<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 日明貿易</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%97%a5%e6%98%8e%e8%b2%bf%e6%98%93/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%97%a5%e6%98%8e%e8%b2%bf%e6%98%93/feed" />
	<item>
		<title>室町時代の日本と東アジアとの関係について　－日明貿易と日朝貿易－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1171</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1171#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 23 Oct 2013 16:16:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[南北朝時代・室町時代]]></category>
		<category><![CDATA[三浦の乱]]></category>
		<category><![CDATA[倭寇]]></category>
		<category><![CDATA[勘合貿易]]></category>
		<category><![CDATA[天竜寺船]]></category>
		<category><![CDATA[寧波の乱]]></category>
		<category><![CDATA[応永の外寇]]></category>
		<category><![CDATA[日明貿易]]></category>
		<category><![CDATA[朝貢貿易]]></category>
		<category><![CDATA[朱元璋]]></category>
		<category><![CDATA[李成桂]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1171</guid>
		<description><![CDATA[東アジアとの関係について考えてみます &#160; &#160; ・東アジアの動きについて &#160; 　・南北朝の動乱の時に、対馬、壱岐、肥前松浦という地方の住民を中心とした海賊の集団が、 　　朝鮮半島や中国の沿岸を [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1171">室町時代の日本と東アジアとの関係について　－日明貿易と日朝貿易－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東アジアとの関係について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東アジアの動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・南北朝の動乱の時に、対馬、壱岐、肥前松浦という地方の住民を中心とした海賊の集団が、</p>
<p>　　朝鮮半島や中国の沿岸を襲う、という事件が起きた</p>
<p>　　＝この時の海賊の集団のことを倭寇と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※倭寇は何をしたのか</p>
<p>　　　→朝鮮半島沿岸の人々を捕まえたり、米や大豆などの食料を奪ったりした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※高麗という国は倭寇に悩まされていたので、日本に人を送って</p>
<p>　　　倭寇を禁止することをお願いした</p>
<p>　　　→しかし、日本の内部が混乱している状況だったので、</p>
<p>　　　　倭寇を禁止させることができなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・中国では、１３６８年に朱元璋という人が元を倒して、明という国を誕生させた</p>
<p>　　　→明は、中国を中心とした国際関係にすることを目指して、近くの国と交渉した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※日本は、蒙古襲来の後も元と正式な国交はなく、</p>
<p>　　　　　個人的な商船の往復があるだけだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※足利尊氏は、夢窓疎石という人のすすめによって、天竜寺という</p>
<p>　　　　　後醍醐天皇の冥福を祈るための寺を建てようとしていて、</p>
<p>　　　　　そのための費用を得るために天竜寺船という船を元に送った</p>
<p>　　　　　→この動きは、建長寺という寺の修復の資金を得ようとして元に送った</p>
<p>　　　　　　建長寺船の例を参考にしたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・足利義満は、明が近くの国と交渉しようとしていることを知って、</p>
<p>　　　明に使いを送り、国交を開いた</p>
<p>　　※その時の使いの第１回は、正使が僧の祖阿、副使が博多商人の肥富という人だった</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本と明との関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日本は、明と日明貿易という貿易を行った</p>
<p>　　　→しかし、明は自分を中心とした国際関係を作りたかった</p>
<p>　　　　＝そのため、日本が明に朝貢（日本が明の朝廷に貢物を渡す）して、</p>
<p>　　　　　そのお礼に品物を受け取る、という方式だった</p>
<p>　　　　　※このような貿易のスタイルを朝貢貿易と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・国交を開く時に、足利義満は使者に国書（その国のトップが国の名前を使って作る</p>
<p>　　　外交のための文書のこと）を持たせて明に派遣した</p>
<p>　　　→この時、明の皇帝は日本に明の暦を渡した</p>
<p>　　　　＝そのため、日本から明に送る文書には、「日本国王臣源」と署名していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※どういうことなのか</p>
<p>　　　　　→当時は、暦を受け取ることは、相手の国に服従する、</p>
<p>　　　　　　ということを認める象徴的な行為だった</p>
<p>　　　　　　＝そのため、日本は朝貢貿易のような形になってしまった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　　※さらに、日本は遣明船（明への船）を明に送る時は、明から渡された</p>
<p>　　　　　勘合という証票を持って行くことが義務になった</p>
<p>　　　　　＝そのため、日明貿易は勘合貿易とも言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日明貿易は、４代将軍の足利義持が朝貢貿易のスタイルに反対して、一旦中断したが、</p>
<p>　　　６代将軍の足利義教の時に再開した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　　※朝貢貿易の時は、日本の滞在費や運搬費などを全て明が負担してくれていた</p>
<p>　　　　　＝そのため、日本の貿易による利益はとても大きかった</p>
<p>　　　　　　→特に、明から大量に入ってきた銅銭（明銭）は、</p>
<p>　　　　　　　日本の貨幣の流通に大きな影響を与えたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※日本は、武器、工芸品、鉱山物などを輸出した</p>
<p>　　　　　日本は、銅銭、生糸、陶磁器、書籍、絵画などを輸入した</p>
<p>　　　　　→明から入ってきたモノは、唐物と呼ばれ、重視されていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・日本の貿易の時の状況について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１５世紀の後半に、幕府が衰退していった</p>
<p>　　　→それと同時に貿易の権限は、堺の商人と手を組んだ細川氏、</p>
<p>　　　　博多の商人と手を組んだ大内氏などが持つようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・細川氏と大内氏は、貿易の権限のために戦うようになった</p>
<p>　　　→特に１５２３年には、寧波というところで大きな対立が起きた</p>
<p>　　　　＝この戦いのことを、寧波の乱と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・寧波の乱では、大内氏が勝ったため、貿易の権力を大内氏が独占した</p>
<p>　　　※しかし、１６世紀に大内氏が倒れると同時に、勘合貿易も止まってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・勘合貿易が止まった時に、倭寇の活動がまた活発になった</p>
<p>　　　※海賊の行動は、豊臣秀吉という人が海賊取締令という法律を出すまで</p>
<p>　　　　続いたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※南北朝の内乱の時の倭寇を前期倭寇と言い、</p>
<p>　　　　勘合貿易が止まった時に出てきた倭寇を後期倭寇と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の朝鮮半島の状況について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朝鮮半島では、１３９２年に、武将の李成桂という人が倭寇を倒したので有名になった</p>
<p>　　　→李成桂は、高麗を倒して朝鮮を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朝鮮は国交と倭寇の禁止を日本に求めた</p>
<p>　　　→この要求に対しては、足利義満が応じたので、日本と朝鮮との間に国交が開かれ、</p>
<p>　　　　貿易も行われた</p>
<p>　　　　＝この時の、日本と朝鮮との貿易を日朝貿易と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日朝貿易は、明との貿易とは違い、最初から守護、国人、商人など様々な人が</p>
<p>　　　参加して、活発に行われた</p>
<p>　　　※朝鮮側は、対馬の宗氏という豪族を通して、国交についての制度を決めて、</p>
<p>　　　　貿易の制限をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日朝貿易は応永の外寇という出来事によって、一回ストップしてしまったが、</p>
<p>　　　　１６世紀まで活発に行われた</p>
<p>　　　　応永の外寇・・宗氏のトップが変わって、倭寇の活動が活発になったため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　１４１９年に朝鮮軍が対馬を倭寇の本拠地だと考えて、</p>
<p>　　　　　　　　　　　対馬を攻撃した出来事のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　・朝鮮は、日朝貿易のために、富山浦（釜山）、乃而浦（斉浦）、塩浦（蔚山）の</p>
<p>　　　３つの港（三浦）を開いて、三浦と朝鮮の首都の漢城（漢陽）に、</p>
<p>　　　倭館という日本の使いの接待と貿易のための施設を設置した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朝鮮からは、特に木綿が大量に輸入された</p>
<p>　　　→木綿は、日本の衣服に関して大きな影響を与えたと言われている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※・日本は、鉱山物、工芸品、蘇木、香木などを輸出した</p>
<p>　　　　・日本は、大蔵経なども輸入した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日朝貿易は、１５１０年に三浦の乱が起きてから、少しずつ減っていってしまった</p>
<p>　　　※三浦の乱・・三浦に住んでいた日本人には特権があったが、</p>
<p>　　　　　　　　　　その特権がだんだん少なくなっていったことに対して</p>
<p>　　　　　　　　　　怒った日本人が暴動を起こした事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東アジアの動きを押さえる</p>
<p>・中国の動きを押さえる</p>
<p>・日本と明との関係を押さえる</p>
<p>・日本の貿易の状況を押さえる</p>
<p>・朝鮮半島の動きと日本との関係を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1171">室町時代の日本と東アジアとの関係について　－日明貿易と日朝貿易－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1171/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1171" />
	</item>
		<item>
		<title>室町時代の農業と商工業について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1169</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1169#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 23 Oct 2013 15:07:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[南北朝時代・室町時代]]></category>
		<category><![CDATA[三毛作]]></category>
		<category><![CDATA[下肥]]></category>
		<category><![CDATA[六斎市]]></category>
		<category><![CDATA[塩田]]></category>
		<category><![CDATA[大原女]]></category>
		<category><![CDATA[座]]></category>
		<category><![CDATA[手工業]]></category>
		<category><![CDATA[日明貿易]]></category>
		<category><![CDATA[連雀商人]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1169</guid>
		<description><![CDATA[室町時代の農業と商工業について考えてみます &#160; &#160; ・当時の農業について &#160; 　※当時の農業の大きな特徴は、土地の生産性を上げるために、集約的かつ多角的だった 　　ということだと言われている [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1169">室町時代の農業と商工業について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>室町時代の農業と商工業について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の農業について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※当時の農業の大きな特徴は、土地の生産性を上げるために、集約的かつ多角的だった</p>
<p>　　ということだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の畿内では、灌漑や排水の施設が整備されたり改善されたりしたため、</p>
<p>　　三毛作も行われるようになった</p>
<p>　　※三毛作・・同じ土地で１年間に３種類の作物を作ること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・水稲の品種改良が進んだので、早稲、中稲、晩稲という３種類の品種の稲が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・肥料に、今までの刈敷や草木灰に加えて、下肥というものが使われるようになった</p>
<p>　　→そのため、土地と収穫が安定してきたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・手工業の原料（苧、桑、漆、藍、茶など）の栽培が盛んになった</p>
<p>　　→農村での加工業も発達したので、原料が商品として出回るようになった</p>
<p>　　　＝このような向上は、農民の生活の向上、モノの需要の増加などを生み、</p>
<p>　　　　農村で商品経済が浸透したと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の商工業について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、農業と農民の生活が向上したため、商工業などの地方の産業が盛んになった</p>
<p>　　→中でも、地方の特色を生かした地方の特産品が作られるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時の特産物について</p>
<p>　　　・加賀や丹後・・絹織物</p>
<p>　　　・美濃・・美濃紙</p>
<p>　　　・播磨・・杉原紙</p>
<p>　　　・備前・・刀</p>
<p>　　　・河内・・鍋</p>
<p>　　　・京都・・高級絹織物</p>
<p>　　　・美濃や尾張・・陶器</p>
<p>　　　・能登や筑前・・釜　</p>
<p>　　　・河内や大和や摂津・・酒　etc</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　→刀は、国内での消費だけでなく、日明貿易という貿易の時に輸出する商品</p>
<p>　　　　　としても重宝された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・製塩（塩を作ること）のための塩田が２種類出てきた</p>
<p>　　・自然浜（揚げ浜）・・ほとんど手を加えていない塩田のこと</p>
<p>　　・古式入浜（後の入浜塩田）・・砂浜を堤で囲った砂浜に、潮の満ち引きを利用して</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　海水を取り入れる塩田のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・地方の市場は、今までは月に３回開いていたが、応仁の乱が起きてからは</p>
<p>　　月に６回開かれるようになった</p>
<p>　　＝月に６回開かれる市を、六斎市と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、連雀商人や振売と呼ばれる行商人の数が増えて行った</p>
<p>　　※・連雀商人・・連雀という道具を使って行商した商人のこと</p>
<p>　　　・振売・・商品を担いで、モノの名前を言いながら売り歩いた商人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→連雀商人や振売には、大原女や桂女を始めとして、女性の活躍が増えてきた</p>
<p>　　　※・大原女・・炭や薪を売る商人のこと</p>
<p>　　　　・桂女・・鵜飼いの集団で、鮎を売る商人のこと</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　※女性は、金融業などにも進出していたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・京都の米場や淀の魚市と呼ばれるような、ある特定の商品だけを売る市場が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・手工業や商人の座（同業組合のこと）の種類が圧倒的に増えた</p>
<p>　　※中には、大寺社や天皇家から神人、供御人という称号与えられたことを理由に、</p>
<p>　　　関銭の免除や広い範囲での独占的な販売の権利を認められて、</p>
<p>　　　全国レベルで活動した座もあった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※様々な免除を受けた例</p>
<p>　　　　・灯炉供御人（鋳物師）は、蔵人所を本所として、朝廷の権力によって</p>
<p>　　　　　関銭を免除されて、全国レベルで商売を行った</p>
<p>　　　　・大山崎の油神人（油座）は、石清水八幡宮を本所として、幅広い油の販売と、</p>
<p>　　　　　荏胡麻（油の原料）を買う独占権を持っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※１５世紀以降は、座に加わらない新しい商人が出てきたり、</p>
<p>　　　本所を持たない座（仲間）が増えてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・室町時代の農業についておさえる</p>
<p>・室町時代の商工業についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1169">室町時代の農業と商工業について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1169/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1169" />
	</item>
		<item>
		<title>室町幕府について　－仕組みと内容－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1163</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1163#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 23 Oct 2013 12:43:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[南北朝時代・室町時代]]></category>
		<category><![CDATA[三管領]]></category>
		<category><![CDATA[土倉]]></category>
		<category><![CDATA[土岐康行の乱]]></category>
		<category><![CDATA[守護代]]></category>
		<category><![CDATA[室町幕府]]></category>
		<category><![CDATA[応永の乱]]></category>
		<category><![CDATA[日明貿易]]></category>
		<category><![CDATA[明徳の乱]]></category>
		<category><![CDATA[足利義満]]></category>
		<category><![CDATA[鎌倉公方]]></category>
		<category><![CDATA[関東管領]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1163</guid>
		<description><![CDATA[室町幕府について考えてみます &#160; &#160; ・室町幕府について &#160; 　・足利尊氏の孫である足利義満が３代将軍になった時に、南北朝の動乱が 　　落ち着いてきたため、幕府が安定してきた &#160;  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1163">室町幕府について　－仕組みと内容－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>室町幕府について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・室町幕府について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・足利尊氏の孫である足利義満が３代将軍になった時に、南北朝の動乱が</p>
<p>　　落ち着いてきたため、幕府が安定してきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、足利義満は１３９２年に南朝と交渉をして、南北朝の合体を達成し、</p>
<p>　　　南北朝の動乱を終わらせることが出来た</p>
<p>　　　※当時南朝だった後亀山天皇という人が天皇の位を捨てて、北朝に入っていったため、</p>
<p>　　　　天皇が北朝の後小松天皇という人だけになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・足利義満は、今まで朝廷が持っていた以下のような権利を幕府に移し替えた</p>
<p>　　→・京都の市政権（京都の警察権や民事裁判権、土倉や酒屋の商業課税権など）が</p>
<p>　　　　幕府のものになった</p>
<p>　　　・様々な国に課されている段銭を徴収する権利が幕府のものになった　etc</p>
<p>　　　　※段銭・・様々な国の田んぼから段数に応じて、臨時に徴収した金銭のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・足利義満は、１３７８年に、京都の室町という場所に壮麗な家（花御所）を作って、</p>
<p>　　そこで政治を行うようになった</p>
<p>　　＝そのため、この幕府を室町幕府と呼ぶ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・足利義満は将軍を辞めて、太政大臣になり、出家した後も</p>
<p>　　幕府や朝廷に対して権力を使うようになった</p>
<p>　　※・その時に、足利義満の妻を天皇の准母（天皇の名目上の母）にした</p>
<p>　　　・また、足利義満が死んだ後に、朝廷が足利義満に天皇の名目上の父として</p>
<p>　　　　太上天皇を与えようとした</p>
<p>　　　　→しかし、この朝廷の考えに対しては、４代将軍の足利義持が拒否した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・足利義満は、南北朝の動乱の時に強い権力を持つようになった守護を制限するために、</p>
<p>　　土岐氏、山名氏、大内氏などと呼ばれる有力な守護を倒して、守護の勢力を減らそうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※勢力の削減のために、足利義満が行った出来事</p>
<p>　　　　・１３９０年に、美濃、尾張、伊勢の守護を担当していた、土岐氏を倒した</p>
<p>　　　　　＝この出来事を土岐康行の乱と言う</p>
<p>　　　　・１３９１年に、西国１１ヵ国の守護を担当して、山名氏清という人を倒した</p>
<p>　　　　　＝この出来事を明徳の乱と言う</p>
<p>　　　　　　※山名氏は、日本に六十何か国のうちの６分の１を担当していたので、</p>
<p>　　　　　　　六分の一衆と呼ばれていた</p>
<p>　　　　・１３９９年に大内義弘という人を倒した</p>
<p>　　　　　＝この出来事を応永の乱と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※上のような乱は、全部足利義満が挑発して引き起こしたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府の仕組みについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・幕府の仕組みは、室町幕府にかなり整ったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・管領という役職作った</p>
<p>　　　※管領の役割</p>
<p>　　　　・将軍を補佐する中心的な職業だった</p>
<p>　　　　・侍所や政所などの中央の機関をまとめた</p>
<p>　　　　・様々な国の守護に対して、将軍の命令を伝えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※管領には、足利氏の一門だった細川氏、斯波氏、畠山氏の３つの氏が交代で任命された</p>
<p>　　　　＝この３つの氏を三管領と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・侍所のトップ（所司）は、赤松氏、一色氏、山名氏、京極氏の４氏から</p>
<p>　　　任命されることになった</p>
<p>　　　＝この４氏を、四職と言う</p>
<p>　　　　※侍所・・京都の中や外の警備や刑事裁判を担当する役所のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・普通の守護は、領国に関しては守護代に任せて、</p>
<p>　　　自分は京都にいて幕府に向かうのが基本だった</p>
<p>　　　※守護代・・本来の守護の代わりに守護を担当する役人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府の軍事について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・幕府は、将軍の権力を支えるために、軍事力を高めることに力を注いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・昔からの足利氏の家臣、力のある地方の武士、守護の一族などを集めて、</p>
<p>　　　奉公衆という幕府が直接支配する軍隊を作った　　　</p>
<p>　　</p>
<p>　　・奉公衆は、京都で将軍を守ること、御料所を管理することなどを行い、</p>
<p>　　　守護の動きを見守る役割も担った</p>
<p>　　　※御料所・・様々な国にある将軍が直接管理している土地のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府の財政について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・幕府の財源は、御料所、守護の分担金、地頭や御家人に対する税金の負担などだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・土倉や酒屋に、土倉役や酒屋役という税を負担させた</p>
<p>　　　※土倉・・当時の高利貸し業者のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・交通の重要な場所に、関所を作って関銭や津料を集めた</p>
<p>　　　※関銭・・関所を通る時に徴収される通行税のこと</p>
<p>　　　　津料・・船着場や港で徴収される通行税のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・京都の保護のもとで、金融に関する活動を行っていた京都五山というところの僧侶にも税金をかけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・明との貿易（日明貿易）で利益を得た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・国家的な行事の時には、段銭や棟別銭などを課することがあった</p>
<p>　　　※段銭・・田んぼから回収した金銭のこと</p>
<p>　　　　棟別銭・・家の数に応じて回収された金銭のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府の地方の支配について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・鎌倉府や九州探題などと呼ばれる、その地方をまとめる機関が作られた</p>
<p>　　　※足利尊氏は鎌倉幕府の中心だった関東を特に重視した</p>
<p>　　　　→そのため、足利尊氏の子どもの足利基氏を鎌倉公方にして、</p>
<p>　　　　　鎌倉府を開かせて、足利基氏に東国の支配を任せた</p>
<p>　　　　　※鎌倉公方・・鎌倉府のトップの人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・鎌倉公方は、足利基氏の子孫が受け継いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・関東管領（鎌倉公方を補佐する役職）は、上杉氏という氏族がずっと担当していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※鎌倉府は、本来の幕府と同じような権力があった</p>
<p>　　　→そのため、京都の幕府と何度がぶつかることがあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・室町幕府の概要を押さえる</p>
<p>・室町幕府の仕組みを押さえる</p>
<p>・室町幕府の軍事についてを押さえる</p>
<p>・室町幕府の財政についてを押さえる</p>
<p>・室町幕府の地方の支配についてを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1163">室町幕府について　－仕組みと内容－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1163/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1163" />
	</item>
	</channel>
</rss>
