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	<title>アラエス &#187; 得宗専制政治</title>
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	<item>
		<title>鎌倉幕府の滅亡について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1156</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1156#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 19:12:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[両統迭立]]></category>
		<category><![CDATA[元弘の変]]></category>
		<category><![CDATA[大覚寺統]]></category>
		<category><![CDATA[後醍醐天皇]]></category>
		<category><![CDATA[得宗専制政治]]></category>
		<category><![CDATA[持明院統]]></category>
		<category><![CDATA[新田義貞]]></category>
		<category><![CDATA[正中の変]]></category>
		<category><![CDATA[足利尊氏]]></category>
		<category><![CDATA[鎌倉幕府]]></category>

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		<description><![CDATA[鎌倉幕府が滅亡する流れを考えてみます &#160; &#160; ・鎌倉幕府が倒れるまでの流れについて &#160; 　・後嵯峨天皇という人が亡くなった後に、皇室が、後深草天皇の影響を受けた持明院統と、 　　亀山天皇の影 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1156">鎌倉幕府の滅亡について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>鎌倉幕府が滅亡する流れを考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・鎌倉幕府が倒れるまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・後嵯峨天皇という人が亡くなった後に、皇室が、後深草天皇の影響を受けた持明院統と、</p>
<p>　　亀山天皇の影響を受けた大覚寺統の２つの系統に分かれた</p>
<p>　　→２つの系統は、皇室の荘園、皇位の継承、院政の権利などを得るために、</p>
<p>　　　争うようになった</p>
<p>　　　※さらに、お互いの系統が鎌倉幕府に近づいて、自分達を有利な地位に</p>
<p>　　　　持って行こうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→上のような流れを受けて、鎌倉幕府は何度か調停を行った</p>
<p>　　＝そのため、２つの系統が交互に皇位につく、という方式を取ることになった</p>
<p>　　＝この方式のことを両統迭立と言う</p>
<p>　</p>
<p>　→この流れの状況の中で、大覚寺統から即位した後醍醐天皇という人が</p>
<p>　　親政（天皇が自分で政治を行うこと）を始めた</p>
<p>　　＝後醍醐天皇は、天皇の地位を安定させようとして、天皇の権限を強化していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→一方で、当時の幕府は、執権だった北条高時と内管領だった長崎高資という２人の人が</p>
<p>　　権力を握っていた</p>
<p>　　＝そのため、得宗専制政治に対して、御家人の怒りが高まってきていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・このような状況の中、幕府が両統迭立を薦めることに対して、天皇は不満を抱いていたため</p>
<p>　　天皇が幕府を倒す計画を考え始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※しかし、１３２４年に、幕府を倒す計画が幕府にもれてしまい、失敗に終わった</p>
<p>　　　　＝この出来事を、正中の変と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※さらに、１３３１年に、挙兵の計画を作って実行しようとしたが、失敗に終わった</p>
<p>　　　　＝この出来事を、元弘の変と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この２回の失敗によって、後醍醐天皇は隠岐という場所に流された</p>
<p>　　　＝その代わり、幕府の推薦によって、持明院統から光厳天皇という人が即位した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、後醍醐天皇の皇子だった護良親王や楠木正成などと呼ばれる人達が</p>
<p>　　悪党などのような、幕府に反発する人達を集めて、幕府の軍と戦った</p>
<p>　　※その間に、後醍醐天皇が隠岐から抜け出して、幕府を倒すように呼びかけを行った</p>
<p>　　　→その結果、幕府を倒そうとして動き出す人が増えてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※その状況の中、大きな２つの出来事が起きた</p>
<p>　　　・幕府の軍の指揮官として、畿内に派遣された有力な御家人だった</p>
<p>　　　　足利高氏（のちの尊氏）という人が幕府に反抗して、六波羅探題を倒した</p>
<p>　　　・関東で挙兵した新田義貞という人が、鎌倉を攻めて得宗の北条高時と</p>
<p>　　　　その後の代を倒した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→この２つが後押しをして、結果的に１３３３年に鎌倉幕府が倒れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・鎌倉幕府の滅亡についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1156">鎌倉幕府の滅亡について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>蒙古襲来後の幕府の衰退について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1153</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1153#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 18:54:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[一期分]]></category>
		<category><![CDATA[幕府]]></category>
		<category><![CDATA[得宗専制政治]]></category>
		<category><![CDATA[悪党]]></category>
		<category><![CDATA[永仁の徳政令]]></category>
		<category><![CDATA[荘園領主]]></category>

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		<description><![CDATA[蒙古襲来後の幕府の衰退について考えてみます &#160; &#160; ・幕府の衰退について &#160; 　・上で書かれた社会の変化によって、社会の様々な発達と変動があった 　　→そのため、幕府が苦しい状況になってしま [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1153">蒙古襲来後の幕府の衰退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>蒙古襲来後の幕府の衰退について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・幕府の衰退について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上で書かれた社会の変化によって、社会の様々な発達と変動があった</p>
<p>　　→そのため、幕府が苦しい状況になってしまっていたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政府が衰退していくまでの流れ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・蒙古襲来の時に、御家人が懸命に戦ったものの、幕府が御家人に十分な恩賞を</p>
<p>　　　あげることが出来なかった</p>
<p>　　　＝結果的に、幕府が御家人の信頼を失うことになってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・御家人の多くは、分割相続が繰り返されたために土地が細かくなってしまったこと、</p>
<p>　　　貨幣経済が発展していったことなどが原因で、貧乏になっていった</p>
<p>　　　※この動きと一緒に、女性の地位が下がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・一期分（本人一代だけで、その人が死んだ後は惣領に返す、という約束つきの</p>
<p>　　　相続のこと）が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→幕府は、貧乏な御家人を救うために、１２９７年に永仁の徳政令という法律を作った</p>
<p>　　　　＝永仁の徳政令によって、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　　　・御家人の土地を質屋などに預けて借金をすることや、土地の売買を禁止した</p>
<p>　　　　　・永仁の徳政令が出る前に、質屋に預けた土地や、売買した土地を無償で戻させた</p>
<p>　　　　　・御家人が関係する貨幣についての裁判を受け付けない</p>
<p>　　　　　　※しかし、効果は一時的だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・中小レベルの御家人がどんどんダメになっていった</p>
<p>　　　→その一方で、当時の経済の状況の変化を上手に捉えて、勢力を広げる武士が出てきた</p>
<p>　　　　※特に、畿内とその周辺では、荘園領主に対抗する地頭や、御家人ではない</p>
<p>　　　　　新しい武士などが武力を使うことで、年貢を納めることを拒否したり、</p>
<p>　　　　　荘園領主に抵抗したりするようになった</p>
<p>　　　　　＝このような武士を、悪党と呼ばれるようになった</p>
<p>　　　　　　→悪党は、全国に広がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　　・以上のような社会の状況を落ち着かせるために、得宗専制政治を強化していった</p>
<p>　　　→しかし、得宗専制政治は、御家人の不満が増えることになってしまった</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→結果的に、幕府の支配が危なくなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・幕府の衰退の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1153">蒙古襲来後の幕府の衰退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>蒙古襲来後の日本の政治について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1151</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1151#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 18:41:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[北条貞時]]></category>
		<category><![CDATA[安達泰盛]]></category>
		<category><![CDATA[平頼綱]]></category>
		<category><![CDATA[得宗専制政治]]></category>
		<category><![CDATA[異国警固番役]]></category>
		<category><![CDATA[蒙古襲来]]></category>
		<category><![CDATA[鎮西探題]]></category>
		<category><![CDATA[霜月騒動]]></category>

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		<description><![CDATA[蒙古襲来後の日本の政治について考えてみます &#160; &#160; ・蒙古襲来後の日本の政治について &#160; 　・元は、蒙古襲来の後も日本の征服を計画していたので、幕府は警戒を続けて、 　　異国警固番役を用い続 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1151">蒙古襲来後の日本の政治について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>蒙古襲来後の日本の政治について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・蒙古襲来後の日本の政治について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・元は、蒙古襲来の後も日本の征服を計画していたので、幕府は警戒を続けて、</p>
<p>　　異国警固番役を用い続けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府は、御家人以外に全国の荘園や公領にいる武士を動かす権利を朝廷から得て、</p>
<p>　　蒙古襲来をきっかけに、西の方でも幕府の勢力が広がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※特に、九州の北部には北条氏を鎮西探題として送った</p>
<p>　　　　・鎮西探題・・九州地方の政治と事務、裁判の判決、御家人の指揮を行う職のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府の支配権が全国的に強化されていく途中で、北条氏の権力がさらに拡大していった</p>
<p>　　※北条氏の中でも家督の後に出てきた得宗の勢力が強くなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・得宗の勢力が強くなると、御内人（得宗の家臣）と御家人との対立も激しくなった</p>
<p>　　※時宗の子どもの北条貞時の代になった時に、</p>
<p>　　　１２８５年に有力な御家人だった安達泰盛などが、御内人の代表（内管領）である</p>
<p>　　　平頼綱という人に倒される、という事件が起きた</p>
<p>　　　＝この事件のことを、霜月騒動と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→北条貞時は、最終的に平頼綱を倒して、幕府の権力を確実なものにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のようにして、得宗の権力が高まってきた状況のもとで、御内人や北条氏が</p>
<p>　　幕府の政治を引っ張っていくようになった</p>
<p>　　＝このような政治の仕組みを得宗専制政治と言う</p>
<p>　</p>
<p>　　※得宗専制政治の状況では、全国の守護や地頭の多くを北条氏が</p>
<p>　　　コントロールするようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・蒙古襲来の後の政治の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1151">蒙古襲来後の日本の政治について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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