第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた
大戦後の朝鮮と中国の民族運動について
→代表的なものとして、三・一独立運動と五・四運動があげられる
日本の植民地とされた朝鮮の人たちは、1919年3月1日に、ソウルなどの都市で朝鮮の独立を宣言した
※運動自体は、平和的に非暴力で進められた
→日本は、軍隊や警察の力で運動を弾圧した
→日本の弾圧に対して、朝鮮の人々は各地で立ち上がり、独立運動が朝鮮全体に広がっていった
※日本が朝鮮をおさえつけていたため、多くの犠牲者が出た
→結果的に、運動は3カ月にわたって続けられ、約200万人が参加し、自由と独立を求める朝鮮の力を内外に示した
=これら一連の独立運動を、三・一独立運動という
※三・一独立運動の後、学校での朝鮮語の授業がだんだん少なくなり、日本への同化が進められた
※1929年に朝鮮で、日本人の中学生が朝鮮人の女学生を侮辱した、という出来事によって、争いが起きたが、結果的に朝鮮人学生ばかりが非難された
→この非難をきっかけに、再び日本の支配に反対する運動が起きた
1919年5月4日に中国で、ペキンの学生が日本の侵略に反対する運動を起こした
※この時に、労働者や商人もストライキで参加した
→結果的にこの運動は、外国の帝国主義と国内の封建主義に反対する革命運動になって、各地に広がった
=これら一連の運動を、五・四運動という
※この時に孫文が中国国民党を作って、革命運動を進めた
→この勢いもあって、労働者や農民の運動も高まり、1921年に中国共産党が作られた
=孫文は結果的に、ソ連や中国共産党と手を結んで、革命運動を発展させた
※ただし、孫文が死ぬということが起きた
→その後、国民党の蒋介石は、資本家や地主、外国の勢力などと手を結んだ
=結果的に1927年に、ナンキンに国民政府を作って、中国共産党と対立した