鎌倉時代の武士について② -武士の土地支配-
鎌倉時代の武士の土地支配について考えてみます
・武士の土地の支配について
・武士は、自分の土地を拡大しようとして、荘園や公領の領主、土地の近くの武士との間で
年貢の徴収や、土地の境界がどこか、などということについて、紛争が起きるようになった
→特に、承久の乱の後は、畿内や西国の地方にも多くの地頭が任命されるようになり、
東国出身の武士が各地に新しい土地を持つようになったため、土地の支配権のために
紛争がどんどん拡大していった
※幕府が御成敗式目を作ったり、裁判を強化したりしたのは、
上のように紛争が増えたことが影響していたと言われている
・地頭の支配権の拡大の動きに対して、荘園や公領の領主たちが幕府に訴えて、
地頭が年貢の未納などの動きを辞めさせようとした、ということもあった
→しかし、幕府も地頭の行動を止めることが出来なくなったので、
領主は諦めて地頭請所や下地中分などを行うようになった
※・地頭請所・・地頭に荘園の管理を全て任せる代わりに、地頭に
一定の年貢納入を義務付ける契約のこと
・下地中分・・領主が土地の多くを地頭に分け与えて、お互いに土地を支配する
権利を認め合う制度のこと
※幕府は、紛争などの争いについては、当事者どうしの取り決めによる解決を重視していた
→そのため、荘園などの土地の支配権は、段々と地頭に渡っていくことになった
ポイント
・武士の土地支配についてを押さえる
このあたりが今回のポイントです