという行動を取った</p>
<p>　　※しかし、工場法という法律を作るなど、社会的な配慮をちょっとだけ行っている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次桂太郎内閣は、韓国併合を行った後、１９１１年にもう一度西園寺公望に内閣を渡した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のように、１０年以上も桂太郎と西園寺公望が交互に内閣を担当した</p>
<p>　　　＝そのため、この２人が中心になって動いていた時代を、</p>
<p>　　　　２人の苗字から一文字ずつとって、桂園時代と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・桂園時代の政治とその様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1271">桂園時代の日本について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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