日本の産業革命とその弊害としての社会問題をまとめてみた
日本は、明治初年から、殖産興業を始めた
※同時に、日本銀行を設立して紙幣を発行させ、官営の事業を払い下げた
=民間の産業の育成を目指した
1880年代後半・・製糸業と紡績業を中心に、民間の産業が急速に発展した
製糸業
→江戸時代の技術にフランスの技術を取り入れて、長野県などに工場を作った
※生糸の生産は1880年からの20年間で4倍に増え、アメリカなどに輸出した
紡績業
→イギリスの技術を取り入れて、上記による大規模な機械生産を始めた
※日清戦争後には、綿糸は盛んに清や韓国に輸出された
=結果的に、1900年ころまでに、製糸業や紡績業(主に軽工業)を中心に、産業革命が達成された
※産業革命の達成によって、資本主義が確立された
※ただし、鉄鋼業などの重工業は遅れていた
→日清戦争後は、鉄鋼の需要が高まり、政府は福岡県に官営の八幡製鉄所を作った
=そのため、日露戦争後に鉄鋼や造船などを中心に、重工業もだんだんと発達していった
※産業革命の時に、鉄道と海運が発達した
鉄道
→1872年:新橋―横浜間で初めて開通
=これを皮切りに、全国に鉄道網が広がっていった
※日露戦争後に、全国の主な鉄道は国有化された
海運
→外国航路がどんどん開設された
※貿易の発展に貢献
=鉄道と海運の発達は、以下のような効果をもたらした
・ヒトとモノが短時間で大量に輸送できるようになった
・経済が発展した
・人々の生活範囲が広がった
※産業革命は、一方で労働問題も引き起こした
=産業革命によって、労働時間が長く、給料が少ないという厳しい労働条件になっていった
→そこで、労働者が団結して、労働条件を改善しようとする運動が、片山潜などの指導で進められた
→そのため、労働組合の結成や労働争議が起きた
※労働問題に対して、政府は治安警察法を制定して、工場法を作った
・治安警察法・・人々を取り締まった
・工場法・・労働条件を改善するための法律
※一方で、幸徳秋水などは社会民主党を結成し、社会主義運動を始めた
→しかし、日露戦争後に明治天皇の暗殺を計画したとして、多くの社会主義者が政府にとらえられた
※加えて、大逆事件も起きた(幸徳秋水などが死刑になった)
=そのため、社会主義運動は厳しく弾圧された
※産業革命は、労働問題に加えて環境問題も引き起こした
=その代表が足尾銅山鉱毒事件だった
→渡良瀬川に鉱毒が流れ込み、流域の住民は被害を受けた
→そこで、田中正造が鉱毒防止と被害者救済の運動を進めた