大日本帝国憲法と議会の始まりをまとめてみた
国会開設を約束した政府は、伊藤博文などをヨーロッパに送って、ドイツの政治や制度を学んだ
→帰国後、1885年に内閣制度を確立して、初代の内閣総理大臣になった
※その後、伊藤博文を中心に憲法案が作られた
→この憲法案は、枢密院で非公開で審議された後、1889年2月11日に天皇から国民に与える形で、大日本帝国憲法として出した
※憲法の発布によって、以下のようなことが起きた
・天皇が軍隊の統率、外国との条約の締結など、憲法の規定に従って、大臣などの補佐により、国を統治した(=天皇中心の国の仕組み)
・国会(帝国議会)は、衆議院と貴族院の二院制とした
・国会は、法律の制定、予算の決定などの権限もあった
・国民は、憲法によって、制限はあるが様々な権利が認められた
・アジアで唯一の、憲法と議会を持つ近代的な国家となった
憲法と議会の整備の後、民法や地方自治制度が整備された
※最も有名なのは、教育勅語だった
→1890年に教育勅語が出され、天皇を中心とする国民の精神統一が目指された
議会では、1890年に最初の衆議院議員の総選挙が行われ、第1回帝国議会が開かれた
→衆議院は、自由民権派の影響を受ける民党(立憲自由党と立憲改進党)が多数だった
※当時の有権者は、直接国税15円以上を納める25歳以上の男子のみだった