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	<title>アラエス &#187; 普通選挙法</title>
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	<item>
		<title>大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2505</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2505#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 18 Feb 2014 23:21:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[五大国]]></category>
		<category><![CDATA[全国水平社]]></category>
		<category><![CDATA[労働争議]]></category>
		<category><![CDATA[原敬]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[小作争議]]></category>
		<category><![CDATA[日本共産党]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>

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		<description><![CDATA[大正デモクラシーと政党政治と軍縮の動きについて &#160; &#160; &#160; 大正時代・・民主主義的な動きが進み、大正デモクラシーの風潮が盛り上がった →この背景によって、政党の力も大きくなってきた &#038;nbs [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2505">大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大正デモクラシーと政党政治と軍縮の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>大正時代・・民主主義的な動きが進み、<strong>大正デモクラシー</strong>の風潮が盛り上がった</p>
<p>→この背景によって、政党の力も大きくなってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>米騒動の後、1918年9月に、<strong>立憲政友会</strong>（当時の衆議院の第一党）の総裁だった<strong>原敬</strong>という人が、内閣を作った</p>
<p>※衆議院議員の首相は初</p>
<p>→原敬は、初めての本格的な<strong>政党内閣</strong>で、政党政治を進めて選挙権を拡大した</p>
<p>※知識人や労働者の間に普通選挙の実現を目指す運動が盛り上がると、時期が早いとして原敬は反対した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦末期から戦後にかけて、民衆が様々な社会運動を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→実際に、労働組合の指導で賃上げや労働時間の短縮を求めて<strong>労働争議</strong>が何度か起きた</p>
<p>※1920年には、日本最初の<strong>メーデー</strong>も行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→農村では、地主に対して小作料の引き下げや耕作する権利の要求などが行われた（＝<strong>小作争議</strong>）</p>
<p>※この時に、<strong>日本農民組合</strong>も作られている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→女性を社会的差別から解放し、その地位を高めようとする運動が、<strong>平塚らいてう</strong>などによって進められた</p>
<p>※大戦後は、市川房枝などによる婦人参政権の実現を目指す運動も起きていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→部落差別に苦しんでいた人々が、1922年に<strong>全国水平社</strong>を作って、団結した上で差別からの解放や自由などを求める運動を進めた</p>
<p>※1922年に、<strong>日本共産党</strong>がひっそりと結成され、労働者階級による独裁を目指す活動を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→北海道では、アイヌの人々を差別から解放する運動が起こった</p>
<p>※実際に、1930年に<strong>北海道アイヌ協会</strong>が設立された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1920年代に入って、普通選挙を求める運動が、民衆運動として活発になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→<strong>第二次護憲運動</strong>によって、1924年に護憲派の政党の連立によって加藤高明内閣が出てきた</p>
<p>※ここから五・一五事件までの8年間、衆議院を土台とする政党内閣が続いた</p>
<p>＝1925年に、加藤内閣のもとで、25歳以上の男子に選挙権を与える<strong>普通選挙法</strong>が成立した</p>
<p>※ただし、女性の参政権は認められなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→一方で、同じ1925年に、天皇中心の国の在り方を変えたり、<strong>私有財産制の廃止</strong>を目指したりする運動を取り締まろうとした</p>
<p>＝そのため、<strong>治安維持法</strong>を成立した</p>
<p>※治安維持法によって、社会主義運動が制約を受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦の後、日本は世界の<strong>五大国</strong>の一つとなった</p>
<p>※実際に、国際社会における日本の地位と責任は大きくなった</p>
<p>→1920年代に、日本は以下のようなことを行っている</p>
<p>・日本は国際協調外交を進めた</p>
<p>・アメリカやイギリスなどと協力して軍縮を行った</p>
<p>・中国に対して、武力的干渉を避ける政策をとった</p>
<p>※ただし、日本の中国に対する外交が弱いと非難する意見が日本国内で出てきた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2505">大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1813</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1813#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 08:35:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[マッカーサー３原則]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[明治憲法]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[護憲運動]]></category>

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		<description><![CDATA[明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れを考えてみます &#160; &#160; ・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて &#160; &#160; 　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは 　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1813">憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れを考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは</p>
<p>　　元老（憲法には書かれていなかったが、政治の事務的な部分の決定や、</p>
<p>　　首相の決定などに関して力のあった人）だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　→大正時代になると、護憲運動などの影響で政党の力が強くなってきた</p>
<p>　　　※護憲運動・・その当時の官僚の内閣などを潰して、</p>
<p>　　　　　　　　　　政党内閣を作ろうとした運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→第一次世界大戦（１９１４～１９１８）の後には、</p>
<p>　　　世界的に民主主義の雰囲気が強くなっていった</p>
<p>　　　＝その影響で大正から昭和にかけて、「憲政の常道」として</p>
<p>　　　　政党内閣と政権政治が中心となった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→大正には、大正デモクラシーという運動が起き、</p>
<p>　　　天皇機関説や民本主義が大正デモクラシーの後押しをしたと言われる</p>
<p>　　　※・大正デモクラシー・・民主主義を目指す運動のこと</p>
<p>　　　　・天皇機関説・・天皇を国家の機関だとする考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　美濃部達吉によって提唱されたが、右翼などに攻撃されたため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　著書は発売禁止となり、結果的に美濃部達吉は</p>
<p>　　　　　　　　　　　　貴族院の議員を辞職することになってしまった</p>
<p>　　　　・民本主義・・天皇を主権にした上で、民主主義の実現を目指す考え方のことで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　吉野作造と言う人が主張した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このような流れを受けて、</p>
<p>　　　１９２５年になると、普通選挙制度（普通選挙法）と治安維持法が成立した</p>
<p>　　　※・普通選挙制度（普通選挙法）・・満２５歳以上の男子全員に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　選挙権が与えられた制度のこと</p>
<p>　　　　・治安維持法・・共産主義のための運動を制限して、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　資本主義や天皇主権以外の考え方を取り締まる法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２９年の世界恐慌以降、経済や社会などに対して日本国内での不安が増えてきた</p>
<p>　　　すると、天皇が統帥権を使って軍部を動かし、軍部の力が強くなり、</p>
<p>　　　軍部を使おうとしたため、大陸を侵略するようになった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→１９３２年には、五・一五事件が、１９３６年には、二・二六事件が起こり、</p>
<p>　　　世界各地が第二次世界大戦へ向かった　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本国憲法が出来るまで</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年（昭和２０年）に、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件で降伏を認めた</p>
<p>　　※ポツダム宣言では、政治を民主的にすること、軍国主義を無くすこと、</p>
<p>　　　などが考えられていた</p>
<p>　　　</p>
<p>　・そこで日本は、憲法問題調査委員会というところが松本案という憲法の改正案を作ったが、</p>
<p>　　明治憲法と内容があまり変わらないということで、却下されてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのため、連合国軍総司令部（GHQ）がマッカーサー３原則という憲法の下書きを作り、</p>
<p>　　　それをベースに帝国議会でいろいろと修正された</p>
<p>　　　＝これが結果的に日本国憲法となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※・マッカーサー３原則：天皇をトップに置くこと、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　戦争を放棄すること、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　封建的な制度を廃止すること</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　を原則とした内容のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　※・日本国憲法は、１９４６年１１月３日に公布され、１９４７年５月３日に施行された</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1813">憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>護憲三派内閣の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1292</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1292#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:40:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[加藤高明]]></category>
		<category><![CDATA[憲政の常道]]></category>
		<category><![CDATA[憲政会]]></category>
		<category><![CDATA[日ソ国交樹立]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[清浦奎吾]]></category>
		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>
		<category><![CDATA[第二次護憲運動]]></category>
		<category><![CDATA[護憲三派]]></category>

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		<description><![CDATA[護憲三派内閣の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・護憲三派の登場のその様子について &#160; 　※護憲三派とは・・憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の３つの政党をまとめた呼び方のこと　 &#160;  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1292">護憲三派内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>護憲三派内閣の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・護憲三派の登場のその様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※護憲三派とは・・憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の３つの政党をまとめた呼び方のこと　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２４年に貴族院や官僚などの力を武器に、清浦奎吾という人が超然内閣を作った</p>
<p>　　→その時に、憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の３党が、超然内閣に反対して、</p>
<p>　　　憲政擁護のための運動を行った</p>
<p>　　　＝この運動を、第二次護憲運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政府は、立憲政友会を抜けた人達が作った政友本党という政党を味方にして、</p>
<p>　　議会を解散させた</p>
<p>　　→しかし、総選挙の結果は護憲三派の圧勝だったため、</p>
<p>　　　清浦奎吾内閣は総辞職をすることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→清浦奎吾内閣に代わって、衆議院第一党の憲政会トップの加藤高明という人が</p>
<p>　　　３党の連立政権で内閣を作った</p>
<p>　　　＝この内閣を護憲三派内閣という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・加藤高明内閣は、以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・幣原喜重郎外務大臣が行っていた協調外交を展開していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９２５年に普通選挙法という法律を作った</p>
<p>　　　→この法律によって、満２５歳以上の男性が全て有権者として、</p>
<p>　　　　衆議院議員選挙で投票するこという、普通選挙制になって、有権者が約４倍に増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９２５年に治安維持法という法律が作られた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※治安維持法について</p>
<p>　　　　・治安維持法とは・・「国体」の変化や私有財産制を否定することを目的とする</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　団体を作った人とその団体に参加した人を処罰することを</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　決めた法律のこと</p>
<p>　　　　　※国体・・国家の主権がどのように存在しているかによって区別される</p>
<p>　　　　　　　　　　国家のスタイルのこと</p>
<p>　　　　　　　　　　→当時の場合は、天皇制を指す</p>
<p>　　　　・治安維持法を作った目的には、大きく以下の２つがあったと言われている</p>
<p>　　　　　→・１９２５年の日ソ国交樹立によって、共産主義の考え方が</p>
<p>　　　　　　　日本で広まるのを防いだ</p>
<p>　　　　　　・普通選挙法によって、労働者が政治に与える影響力が大きくなるのを</p>
<p>　　　　　　　防ごうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２５年に、立憲政友会が陸軍と長州藩の長老だった田中義一という人を</p>
<p>　　トップに置いて、革新倶楽部を吸収するということが起きた</p>
<p>　　→この時に、護憲三派の政治は終了し、憲政会が単独で行う内閣になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２６年に、加藤高明が病気で亡くなると、憲政会の後を継いだ</p>
<p>　　　若槻礼次郎という人が内閣を担当した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２６年（大正１５年）の終わりに、大正天皇が死去し、</p>
<p>　　摂政の裕仁親王（昭和天皇）という人が天皇に就いた</p>
<p>　　＝そのため、元号が昭和になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２７年に第１次若槻礼次郎内閣が、金融恐慌という恐慌の処理に失敗したため、終了した</p>
<p>　　→その後、立憲政友会のトップの田中義一という人が次の内閣を作った</p>
<p>　　　※この時、野党だった憲政会が政友本党と組み合わせて、立憲民政党という政党を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→その後、１９２４年の第１次加藤高明内閣が出来てから、</p>
<p>　　１９３２年の五・一五事件という事件で犬養毅内閣が終了するまでの８年間は、</p>
<p>　　立憲政友会と憲政会（後の立憲民政党）という２大政党のトップが交代で内閣を</p>
<p>　　行うという状態だった</p>
<p>　　＝この状態を「憲政の常道」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※立憲政友会と憲政党はどのような政策を考えていたのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・立憲政友会</p>
<p>　　　　→・インフラの整備や産業の推奨などの積極政策を行った</p>
<p>　　　　　・地域で利益が出るようにすることに対して熱心だった</p>
<p>　　　　　・中国に対する政策については、軍に合わせる形での積極的な方針を取った</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・憲政会</p>
<p>　　　　→・普通選挙の実現や軍備の縮小など、デモクラシー的な政策を行った</p>
<p>　　　　　・政友本党と組み合わさって立憲民政党になってからも、「議会中心主義」を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・護憲三派を中心にした当時の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1292">護憲三派内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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