憲法の歴史について① -明治憲法について-

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投稿者:       投稿日時:2013/11/17 17:28      
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明治憲法について考えてみます

 

 

・明治憲法について

 

 ※前提として、明治維新の後、日本で様々な憲法の案(私擬憲法)が作られたことを

  押さえておく必要がある

  →当時は、憲法をもとにして政治を行っていた

   =このように、憲法にもとづいてにして政治を行う事を、立憲主義という

 

 ※明治維新の後の憲法に関する動きとして、自由民権運動という運動が活発だった

  ・自由民権運動・・国民の自由と権利、国会の開設、憲法の制定などを求めた運動のこと

  

  →自由民権運動を抑えること、明治維新以降の国の体制を整えること、などの目的から、

   国会を開設することと憲法を作ることを急いだ

 

 

 ・1889年(明治22年)に、明治天皇によって大日本帝国憲法(明治憲法)が制定された

  ※大日本帝国憲法は欽定憲法だった(反対を民定憲法と言う)

   ・欽定憲法・・君主(天皇や王様など、その国で最も位の高い人のこと)が

          決めた憲法のこと

   ・民定憲法・・国民が決めた憲法のこと

 

 

 ・大日本帝国憲法では、基本的人権や社会契約説などの考え方はなく、

  「臣民の権利」という考え方だった

  ※臣民の権利は、基本的人権のように生まれながらに平等という感覚ではなかった

   →そのため、臣民(天皇以外の国民)の権利というのは、

    法律で制限される部分があった

    =このような状態を、法律の留保と呼んだ

 

 

 ・立法、行政、司法の権利は、統治権を全て引き受けている人(=天皇)の名前で使われた

 

 

 ・外交権や統帥権は天皇大権(天皇が使えた権利のこと)だった

  ※特に、統帥権(軍の最高指揮権のこと)に関しては議会や内閣が

   意見することができなかった

   =そのため統帥権は、統帥権の独立と言われた

 

 

 ・明治憲法では、天皇の直接的な支配が基本だったが・・・

  ・立法権は、帝国議会の協賛(帝国議会が同意の意思を表示すること)によって

   実際に使われた

  ・行政権は、国務大臣の輔弼(天皇が行政を行う時に助言すること)によって

   実際に使われた

  ・帝国議会の衆議院を通じて、臣民が政治に参加出来た

 

  

 ・一方で・・

  ・衆議院とほぼ同じような権限を持っていた貴族院によって、

   衆議院の力が抑えつけられていた

  ・枢密院や軍部などが強い力を持っていた

   →以上のように、明治憲法のもとでは、複雑で自分達の権限を守りながら

    勢力を拡大する仕組みがあった

   ※枢密院・・天皇の最高諮問機関(天皇が意見を聞くための人達の中で、

         最も位の高い機関のこと)であり、国務の審議を行った

         また、枢密院は政党や議会政治の監視なども行った

 

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