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	<title>アラエス &#187; 東亜新秩序</title>
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	<item>
		<title>太平洋戦争の始まりについて</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 09:13:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[ハル＝ノート]]></category>
		<category><![CDATA[太平洋戦争]]></category>
		<category><![CDATA[帝国国策遂行要領]]></category>
		<category><![CDATA[御前会議]]></category>
		<category><![CDATA[日ソ中立条約]]></category>
		<category><![CDATA[東亜新秩序]]></category>
		<category><![CDATA[東条英機]]></category>
		<category><![CDATA[独ソ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[真珠湾]]></category>
		<category><![CDATA[ＡＢＣＤ包囲陣]]></category>

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		<description><![CDATA[太平洋戦争の始まりについて考えてみます &#160; &#160; ・太平洋戦争の始まりについて &#160; &#160; 　※日独伊三国同盟を結んだことは、アメリカが日本との対立をより強めることになった 　　→そのた [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1312">太平洋戦争の始まりについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>太平洋戦争の始まりについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・太平洋戦争の始まりについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※日独伊三国同盟を結んだことは、アメリカが日本との対立をより強めることになった</p>
<p>　　→そのため、第２次近衛文麿内閣は日本とアメリカが戦う事を防ぐために、</p>
<p>　　　日米交渉を始めた</p>
<p>　　　※日米交渉の前の年には、日本の野村吉三郎とアメリカのハル国務長官との間で</p>
<p>　　　　交渉していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、三国同盟の結びつきを強めるために、松岡洋右という外務大臣が</p>
<p>　　ドイツとイタリアに訪問していた</p>
<p>　　→松岡洋右は、その帰りにモスクワで日ソ中立条約という条約を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※なぜ、日ソ中立条約を結んだのか</p>
<p>　　　　・北方の平和を確保する</p>
<p>　　　　・アメリカとの関係を、日本とソ連が手を組むことで調整しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４１年６月に、ドイツが突然ソ連に侵略を始めて、独ソ戦争という戦争が始まった</p>
<p>　　→独ソ戦争に対応するために、日本は１９４１年７月２日に御前会議という会議を開いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※御前会議について</p>
<p>　　　　・御前会議とは・・外国との戦争に関する問題で、大本営政府連絡会議という会議に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　天皇が参加している場合の呼び方のこと</p>
<p>　　　　・御前会議には、参謀と軍令部のトップ、企画院のトップ、陸軍と海軍の代表、</p>
<p>　　　　　首相、外務大臣、大蔵大臣、内務大臣が参加した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　　※御前会議での内容</p>
<p>　　　　　→・アメリカとイギリスと戦うことを覚悟して南方に進出する</p>
<p>　　　　　　・戦いの情勢が有利だった場合に、ソ連と戦うこと（北進）を決めた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→この会議によって、陸軍はシベリアなど極東地域にあるソ連の土地を</p>
<p>　　　　占領する計画を立てたため、関東軍特種演習（関特演）という名目で、</p>
<p>　　　　約７０万人の兵隊を満州に集合させた</p>
<p>　　　　※しかし、南進が決まったため、ソ連と戦う計画は中止になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次近衛文麿内閣は、日米交渉を続けた</p>
<p>　　※しかし、当時の外務大臣だった松岡洋右は、日米交渉を打ち切って戦うこと</p>
<p>　　　も仕方ないと考えていた</p>
<p>　　　→そこで、松岡洋右を取り除くために、一度総辞職をした</p>
<p>　　　　＝その後すぐに、第３次近衛文麿内閣が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第３次近衛文麿内閣が誕生してすぐに、前から決まっていた</p>
<p>　　南部仏印進駐（南部のフランス領インドシナを占領すること）を行動に移すことにした</p>
<p>　　→この動きに対してアメリカは、アメリカにある日本の資産の使用や移動を</p>
<p>　　　一時的に禁止して、日本への石油の輸出を禁止した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※海軍は戦争に積極的ではなかったが、石油の輸出が止められたときには、</p>
<p>　　　南方の石油のために戦うほうがいいのではないか、</p>
<p>　　　と考える人が出てくるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカは、日本が南部に進出することと東亜新秩序の建設を阻止する考えを示した</p>
<p>　　※アメリカのこの考え方にイギリスとオランダも同調した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→アメリカの考えに対して、日本はさらに不安になった</p>
<p>　　　＝そのため、日本は「ＡＢＣＤ包囲陣」の圧迫から逃れるためには、</p>
<p>　　　　戦争をするしかないと考えた</p>
<p>　　　　※ＡＢＣＤ包囲陣・・Ａ＝アメリカ、Ｂ＝イギリス、Ｃ＝中国、Ｄ＝オランダの</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　４つの国が行っている経済封鎖を中心とした包囲網のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・９月６日にも御前会議が行われた</p>
<p>　　→その時に、帝国国策遂行要領というものを決定した</p>
<p>　　　※帝国国策遂行要領の内容</p>
<p>　　　　→・日米交渉の期限を１０月上旬までと決めた</p>
<p>　　　　　・交渉が失敗した場合は、アメリカ、イギリス、オランダに対して戦争を始める</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日米交渉は、中国から日本が撤退することをアメリカが要求したため、</p>
<p>　　日本が納得いかなかった</p>
<p>　　→そのため、日本とアメリカがお互いに納得しないまま、日米交渉が</p>
<p>　　　１０月の半ばにまで食い込んでしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況で、日米交渉をうまくまとめることを期待する近衛文麿と、</p>
<p>　　交渉をやめて戦争を始めることを期待する、当時の陸軍大臣だった</p>
<p>　　東条英機という人との間で対立した</p>
<p>　　＝そのため、１０月１６日に近衛文麿内閣は総辞職をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・当時の内務大臣だった木戸幸一（木戸孝允の孫）という人は、</p>
<p>　　９月６日の御前会議の決定を無効にすることを条件にして、</p>
<p>　　東条英機を次の首相にすることを推薦した</p>
<p>　　→この結果、首相が陸軍大臣と内務大臣の両方も一緒に担当する形で</p>
<p>　　　東条英機内閣が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時は、最後の元老だった西園寺公望という人が亡くなったため、</p>
<p>　　　次の首相を決める方法として、首相を経験したことがある人を中心に集めて会議を行い</p>
<p>　　　その会議で決めた人を推薦するという形だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東条英機内閣は、９月６日の内容を検討し直して、日米交渉をしばらくは</p>
<p>　　続けることを決めた</p>
<p>　　※しかし、１１月２６日にアメリカ側からの提案がされた</p>
<p>　　　＝この提案の内容が書かれたものを、ハル＝ノートと呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ハル＝ノートの内容について</p>
<p>　　　　・中国とフランス領インドシナから、無条件で撤退すること</p>
<p>　　　　・満洲国と汪兆銘の政権を認めないこと</p>
<p>　　　　・日独伊三国同盟を無くす　　など</p>
<p>　</p>
<p>　　→ハル＝ノートの内容は満州事変より前の状態に戻すことを要求する</p>
<p>　　　最後の通告だった</p>
<p>　　　＝そのため、ハル＝ノートによって日米交渉を続けることが</p>
<p>　　　　ほぼ出来なくなってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１２月１日に御前会議を開いた</p>
<p>　　→この会議で、日米交渉を失敗と判断して、アメリカとイギリスに対して</p>
<p>　　　戦争を始めることを最終的に決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、１２月８日に、日本の陸軍がイギリス領マレー半島というところに上陸して、</p>
<p>　　　日本の海軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃する、という行動を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝この結果、日本はアメリカとイギリスに宣戦布告し、第２次世界大戦の中でも</p>
<p>　　　大きな戦争の一つだった太平洋戦争が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※アメリカとの戦争が始まった後に、政府は日中戦争や太平洋戦争などを</p>
<p>　　　　含めて「大東亜戦争」と名づけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※日米交渉の終わりの時の様子について</p>
<p>　　　・日米交渉の打ち切りは、真珠湾への攻撃が始まった後にずれ込んだ</p>
<p>　　　　→その結果、アメリカの世論が「リメンバー・パールハーバー」（真珠湾を忘れるな）</p>
<p>　　　　　という言葉で一致団結して、日本と争う気持ちに火がついたと言われている</p>
<p>　　　・日系アメリカ人が強制収容所というところに収容された</p>
<p>　　　　※しかし、ドイツ系とイタリア系のアメリカ人は、収容しなかった</p>
<p>　　　　　→アメリカは、強制収容所に入れた収容者に対する謝罪と補償を１９８８年に行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・太平洋戦争が始まるまでの流れと当時の様子について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1312">太平洋戦争の始まりについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>第二次世界大戦の始まりについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1310</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1310#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 08:59:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[ノモンハン事件]]></category>
		<category><![CDATA[円ブロック]]></category>
		<category><![CDATA[大東亜共栄圏]]></category>
		<category><![CDATA[平沼騏一郎]]></category>
		<category><![CDATA[張鼓峰事件]]></category>
		<category><![CDATA[日米通商航海条約]]></category>
		<category><![CDATA[東亜新秩序]]></category>
		<category><![CDATA[独ソ不可侵条約]]></category>
		<category><![CDATA[第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[経済封鎖]]></category>

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		<description><![CDATA[第二次世界大戦の始まりについて考えてみます &#160; &#160; ・第二次世界大戦の始まりについて &#160; &#160; 　・ヨーロッパで、ナチス＝ドイツが積極的にベルサイユ体制を終わらそうとしていた 　　→ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1310">第二次世界大戦の始まりについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第二次世界大戦の始まりについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・第二次世界大戦の始まりについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパで、ナチス＝ドイツが積極的にベルサイユ体制を終わらそうとしていた</p>
<p>　　→そこで、１９３８年にオーストリアを植民地にして、</p>
<p>　　　その後にチェコスロヴァキアに侵略を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況でドイツは、日本の第１次近衛文麿内閣に対して</p>
<p>　　「日本とドイツの防共協定を強化して、ソ連、イギリス、フランスを仮に敵国であると</p>
<p>　　　想定する軍事同盟」を結ぶことを提案した</p>
<p>　　※第１次近衛文麿内閣は、この提案に答えを出さないまま終わってしまった</p>
<p>　　　→そこで、次に１９３９年の初めに、平沼騏一郎という枢密院の議長が</p>
<p>　　　　内閣を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平沼騏一郎内閣の時、ドイツの軍事同盟の提案に乗るか乗らないかで、</p>
<p>　　内閣の中に対立が出来た</p>
<p>　　→すると、１９３９年８月に突然、ドイツがソ連と独ソ不可侵条約</p>
<p>　　　（ドイツとソ連がお互いに相手の領土や政治などを尊重する条約）という条約を結んだ</p>
<p>　　　＝この条約が出来た時に、国際情勢の変化に対応できていないという理由で</p>
<p>　　　　平沼騏一郎内閣は総辞職をした</p>
<p>　　</p>
<p>　　※日中戦争の時に、日本はソ連の出方を警戒していた</p>
<p>　　　→その状況で、２つの事件が起きた</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・１９３８年に、ソ連の東部と満州国の国境が明確でない地域で</p>
<p>　　　　　ソ連軍と戦うということが起きた</p>
<p>　　　　　＝この出来事を、張鼓峰事件という</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・１９３９年５月に、満州国の西部とモンゴル人民共和国の国境の地帯で、</p>
<p>　　　　　ソ連とモンゴルの連合軍と戦ったが、ソ連の大量の戦車の軍団によって</p>
<p>　　　　　大ダメージを受けるということが起きた</p>
<p>　　　　　＝この出来事を、ノモンハン事件という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→日本は、上のような状況の時に、独ソ不可侵条約が結ばれたことを聞いたため、</p>
<p>　　　　衝撃を受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３９年９月１日に、ドイツがポーランドへの侵略を始めた</p>
<p>　　→すると、すぐにイギリスとフランスがドイツに宣戦布告をした</p>
<p>　　　＝ここから始まった、世界レベルでの大きな戦争を、第二次世界大戦という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※平沼騏一郎内閣の後に出てきた、阿部信行内閣と米内光政内閣は、</p>
<p>　　　ドイツとの軍事同盟には積極的ではなかった</p>
<p>　　　＝そのため、ヨーロッパで起きている戦争には介入しない方針を取り続けていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で日本は、日中戦争が始まってから、日本が必要とする軍需産業のための資材が</p>
<p>　　円ブロックの範囲だけでは足りなくなった</p>
<p>　　→そのため、欧米とその周りの国々から輸入をしなければいけない状況になった</p>
<p>　　　※円ブロック・・植民地を含めた日本の領土、中国にある日本の占領地、</p>
<p>　　　　　　　　　　　満州で出来ている経済圏のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そのころアメリカは、アジアと北太平洋の地域との自由な貿易を行う関係を</p>
<p>　　維持することはアメリカにとって重要であり、アメリカの利益になると考えていた</p>
<p>　　</p>
<p>　　→そのため、日本が「東亜新秩序」の形成を始めようとすると、</p>
<p>　　　アメリカは日本の行動が、アメリカが行おうとしている東アジア政策に対する</p>
<p>　　　挑戦だと捉えて、日本とアメリカの間の貿易を減らした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、日本とドイツとの間で軍事同盟が結ばれたことが</p>
<p>　　　アメリカに伝えられた時は、アメリカは１９３９年７月に、</p>
<p>　　　日米通商航海条約の撤廃を日本側に伝えた</p>
<p>　　　※そのため、日本は軍事に関する資材を得ることがとても難しくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパでは、ドイツが圧倒的に有利になり、なんとかイギリスだけが</p>
<p>　　ドイツに抵抗し続けている状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その状況を知った日本は、陸軍を中心にしてドイツとの交流を深めた</p>
<p>　　　＝そして、アメリカやイギリスとの戦争を覚悟した上で欧米の植民地だった南方に行き、</p>
<p>　　　　「大東亜共栄圏」を作ろうとした</p>
<p>　　　　※この時に、大東亜共栄圏で石油、ゴム、ボーキサイトなどの資源を得よう</p>
<p>　　　　　という考えが急激に盛り上がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→大東亜共栄圏の建設に対して、議会や政界の上の人達は、</p>
<p>　　　以下のような反対をしていたため、反対の空気はあった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・１９４０年に立憲民政党の議員だった斉藤隆夫という人は、議会で軍部と政府が</p>
<p>　　　　　中国で進めている戦争の政策を批判する演説（反軍演説）を行ったが、</p>
<p>　　　　　軍部の力によって議員から名前を消された</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・政界の上の方にいた「親英米派」と言われた人達が、軍部から批判や攻撃をされた</p>
<p>　　　　　※しかし、これらの動きに、大東亜共栄圏の建設の流れを変える力はなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→結局日本は南方に行ったが、南方に行ったことで逆に欧米の日本に対する</p>
<p>　　　経済封鎖が強くなった</p>
<p>　　　※経済封鎖・・ある国の経済に関する交流を制限したり、遮断したりして、</p>
<p>　　　　　　　　　　経済的に孤立をさせること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・第二次世界大戦までの流れを押さえる</p>
<p>・第二次世界大戦の時の二本を中心とした世界の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1310">第二次世界大戦の始まりについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>戦争の時の文化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1309</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1309#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 08:52:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[プロレタリア文学]]></category>
		<category><![CDATA[マルクス主義]]></category>
		<category><![CDATA[全体主義]]></category>
		<category><![CDATA[国内改造論]]></category>
		<category><![CDATA[大東亜共栄圏]]></category>
		<category><![CDATA[新感覚派]]></category>
		<category><![CDATA[日本文学報国会]]></category>
		<category><![CDATA[東亜新秩序]]></category>
		<category><![CDATA[統制経済]]></category>
		<category><![CDATA[転向文学]]></category>

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		<description><![CDATA[戦争の時の文化について考えてみます &#160; &#160; ・戦争の時の文化について &#160; &#160; 　※１９３０年に入った時に、政府の厳しい取り締まりや国家主義の考え方の 　　盛り上がりなどが出てきた  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1309">戦争の時の文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>戦争の時の文化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・戦争の時の文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１９３０年に入った時に、政府の厳しい取り締まりや国家主義の考え方の</p>
<p>　　盛り上がりなどが出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況の中で、転向する人が増え、マルクス主義の考え方が弱まってきた</p>
<p>　　→逆に、日本に昔からあった伝統や思想に戻るという考え方が出てきた</p>
<p>　　　※昔の伝統や思想に戻る考え方は、１９３０年代の後半に一層強くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・亀井勝一郎や保田与重郎などの人達が「日本浪漫派」という雑誌で、</p>
<p>　　反近代と民族主義を提唱する評論を多く発表した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日中戦争の時期は、国体論やナチズムなどの影響を受けたため、</p>
<p>　　全体主義のような考え方が中心になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東亜新秩序論、大東亜共栄圏論、統制経済論などのような、国内改造論が提唱された</p>
<p>　　</p>
<p>　　※・東亜新秩序論</p>
<p>　　　　→戦争の目的は、日本、中国、満州の３国が結束することだという考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・大東亜共栄圏論</p>
<p>　　　　→日本が中国や東南アジアを侵略することを合法とする考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・統制経済論</p>
<p>　　　　→国家が資本主義に介入して統制を加えるという考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→これらは、「革新」的な考え方だったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時（昭和初期）の文学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、以下の２つの文学が二大文学として扱われた</p>
<p>　　→・社会主義運動と絡んで盛りあがっていたプロレタリア文学</p>
<p>　　　・主観と感性の表現の中に文学の実際を求めようとした</p>
<p>　　　　横光利一や川端康成などの新感覚派</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※しかし、１９３０年代に社会主義が抑えつけられてしまったため、</p>
<p>　　　プロレタリア文学もダメになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※社会主義やプロレタリア文学から転向する時の経験は、</p>
<p>　　　中野重治という人の「村の家」や、島木健作という人の「生活の探求」などの</p>
<p>　　　作品に描かれた</p>
<p>　　　＝このような文学を、転向文学という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の有名な作家の中には、戦争が近づくにつれて静かに力強い作品を</p>
<p>　　書き続けた人達もいた</p>
<p>　　→代表的なものに、島崎藤村という人の「夜明け前」や</p>
<p>　　　谷崎潤一郎という人の「細雪」などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日中戦争の時には、戦争文学というジャンルが出てきて、人気になった</p>
<p>　　→代表的なものに、火野葦平という人が自分が軍隊だった時の</p>
<p>　　　経験を書いた「麦と兵隊」などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし、日本軍兵士の様子を写実的に描いた</p>
<p>　　　石川達三という人の「生きてゐる兵隊」という作品は発売禁止になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４２年に日本文学報国会という団体が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・当時の文化と文学について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1309">戦争の時の文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>日中戦争について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1307</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1307#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 08:14:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[傀儡政権]]></category>
		<category><![CDATA[南京事件]]></category>
		<category><![CDATA[抗日民族統一戦線]]></category>
		<category><![CDATA[日中戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東亜新秩序]]></category>
		<category><![CDATA[盧溝橋事件]]></category>
		<category><![CDATA[第2次上海事変]]></category>
		<category><![CDATA[第2次国共合作]]></category>
		<category><![CDATA[華北分離工作]]></category>
		<category><![CDATA[西安事件]]></category>

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		<description><![CDATA[日中戦争について考えてみます &#160; &#160; ・日中戦争について 　　 　 　・中国では、１９３５年から関東軍によって、華北分離工作が平然と行われた 　　※華北分離工作・・華北を中国の国民政府の支配から切り離 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1307">日中戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日中戦争について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日中戦争について</p>
<p>　　</p>
<p>　</p>
<p>　・中国では、１９３５年から関東軍によって、華北分離工作が平然と行われた</p>
<p>　　※華北分離工作・・華北を中国の国民政府の支配から切り離して、</p>
<p>　　　　　　　　　　　日本が支配しようとすること</p>
<p>　　　華北・・チャハル、山西、綏遠、河北、山東という５つの省をまとめた呼び方として</p>
<p>　　　　　　　日本が使っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３５年に国民政府は、イギリスの援助を受けて幣制改革を行って、</p>
<p>　　中国国内の経済を統一させようとした</p>
<p>　　※幣制改革・・貨幣制度の改革のことで、当時の中国は地域的な通貨などをやめて、</p>
<p>　　　　　　　　　中国統一の貨幣を流通させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この動きを見て、関東軍は華北に傀儡政権（冀東防共自治委員会）という</p>
<p>　　　政権を作って、分離工作を進めていった</p>
<p>　　　※次の年の１９３６年に日本政府は、華北分離工作を国の政策として決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上の動きに対して、中国国民の中で、抗日救国運動という日本に対抗する運動が起きた</p>
<p>　　→その結果、１９３６年１２月に西安事件が起きた</p>
<p>　　　＝西安事件をきっかけにして、国民政府は共産党を倒すことを中止して、</p>
<p>　　　　内乱を終わらせて、日本と本格的に戦う事を決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※西安事件について</p>
<p>　　　　・中国共産党は、国民党軍に何度も攻撃されたため、瑞金というところを諦めた</p>
<p>　　　　→その後に、中国共産党は１万２０００キロの大移動を行い、</p>
<p>　　　　　延安というところにたどりついて延安を、革命を起こすための新しい拠点にした</p>
<p>　　　　→そこで、国民政府は延安にある共産党軍を倒すことを張学良という人に命令した</p>
<p>　　　　→すると、張学良は中国を励ますために来ていた蒋介石を西安という地域で監禁して、</p>
<p>　　　　　内戦を停止することと、力を合わせて日本と対抗することを共産党側に要求した</p>
<p>　　　　　＝この時の、張学良が蒋介石を監禁した事件を西安事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３７年７月７日に、北京郊外の盧溝橋という橋の近くで日本軍と中国軍がぶつかる</p>
<p>　　という事件が起きた</p>
<p>　　＝この事件を盧溝橋事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※盧溝橋事件は、いったんは現地で停戦協定が成立した　　　</p>
<p>　　　→しかし、当時の近衛文麿内閣が軍部の圧力に負けて、最初は軍隊を拡大しない</p>
<p>　　　　方針だったものを変えて兵力を増やしつつ、戦場を広げていった</p>
<p>　　　→この動きに対し、国民政府も日本と徹底的に戦う姿勢を見せた</p>
<p>　　　→その結果、戦いが全面戦争になってしまった</p>
<p>　　　　＝この戦争を日中戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　※日中戦争について</p>
<p>　　　　　　・日本政府は、最初はこの戦争を「北支事変」、次に「支那事変」と</p>
<p>　　　　　　　名づけたが実際は全面戦争だった</p>
<p>　　　　　　・日本も中国も、アメリカの中立法という法律が適用されるのを避けるために</p>
<p>　　　　　　　正式には宣戦布告をしなかった</p>
<p>　　　　　　　※中立法には、戦争状態にある国への武器や弾薬の輸出の禁止</p>
<p>　　　　　　　　という内容が含まれていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３７年８月に、上海でも戦いが始まった</p>
<p>　　＝この戦いを第２次上海事変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３７年９月に、国民党と共産党がもう一度手を組んだ</p>
<p>　　＝この提携を、第２次国共合作という</p>
<p>　　　→第２次国共合作によって、抗日民族統一戦線という戦線を誕生させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、中国にどんどん軍隊を送りこんでいった</p>
<p>　　→そのため、１９３７年の年末に、国民政府の首都だった南京という地域を占領した</p>
<p>　　　※南京を占領する前後に、日本軍は南京の中でも外でも略奪や暴行を行ったり、</p>
<p>　　　　婦女子を含む多くの一般人や捕虜を殺したりした</p>
<p>　　　　＝この出来事を南京事件という</p>
<p>　　　　　→南京の状況は、外務省のルートを通って、陸軍の上の人達にも伝わっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→国民政府は、南京から漢口、漢口から重慶へと、どんどん奥地に</p>
<p>　　　　入っていったもののあくまでも日本と戦う姿勢を続けた</p>
<p>　　　　※そのため、日中戦争は泥沼のような状態になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況だったので日本は、大規模な攻撃を行う事を中断した</p>
<p>　　→その代わりに、様々な場所に傀儡政権を作るスタイルに切り替えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３８年１月に近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と声明した</p>
<p>　　→この声明によって、国民政府と交渉して平和を取り戻すという道を</p>
<p>　　　自分から切り捨てた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、１９３８年の終わりに、日中戦争の目的が日本、満州、中国の３国が</p>
<p>　　手を組む東亜新秩序建設であるということを声明した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※東亜新秩序について</p>
<p>　　　　・１９３８年１月の「国民政府を対手とせず」という声明、</p>
<p>　　　　　１１月３日の東亜新秩序声明、１２月２２日の近衛三原則声明</p>
<p>　　　　　（善隣友好、共同防共、経済提携）をまとめて近衛声明と言い、</p>
<p>　　　　　その一つが東亜新秩序だった</p>
<p>　　　　※なぜ、このタイミングで戦争の目的を近衛声明として、改めて日本側が表明したのか</p>
<p>　　　　・当時のヨーロッパが危機的な状況であり、イギリスのアジアに対する</p>
<p>　　　　　政策が弱くなった</p>
<p>　　　　　→そこで日本は、中国内部で日本に友好的な人を表に出すことで、</p>
<p>　　　　　　中国を支配するチャンスになると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そして、国民政府の重要人物だった汪兆銘（精衛）という人を重慶から連れ出した</p>
<p>　　→その後、１９４０年に様々な地域にある傀儡政権を組み合わせた</p>
<p>　　　＝その結果、汪兆銘をトップに置いた、日本に友好的な新しい国民政府を</p>
<p>　　　　南京に作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし、汪兆銘政権は非常に弱々しいものだった</p>
<p>　　　→そのため、傀儡政権を使って日中戦争を終わらせるという政策は失敗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、国民政府は援蒋ルート（アメリカやイギリスなどからの物資の搬入路）を</p>
<p>　　通じて援助を受けた</p>
<p>　　→この援助によって、その後も日本と戦い続けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日中戦争について、過程、内容、背景などを中心に様々な内容を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1307">日中戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>日中戦争について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1042</link>
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		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 10:18:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界恐慌・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[南京]]></category>
		<category><![CDATA[南京虐殺事件]]></category>
		<category><![CDATA[日中戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東亜新秩序]]></category>
		<category><![CDATA[汪兆銘]]></category>
		<category><![CDATA[盧溝橋事件]]></category>
		<category><![CDATA[第2次国共合作]]></category>
		<category><![CDATA[華北]]></category>
		<category><![CDATA[重慶政府]]></category>

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		<description><![CDATA[日中戦争について考えてみます &#160; &#160; ・日中戦争について &#160; &#160; 　・１９３７年７月に中国で盧溝橋事件が起きた 　　→そこで日本軍は、盧溝橋事件をきっかけに、軍事行動を広げていった [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1042">日中戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日中戦争について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日中戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３７年７月に中国で盧溝橋事件が起きた</p>
<p>　　→そこで日本軍は、盧溝橋事件をきっかけに、軍事行動を広げていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、中国では１９３７年９月に第２次国共合作が成立した</p>
<p>　　→そのため、日本と中国の両国は全面的な交戦状態に入った</p>
<p>　　　＝この時の戦いを日中戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、１９３７年の終わりまでに華北の重要な場所と南京を占領した</p>
<p>　　※ただし、南京の占領の時に日本は、多くの中国人を殺害した</p>
<p>　　　＝この殺害事件を、南京虐殺事件という</p>
<p>　　　　→南京虐殺事件は、国際世論の批判を受けたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、アメリカ、イギリス、ソ連の援助を受けると同時に、政府を南京から武漢へ、</p>
<p>　　武漢から重慶に移動させることで、日本と戦い続けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、重要な都市とそれらを結ぶ交通路を確保した</p>
<p>　　※しかし、広い農村地帯を支配することは出来なかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、１９４０年に東亜新秩序の建設を目指した</p>
<p>　　※そこで、重慶政府に対抗して、南京に汪兆銘の親日政権を誕生させた</p>
<p>　　　→しかし、親日政権は中国の民衆の支持を得られず、事態解決が終わる様子が無かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日中戦争についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです　　</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1042">日中戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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