蒙古襲来後の幕府の衰退について
蒙古襲来後の幕府の衰退について考えてみます
・幕府の衰退について
・上で書かれた社会の変化によって、社会の様々な発達と変動があった
→そのため、幕府が苦しい状況になってしまっていたと言われている
・政府が衰退していくまでの流れ
・蒙古襲来の時に、御家人が懸命に戦ったものの、幕府が御家人に十分な恩賞を
あげることが出来なかった
=結果的に、幕府が御家人の信頼を失うことになってしまった
・御家人の多くは、分割相続が繰り返されたために土地が細かくなってしまったこと、
貨幣経済が発展していったことなどが原因で、貧乏になっていった
※この動きと一緒に、女性の地位が下がっていった
・一期分(本人一代だけで、その人が死んだ後は惣領に返す、という約束つきの
相続のこと)が増えた
→幕府は、貧乏な御家人を救うために、1297年に永仁の徳政令という法律を作った
=永仁の徳政令によって、以下のようなことを行った
・御家人の土地を質屋などに預けて借金をすることや、土地の売買を禁止した
・永仁の徳政令が出る前に、質屋に預けた土地や、売買した土地を無償で戻させた
・御家人が関係する貨幣についての裁判を受け付けない
※しかし、効果は一時的だった
・中小レベルの御家人がどんどんダメになっていった
→その一方で、当時の経済の状況の変化を上手に捉えて、勢力を広げる武士が出てきた
※特に、畿内とその周辺では、荘園領主に対抗する地頭や、御家人ではない
新しい武士などが武力を使うことで、年貢を納めることを拒否したり、
荘園領主に抵抗したりするようになった
=このような武士を、悪党と呼ばれるようになった
→悪党は、全国に広がっていった
・以上のような社会の状況を落ち着かせるために、得宗専制政治を強化していった
→しかし、得宗専制政治は、御家人の不満が増えることになってしまった
→結果的に、幕府の支配が危なくなっていった
ポイント
・幕府の衰退の様子を押さえる
このあたりが今回のポイントです