大正デモクラシーと政党政治・軍縮について(第一次大戦後の日本の政治的な動き)をまとめてみた
事前に読むと理解が深まる記事
大正デモクラシーと政党政治と軍縮の動きについて
大正時代・・民主主義的な動きが進み、大正デモクラシーの風潮が盛り上がった
→この背景によって、政党の力も大きくなってきた
米騒動の後、1918年9月に、立憲政友会(当時の衆議院の第一党)の総裁だった原敬という人が、内閣を作った
※衆議院議員の首相は初
→原敬は、初めての本格的な政党内閣で、政党政治を進めて選挙権を拡大した
※知識人や労働者の間に普通選挙の実現を目指す運動が盛り上がると、時期が早いとして原敬は反対した
第一次世界大戦末期から戦後にかけて、民衆が様々な社会運動を起こした
→実際に、労働組合の指導で賃上げや労働時間の短縮を求めて労働争議が何度か起きた
※1920年には、日本最初のメーデーも行われた
→農村では、地主に対して小作料の引き下げや耕作する権利の要求などが行われた(=小作争議)
※この時に、日本農民組合も作られている
→女性を社会的差別から解放し、その地位を高めようとする運動が、平塚らいてうなどによって進められた
※大戦後は、市川房枝などによる婦人参政権の実現を目指す運動も起きていた
→部落差別に苦しんでいた人々が、1922年に全国水平社を作って、団結した上で差別からの解放や自由などを求める運動を進めた
※1922年に、日本共産党がひっそりと結成され、労働者階級による独裁を目指す活動を始めた
→北海道では、アイヌの人々を差別から解放する運動が起こった
※実際に、1930年に北海道アイヌ協会が設立された
1920年代に入って、普通選挙を求める運動が、民衆運動として活発になった
→第二次護憲運動によって、1924年に護憲派の政党の連立によって加藤高明内閣が出てきた
※ここから五・一五事件までの8年間、衆議院を土台とする政党内閣が続いた
=1925年に、加藤内閣のもとで、25歳以上の男子に選挙権を与える普通選挙法が成立した
※ただし、女性の参政権は認められなかった
→一方で、同じ1925年に、天皇中心の国の在り方を変えたり、私有財産制の廃止を目指したりする運動を取り締まろうとした
=そのため、治安維持法を成立した
※治安維持法によって、社会主義運動が制約を受けた
第一次世界大戦の後、日本は世界の五大国の一つとなった
※実際に、国際社会における日本の地位と責任は大きくなった
→1920年代に、日本は以下のようなことを行っている
・日本は国際協調外交を進めた
・アメリカやイギリスなどと協力して軍縮を行った
・中国に対して、武力的干渉を避ける政策をとった
※ただし、日本の中国に対する外交が弱いと非難する意見が日本国内で出てきた