第一次世界大戦の時の日本の様子について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/17 17:11      
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第一次世界大戦の時の日本の様子について考えてみます

 

 

・第一次世界大戦の時の日本の様子について

 

 ※第一次大戦によって欧米の国々が弱くなっていったことは、

  日本が新しく海外に進出するきっかけになった

 

 

 

 ・日本は、第一次大戦が始まった後、ドイツに宣戦した

  →すると日本は、中国にあるドイツの租借地膠州湾(青島)と、

   太平洋上のドイツ領南洋諸島を占領した

 

 ・また日本は、1915年1月に、中国に対して二十一カ条の要求をつきつけた

  →袁世凱政権は、中国の主権を無視するものとして最初は二十一カ条の要求を拒否した

   ※しかし、軍事力を背景にして日本が中国を圧迫したため、

    二十一カ条の要求の承認に追い込まれた

    =このため、中国人の日本に対する感情が急激に悪くなった

 

 ・そして日本は、第一次大戦の末期にシベリア出兵に加わった

  ※日本は、他国が兵を撤退してからも革命勢力の阻止を理由にして、

   最後まで軍を置いといた

   →そのため、シベリア出兵が国内外から批判を浴びた

    =そこで日本は、1922年に軍を引き上げた

 

 

 

 

 ・日本が統治していた朝鮮では、ロシア革命や世界各国の民族自決の流れに乗っかって、

  独立への要求が高まってきた

  

 ・1919年3月1日に、ソウルで独立万歳をさけぶデモが始まった

  →このデモは、すぐに全国に広がっていった

   =この運動を三・一独立運動という

 

  →朝鮮総督府は、軍隊を使って三・一独立運動を鎮圧した

   ※しかし、朝鮮はこの事件に衝撃をうけた

    =そのため、武断政治をある程度ゆるめて、「文化政治」と呼ばれる

     同化政策に変わっていった

 

  →1919年4月に、朝鮮の独立運動に関する様々な団体を統合して、

   大韓民国臨時政府が上海で結成された

 

 

 

 

 ・1919年のパリ講和会議で、中国は以下のような要求を出した

  →・二十一カ条の要求の取り消し

   ・山東のドイツ利権の返還の提訴  など

    =これらの要求は、列国によって却下された

 

  →中国は要求の却下に抗議して、1919年5月4日に、北京大学の学生を中心に

   抗議デモが行なわれた

   ※このデモは、以下のような動きを見せるようになった

    ・条約反対や排日の声になって各地に波及した

    ・日本商品の排斥やストライキが起きた

    ・幅広い層を巻き込んだ愛国運動に発展していった

     =5月4日に行われたデモを、五・四運動という

 

  →そのため、中国政府もヴェルサイユ条約の調印を拒否せざるを得なかった

 

 

 

 

 ・パリ講和会議で日本は、以下のようなことが認められた

  →・日本がドイツ権益の継承を認められた

   ・赤道以北のドイツ領南洋諸島の委任統治権を得た

 

 ・また日本は、国際連盟の常任理事国になり、国際的な地位を向上させた

  →しかし列国は、東アジアで日本の勢力が拡大することに対して

   警戒心を抱くようになった

   ※そこで、ワシントン会議ではアメリカやイギリスなどが中国の主張を支持した

    =その結果、九カ国条約で中国の主権尊重と領土保全の約束、

     山東のドイツ利権の中国への返還などが行なわれた

 

 

ポイント

・第一次大戦の日本の様子についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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