鎌倉時代の文学と芸術について
鎌倉時代の文学と芸術について考えてみます
・鎌倉時代の文学について
・文学について
・西行という人が、「山家集」という本を書いた
→西行は、平安時代末期で荒れた場所を巡って、すがすがしい秀歌を
読んだと言われている
・鴨長明という人が、「方丈記」という本を書いた
→鴨長明は、人間も社会もすべて変わってしまって、全てむなしいと考えた
・慈円という人が、「愚管抄」という本を書いた
→この本で、承久の乱より前の歴史に共通する内容を調べて、
歴史の正しい道筋を探したものを書いた
※慈円は、源頼朝と仲の良かった摂政と関白の九条兼実という人の弟で、
天台座主という職に就いていた
・和歌について
・藤原定家や藤原家隆などが、「新古今和歌集」という和歌集を編集した
→新古今和歌集は、テクニックを使った表現で、悟ったような美の境地を
生み出そうとしていると言われている
※新古今和歌集は、後鳥羽上皇の命令で作られた
→新古今和歌集のスタイルは、後鳥羽上皇を中心とした貴族によって、
受け入れられるようになっていった
※当時は、歌を読むことが政治に深く関わっていた
→そのため、源実朝は藤原定家から歌を勉強して、万葉調の歌を読んで、
「金塊和歌集」という本を残した
・説話文学について
・承久の乱の後に、「古今著聞集」を代表として様々な作品が作られた
・兼好法師という人が、「徒然草」という本を書いた
→徒然草は、随筆の名作だと言われている
・その他の文学について
・当時の文学の特徴として、軍記物語が描かれたことがある
※軍記物語・・戦乱を題材にして、実際に存在した武士の活動を
生き生きと描いた物語のこと
・軍記物語の最高傑作は、「平家物語」という作品だと言われている
※平家物語・・平氏の盛り上がりや衰退を題材にした物語のこと
→平家物語は、琵琶法師という人が、平曲という曲にして歌ったと言われている
・貴族の文学と学問について
・貴族の間では、昔を思い出して尊重していこうとする考え方があり、
有職故実や古典の研究が盛んになった
※有職故実・・朝廷の儀式や先例などを研究する学問のこと
・武士の中には、金沢実時という人とその子孫が作った金沢文庫という文庫で、
勉強をする人がいた
※金沢文庫・・金沢実時とその子孫が金沢という場所に文庫のこと
・鎌倉の武士達は、日本国内外の文化や学問に関心を持つようになった
・幕府の歴史を編年体というスタイルで書いた、「吾妻鏡」という作品が出てきた
・宋の朱熹という人が、儒学の一つである宋学(朱子学)という学問を作り、
日本に伝えられた
→宋学の内容の一つに、大義名分論という考え方がある
※大義名分論・・身分秩序や礼儀を重視する考え方のこと
→大義名分論は、この後の後醍醐天皇を中心とした討幕運動の
理論的な支えになったと言われている
・伊勢外宮の神官だった度会家行という人が、独自の神道理論を作った
=度会家行が作った理論を、伊勢神道(度会神道)と言う
※度会家行は、「類聚神祇本源」という作品を書き、神本仏迹説を提唱した
・神本仏迹説・・神が中心で、仏が従っているという考え方のこと
(本地垂迹説の反対の考え方)
・鎌倉時代の芸術について
・当時の建築について
※鎌倉時代に新しい芸術が出てきたが、そのきっかけだったのが、
源平の争乱によって焼けた奈良の様々な寺の復興だった
・重源という人は、奈良の寺の復興のための資金の寄付をしてもらうために、
勧進上人という人になって様々な場所を回った
※寄付のために、宋の人だった陳和卿という人の協力を得ていた
・重源と陳和卿という2人によって、結果的に東大寺の再建を中心に行った
→東大寺の再建の時に採用されたのが、大仏様という建築様式だった
※大仏様は雄大さ、力強さがあることが特徴で、
代表的なものに東大寺南大門がある
・鎌倉時代中期の建築について
・鎌倉時代中期に新しい技術が伝えられて、鎌倉の大仏が作られた
・禅宗様(唐様)が伝えられた
→禅宗様は、細かい部材を組み合わせて、整然とした美しさを表現するのが
特徴だと言われている
※禅宗様は、円覚寺舎利殿などの建物に使われている
・折衷様が出てきた
※折衷様・・大仏様と禅宗様を組み合わせた様式のこと
・当時の彫刻について
・運慶、快慶と呼ばれる人達が、南大門金剛力士像という像を作った
※鎌倉時代の彫刻は、奈良時代の伝統を受け継ぎ、写実性や豊かな人間味が
特徴だと言われている
・当時の絵画について
・絵巻物が全盛期を迎えた
→代表的なものに、「蒙古襲来絵巻」、「春日権現験記」、「一遍上人絵伝」などがある
・似絵が出てきて、藤原隆信と藤原信実の親子が有名になった
※似絵・・写実的な個人の肖像画のこと
・鎌倉時代から、禅宗の僧侶が頂相を崇拝する風習が出てきた
※頂相・・自分の師匠の肖像画のこと
・当時の書道について
・宋や元の書道のスタイルが取り入れられるようになった
・伏見天皇の皇子である尊円入道親王という人が、青蓮院流というスタイルを作った
※青蓮院流・・平安時代以降の和様に、宋の書風を取り入れたスタイルのこと
・当時の工芸について
・武具の製作が盛んになった
→特に刀剣では、備前の長光、鎌倉の正宗、京都の藤四郎吉光などが有名になった
・その他の芸術について
・陶器というものが生産されるようになった
→代表的な陶器に、尾張の瀬戸焼がある
※尾張の瀬戸焼は、道元と一緒に宋に行った加藤景正という人が製法を
日本に伝えたことで、瀬戸焼が作られるようになったと言われている
ポイント
・鎌倉時代の文学(文学、和歌、説話文学、その他の文学、貴族の文学と学問など)を押さえる
・鎌倉時代の芸術(時期による建築、彫刻、絵画、書道、工芸、その他の芸術など)を押さえる
このあたりが今回のポイントです