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	<title>アラエス &#187; 承久の乱</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>鎌倉時代の武士について②　－武士の土地支配－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1149</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1149#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 18:28:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[下地中分]]></category>
		<category><![CDATA[地頭請所]]></category>
		<category><![CDATA[御成敗式目]]></category>
		<category><![CDATA[承久の乱]]></category>
		<category><![CDATA[武士]]></category>
		<category><![CDATA[武士の土地支配]]></category>

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		<description><![CDATA[鎌倉時代の武士の土地支配について考えてみます &#160; &#160; ・武士の土地の支配について &#160; 　・武士は、自分の土地を拡大しようとして、荘園や公領の領主、土地の近くの武士との間で 　　年貢の徴収や、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1149">鎌倉時代の武士について②　－武士の土地支配－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>鎌倉時代の武士の土地支配について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・武士の土地の支配について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・武士は、自分の土地を拡大しようとして、荘園や公領の領主、土地の近くの武士との間で</p>
<p>　　年貢の徴収や、土地の境界がどこか、などということについて、紛争が起きるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→特に、承久の乱の後は、畿内や西国の地方にも多くの地頭が任命されるようになり、</p>
<p>　　　東国出身の武士が各地に新しい土地を持つようになったため、土地の支配権のために</p>
<p>　　　紛争がどんどん拡大していった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※幕府が御成敗式目を作ったり、裁判を強化したりしたのは、</p>
<p>　　　　上のように紛争が増えたことが影響していたと言われている</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・地頭の支配権の拡大の動きに対して、荘園や公領の領主たちが幕府に訴えて、</p>
<p>　　地頭が年貢の未納などの動きを辞めさせようとした、ということもあった</p>
<p>　　→しかし、幕府も地頭の行動を止めることが出来なくなったので、</p>
<p>　　　領主は諦めて地頭請所や下地中分などを行うようになった</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※・地頭請所・・地頭に荘園の管理を全て任せる代わりに、地頭に</p>
<p>　　　　　　　　　　　一定の年貢納入を義務付ける契約のこと</p>
<p>　　　　・下地中分・・領主が土地の多くを地頭に分け与えて、お互いに土地を支配する</p>
<p>　　　　　　　　　　　権利を認め合う制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※幕府は、紛争などの争いについては、当事者どうしの取り決めによる解決を重視していた</p>
<p>　　　→そのため、荘園などの土地の支配権は、段々と地頭に渡っていくことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・武士の土地支配についてを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1149">鎌倉時代の武士について②　－武士の土地支配－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>執権政治について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1147</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1147#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 18:18:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[北条時頼]]></category>
		<category><![CDATA[北条泰時]]></category>
		<category><![CDATA[執権政治]]></category>
		<category><![CDATA[宗尊親王]]></category>
		<category><![CDATA[宝治合戦]]></category>
		<category><![CDATA[後嵯峨上皇]]></category>
		<category><![CDATA[御成敗式目]]></category>
		<category><![CDATA[承久の乱]]></category>
		<category><![CDATA[藤原頼嗣]]></category>
		<category><![CDATA[評定衆]]></category>

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		<description><![CDATA[執権政治について考えてみます &#160; &#160; ・執権政治について &#160; &#160; 　・承久の乱の後の幕府は、３代の執権である北条泰時によって、発展していった &#160; &#160; 　・北条泰 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1147">執権政治について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>執権政治について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・執権政治について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・承久の乱の後の幕府は、３代の執権である北条泰時によって、発展していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北条泰時は、執権を補佐する連署を設置した</p>
<p>　　→連署には、北条氏一族の中の有力者を連署にあてた</p>
<p>　　→さらに、有力な御家人や政務が優れた１１人を、評定衆に選んだ</p>
<p>　　　※評定衆・・執権や連署と一緒に幕府の政治や事務の処理や裁判を行った役名のこと</p>
<p>　　→執権政治は、合議制にもとづいて政治を行ってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１２３２年に、北条泰時は御成敗式目（貞永式目）を制定して、御家人に伝えた</p>
<p>　　※御成敗式目・・頼朝以降の先例や、武士の社会での慣習、道徳にもとづいて、</p>
<p>　　　　　　　　　　守護や地頭の任務と権限を定めて、御家人同士や、御家人と荘園領主との</p>
<p>　　　　　　　　　　間の紛争を平等に裁く基準を明らかにした法典のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※御成敗式目が出来た時に、朝廷には律令の系統を持っている公家法と、</p>
<p>　　　荘園領主のための本所法という２つの法律がまだ力を持っていた</p>
<p>　　　→しかし、幕府の勢力が発展するにつれて、御成敗式目の影響が広がっていって、</p>
<p>　　　　公家法や本所法の効果が弱くなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※・必要に応じて、御成敗式目に追加された法令を式目追加と呼ばれる</p>
<p>　　　・室町幕府も式目追加が行われたが、その追加を建武以来追加と呼ばれた</p>
<p>　　　　→これは、御成敗式目が室町幕府でも一部が残っていたことをあらわしている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北条泰時が行った合議制の採用、式目の制定、などの執権政治の政策は、</p>
<p>　　孫で執権だった北条時頼という人に引き継がれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→北条時頼は、評定衆の会議に引付を置いて、引付衆という評定衆を補佐する</p>
<p>　　　役職を作った</p>
<p>　　　＝この動きによって、より早く、より正確で、より公正な裁判を目指した</p>
<p>　　　　※評定衆の中から頭人（トップの人）が選ばれ、その中に数人の引付衆が加えられて、</p>
<p>　　　　　そのメンバーで裁判の判決の原案を作り、その原案を評定で議論して決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・幕府は、前の将軍だった藤原頼経を京都に戻して、子どもの将軍藤原頼嗣の力を弱めた</p>
<p>　　→さらに、幕府は１２４７年に三浦泰村の一族を滅ぼして、</p>
<p>　　　北条氏の地位をより強いものにした</p>
<p>　　　＝この戦いを宝治合戦と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府は、朝廷に対して、政治を全く新しいものにすること、</p>
<p>　　制度の改革を行うことを求めた</p>
<p>　　→それによって、当時の上皇だった後嵯峨上皇によって、評定衆が設置された</p>
<p>　　　＝このことから、幕府が朝廷に深く影響を与えるようになってきたことがわかる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・幕府は、藤原将軍に代えて皇族将軍を立てた</p>
<p>　　→皇族将軍の最初として、後嵯峨上皇の皇子である宗尊親王という人を将軍にした</p>
<p>　　　※皇族将軍は４代続くが、どの代も実際に権力があるわけではなく、</p>
<p>　　　　名前だけの将軍だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のような流れを受けて、執権政治は北条時頼によってさらに強化された</p>
<p>　　※執権政治が強化されたが、同時に北条氏の独裁政権のような形になってしまった</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・執権政治について押さえる</p>
<p>・北条氏の動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1147">執権政治について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>承久の乱について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1146</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1146#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 18:12:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[仲恭天皇]]></category>
		<category><![CDATA[公暁]]></category>
		<category><![CDATA[六波羅探題]]></category>
		<category><![CDATA[後鳥羽上皇]]></category>
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		<description><![CDATA[承久の乱について考えてみます &#160; &#160; ・承久の乱について &#160; 　・幕府の成立したり勢力が拡大したりしたため、京都の朝廷では、今までの朝廷の政治を 　　立て直すことが行われた 　　→その朝廷の [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1146">承久の乱について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>承久の乱について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・承久の乱について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府の成立したり勢力が拡大したりしたため、京都の朝廷では、今までの朝廷の政治を</p>
<p>　　立て直すことが行われた</p>
<p>　　→その朝廷の立て直しを行った中心だったのが、後鳥羽上皇という人だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・後鳥羽上皇は、以下のような行動をとった</p>
<p>　　→・広く大量にあった皇室領の荘園を後鳥羽上皇が持つようになった</p>
<p>　　　・新しく西面の武士（院の西に勤務した武士）を置いて、軍事力を高めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このような行動を取ることで、院政を強めつつ、幕府と対決して朝廷の勢力を</p>
<p>　　　復活させる動きを強めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そのような状況の中で、１２１９年に将軍の源実朝が源頼家の</p>
<p>　　遺児（親が死んだ後に残された子ども）である公暁という人に暗殺された</p>
<p>　　という事件が起きた</p>
<p>　　→この出来事によって、朝廷と幕府との関係が悪くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※朝廷と幕府との関係が悪くなった流れ</p>
<p>　　　・北条義時は、源実朝が死んだ後に、皇族を将軍に招き入れるための交渉を行った</p>
<p>　　　　※しかし、上皇が拒否して交渉が上手に進まなかった</p>
<p>　　　　　→そこで幕府は、源頼朝の遠い血縁関係にある摂関家出身の</p>
<p>　　　　　　幼い藤原頼経を将軍として迎え入れた</p>
<p>　　　　　　＝この後２代続いた摂関家出身の将軍を、藤原将軍（摂関家将軍）と呼ぶ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→関係が不安定になると、１２２１年に後鳥羽上皇は、大寺院の僧兵、</p>
<p>　　畿内や西国の武士、北条氏の勢力の拡大に反対する東国武士の一部を味方につけた</p>
<p>　　＝この動きによって、北条氏を倒す兵が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→・しかし、後鳥羽上皇の期待に反して、後鳥羽上皇についた東国武士のほとんどは、</p>
<p>　　　北条氏のほうに集まって戦いにのぞんだ</p>
<p>　　　※幕府が、源義時の子どもである源泰時と弟の源時房などを中心とした軍を</p>
<p>　　　　京都に送り込んで攻めた</p>
<p>　　　　→１か月の戦いのあと、結果的に幕府の圧倒的な勝利に終わり、３上皇を配流した</p>
<p>　　　　　＝この出来事を承久の乱と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※３上皇の配流の状況について</p>
<p>　　　　　・後鳥羽上皇を隠岐に流した</p>
<p>　　　　　・土御門上皇という人を土佐（後の阿波）に流した</p>
<p>　　　　　・順徳上皇という人を佐渡に流した</p>
<p>　　　　　　※仲恭天皇という人は天皇の地位から降ろされた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・承久の乱の後の状況について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・承久の乱の後、幕府が皇位の継承に加わるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・京都に六波羅探題という職が設置された</p>
<p>　　　→六波羅探題が、朝廷の監視、京都の内と外の警備、西国の指示などを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・後鳥羽上皇のほうについた、貴族や武士の土地である約３０００か所を没収して、</p>
<p>　　　幕府側についた御家人を、没収した土地の地頭に任命した</p>
<p>　　　※没収した土地の地頭に任命する時に、これまで給料が少なかった土地については、</p>
<p>　　　　新補率法を定めて、新補地頭の給料を保障した</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　※新補率法の内容</p>
<p>　　　　　・田畑１１町ごとに１町の土地を、地頭に与える</p>
<p>　　　　　・田地１段につき５升の米（加徴米）を、地頭に与える</p>
<p>　　　　　・山や川からの収益の半分を、地頭に与える</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上の動きによって、畿内や西国の荘園と公領にも、幕府が影響を及ぼすようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→朝廷では、引き続き院政が行われた</p>
<p>　　　※しかし、承久の乱によって、朝廷と幕府の両方が支配する状況が変わった</p>
<p>　　　　＝幕府が優位な立場になり、幕府が皇位の継承や朝廷の政治にも関わるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・承久の乱の内容とその後を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1146">承久の乱について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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