蒙古襲来後の日本の政治について
蒙古襲来後の日本の政治について考えてみます
・蒙古襲来後の日本の政治について
・元は、蒙古襲来の後も日本の征服を計画していたので、幕府は警戒を続けて、
異国警固番役を用い続けた
・幕府は、御家人以外に全国の荘園や公領にいる武士を動かす権利を朝廷から得て、
蒙古襲来をきっかけに、西の方でも幕府の勢力が広がっていった
※特に、九州の北部には北条氏を鎮西探題として送った
・鎮西探題・・九州地方の政治と事務、裁判の判決、御家人の指揮を行う職のこと
・幕府の支配権が全国的に強化されていく途中で、北条氏の権力がさらに拡大していった
※北条氏の中でも家督の後に出てきた得宗の勢力が強くなっていった
・得宗の勢力が強くなると、御内人(得宗の家臣)と御家人との対立も激しくなった
※時宗の子どもの北条貞時の代になった時に、
1285年に有力な御家人だった安達泰盛などが、御内人の代表(内管領)である
平頼綱という人に倒される、という事件が起きた
=この事件のことを、霜月騒動と言う
→北条貞時は、最終的に平頼綱を倒して、幕府の権力を確実なものにした
→以上のようにして、得宗の権力が高まってきた状況のもとで、御内人や北条氏が
幕府の政治を引っ張っていくようになった
=このような政治の仕組みを得宗専制政治と言う
※得宗専制政治の状況では、全国の守護や地頭の多くを北条氏が
コントロールするようになった
ポイント
・蒙古襲来の後の政治の様子を押さえる
このあたりが今回のポイントです