日本の海外展開と日清戦争をまとめてみた
条約改正の歴史的流れと日清戦争
日本の明治初期の課題・・欧米諸国との不平等条約の改正
→そこで、欧米風の法律や制度を整え、条約の改正を目指したが、日本国内の反対によって失敗した
※この時同時に、イギリスがロシアの動きを警戒していた
=だから、イギリスは日本との条約改正に応じた(1894年の陸奥宗光のときに日英通商航海条約が結ばれた)
→そのため、1894年に領事裁判権の制度が撤廃され、関税自主権の一部が認められた
⇒最終的に、日露戦争後の1911年に関税自主権が確立されて、対等な条約になった
日本は、朝鮮に勢力を広げようとした
→そこで日本は、朝鮮を支配していると考えている清と対立した
→一方で朝鮮国内は、外国や専制的な支配に反対する動きが高まった
※そのため朝鮮では、1894年に東学を信仰する農民を中心とした反乱がおきた(=甲午農民戦争)
→甲午農民戦争に対して、朝鮮は清に軍隊を出すことをお願いした
※この時に、日本も対抗して朝鮮に出兵した
=その結果、朝鮮で日本軍と清軍とによる戦いが起きた(=日清戦争)
→戦争は、近代化が清は遅れていたこともあって、日本が勝利した
日清戦争後、1895年に下関で日本と清の講和条約が結ばれた
→この時、朝鮮の独立、リャオトン半島、台湾、ポンフー諸島の譲渡、賠償金約3億円の支払いなどを認めた
※しかし、ロシアは日本の勢いを警戒していた
→だからロシアは、ドイツやフランスと一緒に、リヤオトン半島の清への返還を日本に求めた(=三国干渉)