<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 清仏戦争</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%b8%85%e4%bb%8f%e6%88%a6%e4%ba%89/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%b8%85%e4%bb%8f%e6%88%a6%e4%ba%89/feed" />
	<item>
		<title>明治時代の朝鮮の問題について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1265</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1265#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 27 Oct 2013 23:58:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[伊藤博文]]></category>
		<category><![CDATA[壬午軍乱]]></category>
		<category><![CDATA[天津条約]]></category>
		<category><![CDATA[日朝修好条規]]></category>
		<category><![CDATA[清仏戦争]]></category>
		<category><![CDATA[甲申事変]]></category>
		<category><![CDATA[福沢諭吉]]></category>
		<category><![CDATA[脱亜論]]></category>
		<category><![CDATA[金玉均]]></category>
		<category><![CDATA[閔氏]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1265</guid>
		<description><![CDATA[朝鮮の問題について考えてみます &#160; &#160; ・朝鮮の問題について &#160; &#160; 　・１８７６年に、日本は日朝修好条規という条約によって朝鮮を開国させた 　　→この時に、朝鮮の国内で日本に好意 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1265">明治時代の朝鮮の問題について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>朝鮮の問題について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・朝鮮の問題について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７６年に、日本は日朝修好条規という条約によって朝鮮を開国させた</p>
<p>　　→この時に、朝鮮の国内で日本に好意的な人達が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、１８８２年に朝鮮で壬午軍乱（壬午事変）という出来事が起きた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※壬午軍乱について</p>
<p>　　　・日本に好意的で、日本に近づこうとした朝鮮の国王の高宗という人の</p>
<p>　　　　外戚にあたる閔氏という氏族の一族がいた</p>
<p>　　　・一方で、閔氏の一族の考え方に反対する大院君という人がいた</p>
<p>　　　・すると、大院君を支持する軍隊が朝鮮の首都の漢城で反乱を起こした</p>
<p>　　　・さらに、大院君の軍隊に対応する形で人々が日本公使館を取り囲んでしまった</p>
<p>　　　　＝この出来事を壬午軍乱という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※壬午軍乱は失敗に終わった</p>
<p>　　　→しかし、その後閔氏の一族の政権は日本から離れて</p>
<p>　　　　清に近づこうとするようになってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※壬午軍乱の後、自由党の板垣退助などは、朝鮮の親日改革派を援助して、</p>
<p>　　　朝鮮の内部の政治を改革させようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、金玉均という人などを中心とした親日改革派（独立党）は、</p>
<p>　　日本と手を組んで朝鮮を近代化させようとした</p>
<p>　　→そこで、１８８４年の清仏戦争という戦争で清が負けたことが改革のきっかけだと考えて、</p>
<p>　　　親日改革派が日本公使館の援助を受けつつクーデターを起こした</p>
<p>　　→しかし、清の軍が援助に来てしまったおかげで、親日改革派のクーデターは失敗した</p>
<p>　　　＝この出来事を甲申事変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※甲申事変によって、日本と清との関係が悪くなってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、清との関係を回復するために、１８８５年に政府が、</p>
<p>　　伊藤博文を清の天津という場所に送った</p>
<p>　　→その時に、伊藤博文は清の全権の李鴻章という人と天津条約という条約を結んだ</p>
<p>　　　＝この条約によって、日本と清は朝鮮から軍隊を連れ戻して、</p>
<p>　　　　もし朝鮮に軍隊を派遣する場合は、事前に相手国（日本は清に、清は日本に）に</p>
<p>　　　　通告することが義務となった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　</p>
<p>　・２回の事変によって、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・日本の朝鮮に対する影響力が弱くなってしまった</p>
<p>　　　・清の朝鮮への進出が強化された</p>
<p>　　　・清と朝鮮に対する日本の世論が急速に悪くなってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・以上のような状況で、福沢諭吉が１８８５年に「脱亜論」という考え方を発表した</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※脱亜論で、以下のようなことを発表した</p>
<p>　　　　・アジアと連帯を持つことを否定して、清や朝鮮に対しては武力で対応すべき</p>
<p>　　　　・日本はアジアを脱出して、欧米の強い国々の一員になるべき</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→脱亜論によって、軍事的な考え方が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・朝鮮の問題について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1265">明治時代の朝鮮の問題について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1265/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1265" />
	</item>
		<item>
		<title>近代の東アジアの国際秩序について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/912</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/912#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 08:39:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[天津条約]]></category>
		<category><![CDATA[日朝修好条規]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東学]]></category>
		<category><![CDATA[江華島事件]]></category>
		<category><![CDATA[洪景来の乱]]></category>
		<category><![CDATA[清仏戦争]]></category>
		<category><![CDATA[甲午農民戦争]]></category>
		<category><![CDATA[総理各国事務衙門]]></category>
		<category><![CDATA[金玉均]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=912</guid>
		<description><![CDATA[近代の東アジアの国際秩序について考えてみます &#160; &#160; &#160; ・東アジアの国際秩序について &#160; &#160; 　・西洋の国々の進出と、日本の勢力の伸びによって、清朝を中心とする 　　東 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/912">近代の東アジアの国際秩序について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>近代の東アジアの国際秩序について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東アジアの国際秩序について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西洋の国々の進出と、日本の勢力の伸びによって、清朝を中心とする</p>
<p>　　東アジアの国際秩序が崩れてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝貢体制のもとでは、外国を対等の存在でなく国内の延長のようにみなしていた</p>
<p>　　→そのため、特別に外交を扱う役所は設けられていなかった</p>
<p>　　　※１８６１年にはじめて、外務省にあたる総理各国事務衙門（総理衙門）が設置された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・今まで清朝の支配が間接的、または名目的にしか及んでいなかった地域に</p>
<p>　　他の国が手を伸ばすということが起きた</p>
<p>　　＝その結果、１９世紀の後半にこれらの地域が次々と清朝の影響から離れていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７９年の日本の琉球領有に続いて、南方では１８８４年の清仏戦争によって、</p>
<p>　　ベトナムがフランスの支配下になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮では、党争などによる政治的な動揺が続いた</p>
<p>　　※１９世紀には、洪景来の乱をはじめとする反乱が何度か起こっていた</p>
<p>　　　→このような状況のなかで、１８６０年代に入ると、欧米の国々は鎖国を続ける朝鮮に対して</p>
<p>　　　　開国をせまるようになった</p>
<p>　　　　※しかし、高宗の摂政だった大院君という人は開国を拒否し、攘夷を目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、１８７５年に江華島事件という事件を起こした</p>
<p>　　→日本は、これをきっかけに朝鮮にせまって、１８７６年に日朝修好条規という</p>
<p>　　　不平等な条約を結んだ</p>
<p>　　　※この条約の時に、領事裁判権を認める、釜山など３港を開港させる、などを認めさせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、朝鮮の内部では以下のような立場があり、対立していた</p>
<p>　　→・攘夷派</p>
<p>　　　・改革派</p>
<p>　　　・改革派の中で、日本に接近して急進的な改革を目指す金玉均など</p>
<p>　　　・清との関係を維持して、ゆっくりと改革を行おうとする外戚の閔氏一族など</p>
<p>　　　　＝この対立の結果、壬午軍乱や甲申事変などの内乱が何度か起きて、</p>
<p>　　　　　日清間の対立も深まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※壬午軍乱とは</p>
<p>　　　　　・漢城（現在のソウル）で起こった軍隊の反乱のこと</p>
<p>　　　　　・大院君を擁護して閔氏一派の要人を殺害し、日本公使館を襲撃したが、</p>
<p>　　　　　　清軍に鎮圧されてしまった</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　　※甲申事変とは</p>
<p>　　　　　・急進的な改革派が漢城で日本の武力を借りて閔氏政権を倒した政変のこと</p>
<p>　　　　　・清軍の攻撃によって３日目に敗れた</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　</p>
<p>　　　→内乱による日清間の対立が深まったために、日本と清の両国は</p>
<p>　　　　１８８５年に天津条約を結んだ</p>
<p>　　　　※天津条約によって、両方の軍の撤兵や将来出兵する時の事前通告などを約束した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→しかし、１８９４年に全琫準という人などが甲午農民戦争（東学党の乱）</p>
<p>　　　　という争いを起こした</p>
<p>　　　　＝そのため、日本と清の両方の軍が出兵して、日清戦争がはじまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　※東学とは</p>
<p>　　　　　　・１８６０年ころに崔済愚という人が作った新しい宗教のこと</p>
<p>　　　　　　・キリスト教の西学に対抗して、朝鮮にあった民間信仰に</p>
<p>　　　　　　　儒教、仏教、道教の３教などを融合したもので、</p>
<p>　　　　　　　他の宗教を排除する傾向を持っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日清戦争について</p>
<p>　　　　・日清戦争は、日本が勝利した</p>
<p>　　　　・負けた清は、１８９５年の下関条約で以下のようなことを決めた</p>
<p>　　　　　→・朝鮮の独立</p>
<p>　　　　　　・日本に対する遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲</p>
<p>　　　　　　・賠償金の支払い</p>
<p>　　　　　　・通商上の特権の付与</p>
<p>　　　　　　・開港した港での企業の設立　　など</p>
<p>　　　　・この戦争の結果、日本は大陸侵略の足場を朝鮮に築くことになった</p>
<p>　　　　　※この動きは、極東で南下を目指すロシアとの対立を深めていくことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・明治維新とその動きについておさえる</p>
<p>・東アジアの国際的な動きの変化についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/912">近代の東アジアの国際秩序について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/912/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/912" />
	</item>
		<item>
		<title>東南アジアの植民地化の動きについて②　－ミャンマー・フィリピン・ベトナム・清・タイ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/906</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/906#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 08:09:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[タイ]]></category>
		<category><![CDATA[ビルマ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[フィリピン]]></category>
		<category><![CDATA[フランス領インドシナ連邦]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム]]></category>
		<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[ユエ条約]]></category>
		<category><![CDATA[大土地所有制]]></category>
		<category><![CDATA[清]]></category>
		<category><![CDATA[清仏戦争]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=906</guid>
		<description><![CDATA[東南アジアの植民地化の動きについて、ミャンマー、フィリピン、ベトナム、清、タイの それぞれについて考えてみます &#160; &#160; &#160; &#160; 　・ミャンマーでは、イギリスはアッサムに進出したコン [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/906">東南アジアの植民地化の動きについて②　－ミャンマー・フィリピン・ベトナム・清・タイ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東南アジアの植民地化の動きについて、ミャンマー、フィリピン、ベトナム、清、タイの</p>
<p>それぞれについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ミャンマーでは、イギリスはアッサムに進出したコンバウン朝を３次にわたる</p>
<p>　　ビルマ戦争をへてインドに併合した</p>
<p>　　→そして、ミャンマー南部のデルタ地帯の水田稲作開発をすすめて</p>
<p>　　　世界市場に組み込んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フィリピンには、スペインが進出した</p>
<p>　　</p>
<p>　・スペインは、メキシコ銀をマニラに運んだ</p>
<p>　　→そして、マニラに集まってきた中国の商船や中国人在住者を仲介した</p>
<p>　　→そして、中国産の絹織物や陶磁器などを得てアメリカ大陸へ運ぶ太平洋ルートを確立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、支配地では政教一致体制を取り、住民をカトリックに強制的に改宗させた</p>
<p>　　→この時に、新しく統治組織を作ってフィリピン人をトップにした</p>
<p>　　　※しかし、スペイン人である教区司祭が、信仰から行政まで絶大な権限をふるった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・スペインは、今までは欧米の勢力に対して鎖国政策を取ってきた</p>
<p>　　→しかし、自由貿易を求める圧力を受けたために、１８３４年にマニラを正式に開港した</p>
<p>　　　＝その結果、砂糖、マニラ麻、タバコなどの商品作物の生産が一気に進み、</p>
<p>　　　　世界市場に組み込まれていった</p>
<p>　　　　※この時に、商人や高利貸しによる土地の集積が始まった</p>
<p>　　　　　→そして、プランテーション開発が進んで大土地所有制が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベトナムには、フランスが介入した</p>
<p>　　</p>
<p>　・阮福映という人は、フランス人宣教師のピニョーが本国から連れてきたフランス義勇兵と</p>
<p>　　タイ軍の援助で１８０２年に全土を統一し、阮朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８０４年に、清朝からベトナム（越南）国王に封ぜられた</p>
<p>　　＝その結果、清の制度を導入し、行政制度を整備した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９世紀の半ばになると、フランスはカトリック教徒の迫害を理由にして</p>
<p>　　強引に軍事介入をし始めた</p>
<p>　　→その後、１８６２年にメコン川流域を奪って、領土拡大の動きを見せた</p>
<p>　　→この動きに対して、劉永福という人が組織した黒旗軍という軍は、</p>
<p>　　　ベトナム北部に根拠を置いて抵抗した</p>
<p>　　　※この動きを口実にフランスは北部に進出した</p>
<p>　　　　＝結果的に、１８８３年のユエ条約によって北部と中部を支配下に置いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、清朝はベトナムへの宗主権を主張して派兵したことで、清仏戦争が起きた</p>
<p>　　→この戦争で清は敗れた</p>
<p>　　　＝その結果、１８８５年の天津条約でベトナムへのフランスの保護権を</p>
<p>　　　　承認することになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ベトナムの植民地化に成功したフランスは、１８６３年以来</p>
<p>　　　保護国としていたカンボジアとベトナムを合わせた</p>
<p>　　　＝その結果、１８８７年にフランス領インドシナ連邦を成立させた</p>
<p>　　　　※１８９９年には、ラオスも編入した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・唯一植民地化の圧力を回避したのはタイだった</p>
<p>　　→タイでは、伝統的に閉鎖的な政策が西ヨーロッパの国々に対してとられていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９世紀になると、門戸開放の圧力が強まり、１９世紀の後半になって</p>
<p>　　　政策の転換が行なわれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→王室による貿易独占が解除され、自由貿易の原則が確認された</p>
<p>　　　※すると、次々と先進諸国と外交関係が結ばれた</p>
<p>　　　　＝その結果、お米の商品化が進み、デルタ地帯の開発が進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・チュラコロン（ラーマ５世）という人は、イギリスとフランスとの勢力均衡策を取った</p>
<p>　　→この政策の裏で、外国への留学や外国人専門家の導入化を進めた</p>
<p>　　　＝その結果、近代化に成功し、植民地化への危機を回避した　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>ポイント</p>
<p>・植民地化を中心に、東南アジアの動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/906">東南アジアの植民地化の動きについて②　－ミャンマー・フィリピン・ベトナム・清・タイ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/906/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/906" />
	</item>
	</channel>
</rss>
