蒙古襲来による社会の変化について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/22 03:49      
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蒙古襲来による社会の変化と幕府の衰退について考えてみます

 

 

・社会の変化について

 

 

 ・当時の農業の変化について

 

  ・畿内や西日本で二毛作が行われるようになった

   ※二毛作・・同じ土地で1年に違うものを2種類作ることで、当時は稲の裏で

         冬に麦を作っていた

   ※当時は、大唐米というお米が輸入されていた

 

  ・農業の肥料は、山にある草や木などが使われた

   →代表的なものに、刈敷と草木灰というものがある

    ※・刈敷・・草を刈って田んぼに敷きこむ肥料のこと

     ・草木灰・・草や木を焼いて灰にした肥料のこと

 

  ・鉄製の農具や牛馬を使った農業が行われるようになった

   

  ・荏胡麻(灯油の原料)などが栽培されるようになった

 

  ・絹糸や麻糸が織られた

 

  ・鍛冶、紺屋、鋳物師などの手工業者と呼ばれる人達がいた

   →手工業者は、農村に住んで商品を作るなど、各地を歩いて仕事を行っていた

 

  

 ・当時の社会の変化について

 

  ・荘園、公領の中心や、交通で重要な場所、寺社の前などに、定期市という市が

   開かれるようになった

   ※定期市・・作られたモノを売買する市のこと

 

  ・月に3回の市(三斎市)が多く開かれるようになった

   

  ・地方の市場では、お米や地元の特産品などが売買された

   →地方には、行商人という人が来た

    ※行商人・・中央から織物や工芸品などを運んでくる人のこと

 

  ・京都、奈良、鎌倉などの中心のような都市には、高級品を扱う手工業者や商人が集まった

   →高級品を扱うための特別な場所が必要になり、定期市の他に、

    見世棚が出てくるようになった

    ※見世棚・・常設の小売店のこと

 

  ・高級品を扱う商工業者たちは、平安時代の後期から、大寺社や天皇家に属して

   販売や製造についての特権を認められた

   →その後、座という同業者の団体を作るようになった

    ※大寺社に属した人は神人、天皇家に属した人は供御人と呼ばれた

 

 

  ・遠くをつなげる商業の取り引きが盛んになった

   →遠くとの取り引きを促すために、各地の港などのような交通の重要な場所には、

    問(問丸)が発達した

    ※問・・商品の中継、運送、委託の販売などを仕事とする人達のこと

 

  ・商品の売買は、物々交換ではなく、貨幣が使われるようになった

   ※貨幣には、宋銭が使われた

 

  ・遠くの取り引きでは、為替が使われた

   ※為替・・遠くとの決済や資金移動について、現金の輸送に頼らないで、

        手形で代用する仕組みのこと

 

  ・借上が多く出てくるようになった

   ※借上・・お金を高い金利で貸し出す金融業者のこと

 

  ・荘園の一部では、年貢をお金で納める人が出てきた

 

  ・荘園領主や地頭が農民に対して圧迫したり、違法な対応をしたりしていた

   →そのため農民は、団結して訴訟を起こしたり、集団で逃げたりする、

    というパターンが多くなった

 

 

 

ポイント

・蒙古襲来による社会の変化についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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