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	<title>アラエス &#187; 源頼朝</title>
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	<item>
		<title>北条氏の登場について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1145</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1145#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 18:04:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[北条政子]]></category>
		<category><![CDATA[北条時政]]></category>
		<category><![CDATA[北条氏]]></category>
		<category><![CDATA[北条義時]]></category>
		<category><![CDATA[合議制]]></category>
		<category><![CDATA[和田合戦]]></category>
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		<category><![CDATA[源頼朝]]></category>

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		<description><![CDATA[北条氏の登場について考えてみます &#160; &#160; ・北条氏の登場について &#160; 　・幕府の政治は、源頼朝が将軍として独裁体制の状態で行っていた 　　 　　→しかし、頼朝が死んだ後の源頼家と源実朝の時代 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1145">北条氏の登場について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>北条氏の登場について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・北条氏の登場について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府の政治は、源頼朝が将軍として独裁体制の状態で行っていた</p>
<p>　　</p>
<p>　　→しかし、頼朝が死んだ後の源頼家と源実朝の時代になった時に、</p>
<p>　　　御家人中心の政治を目指す動きが強くなった</p>
<p>　　　※源頼朝の死後に、大江広元などの貴族出身の頼朝の側近と、</p>
<p>　　　　北条時政や比企能員などの有力御家人などを合わせて、１３人からなる</p>
<p>　　　　合議制によって政治が行われた</p>
<p>　　　　・合議制・・合議によって物事を決める制度のこと　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その動きと同時に、有力な御家人の間で、政治の主導権を目指して何度も争いが起きた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→政治の主導権を目指す争いの時に、多くの御家人が滅びてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝上のような動きの中で勢力を伸ばしてきたのが、</p>
<p>　　　　伊豆の在庁官人だった北条氏という氏族だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１２０３年に、源頼朝の妻である北条政子の父親だった北条時政は、</p>
<p>　　将軍だった源頼家に地位を降ろさせて、弟の源実朝を立てることで、</p>
<p>　　北条時政が幕府の権力を握るようになった</p>
<p>　　＝この時の、北条時政の地位は執権と呼ばれた</p>
<p>　　　→執権の地位は、北条時政が子どもの北条義時に継承された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※北条時政は、源頼家の後見だった比企能員を倒して、源頼家を伊豆の修禅寺に閉じ込めて、</p>
<p>　　　１２０４年に暗殺した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※北条義時は、侍所の長官（別当）だった和田義盛を倒して、</p>
<p>　　　政所と侍所の別当を両方担当し、自分の地位を固めた</p>
<p>　　　＝北条義時が和田義盛を倒した戦いを、和田合戦と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この動きの後から、執権は北条氏一族の間で世襲を繰り返されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・北条氏の登場についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1145">北条氏の登場について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>鎌倉幕府の誕生について①　－鎌倉幕府が出来るまでの流れ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1142</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1142#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 17:45:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[兵糧米]]></category>
		<category><![CDATA[右近衛大将]]></category>
		<category><![CDATA[奥州藤原氏]]></category>
		<category><![CDATA[寿永二年十月宣旨]]></category>
		<category><![CDATA[御家人]]></category>
		<category><![CDATA[惣追捕使]]></category>
		<category><![CDATA[源義経]]></category>
		<category><![CDATA[源頼朝]]></category>
		<category><![CDATA[藤原泰衡]]></category>
		<category><![CDATA[鎌倉幕府]]></category>

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		<description><![CDATA[鎌倉幕府が出来るまでの流れについて考えてみます &#160; &#160; ・鎌倉幕府が出来るまでの流れについて &#160; &#160; 　・平氏への反対勢力のうち、東国の武士団が、源氏である源頼朝のところに 　　集 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1142">鎌倉幕府の誕生について①　－鎌倉幕府が出来るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>鎌倉幕府が出来るまでの流れについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・鎌倉幕府が出来るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平氏への反対勢力のうち、東国の武士団が、源氏である源頼朝のところに</p>
<p>　　集まるようになった</p>
<p>　　→そのため、勢力の中でも源頼朝の勢力が最も大きくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・源頼朝は、鎌倉という場所を拠点にして、主従関係を作ろうとした</p>
<p>　　→そこで、関東の荘園や公領を支配することで、御家人の土地の支配を保障していった</p>
<p>　　　※御家人・・将軍と主従関係にある武士のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１１８３年に源頼朝が京都の後白河法皇と相談して、源頼朝が東国を支配することを</p>
<p>　　承認してもらった</p>
<p>　　＝このことを寿永二年十月宣旨と言う</p>
<p>　</p>
<p>　※しかし、１１８５年に平氏が倒れた後、あまりにも源頼朝の力が強くなりすぎたため、</p>
<p>　　後白河法皇が源義経に源頼朝を倒すことを命令した</p>
<p>　　→この動きに対して、源頼朝は軍隊を京都に送ったため、後白河法皇よりも</p>
<p>　　　強い立場になってしまった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　＝そのため、源頼朝が以下のようないろいろな権利を得た</p>
<p>　　　　→・様々な国に守護を、荘園や公領に地頭を任命する権利を得た</p>
<p>　　　　　　※守護は、最初は惣追捕使や国地頭などと呼ばれたが、</p>
<p>　　　　　　　最終的に守護に統一された</p>
<p>　　　　　・１段当たり５升という単位で兵糧米（戦いの時の兵糧のためのお金のこと）を</p>
<p>　　　　　　徴収する権利を得た　</p>
<p>　　　　　・様々な国の国衙の実権を握る在庁官人を支配する権利を得た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のような動きを行ったり、権利を得たりしたので、源頼朝が東国だけでなく、</p>
<p>　　　西の方も支配するようになった</p>
<p>　　　＝このようにして全国に源頼朝の力が広がっていったので、</p>
<p>　　　　武家政権としての鎌倉幕府が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・鎌倉幕府を誕生させた後、源頼朝は、源義経をかばったという理由で</p>
<p>　　奥州藤原氏を倒した</p>
<p>　　※具体的にどうやって倒したのか</p>
<p>　　　・藤原秀衡が死んだ後に、子どもの藤原泰衡が諦めて源頼朝の要求に従い、</p>
<p>　　　　源義経を殺した</p>
<p>　　　　→その後、源頼朝は藤原泰衡が義経を一回かばっているということを理由にして、</p>
<p>　　　　　１１８９年に奥州に軍を出して藤原泰衡を倒し、</p>
<p>　　　　　陸奥と出羽の２つの国を支配することが出来た</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・源頼朝が、１１９０年に上洛（地方から京都に移ること）を達成して、</p>
<p>　　右近衛大将という令外官になった</p>
<p>　　→その後、１１９２年に後白河法皇が死んだため、源頼朝が征夷大将軍という役職に</p>
<p>　　　任命された</p>
<p>　　　＝このようにして、鎌倉幕府が名前だけでなく、内容的にも成立してから、</p>
<p>　　　　滅亡するまでの時代を鎌倉時代と呼ぶ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※幕府は、武士のトップが作った政権のことを言い、</p>
<p>　　　　征夷大将軍は、源頼朝が任命されてからは、武士をまとめる地位を示す</p>
<p>　　　　官職のことを言ったが、昔は幕府も征夷大将軍も意味が違っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・鎌倉幕府が出来るまでの流れについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1142">鎌倉幕府の誕生について①　－鎌倉幕府が出来るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>保元・平治の乱について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1137</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1137#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 17:15:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[伊勢平氏]]></category>
		<category><![CDATA[保元の乱]]></category>
		<category><![CDATA[崇徳上皇]]></category>
		<category><![CDATA[平正盛]]></category>
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		<category><![CDATA[後白河上皇]]></category>
		<category><![CDATA[源義朝]]></category>
		<category><![CDATA[源頼朝]]></category>
		<category><![CDATA[鳥羽法皇]]></category>

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		<description><![CDATA[保元・平治の乱について考えてみます &#160; &#160; ・保元・平治の乱までの流れについて &#160; &#160; 　・源氏が、東国で勢力を拡大していった 　　→すると、東国武士団の中から、源義家に土地を寄進 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1137">保元・平治の乱について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>保元・平治の乱について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・保元・平治の乱までの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・源氏が、東国で勢力を拡大していった</p>
<p>　　→すると、東国武士団の中から、源義家に土地を寄進して保護を求める人が増えてきた</p>
<p>　　　＝この動きに焦って、朝廷が急いで寄進を禁止するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・義家の後に、源氏一族で内紛が起きたため、源氏の勢力が少し衰えた</p>
<p>　　→そこで、伊勢平氏という氏族が、院との関係を結んだため、</p>
<p>　　　源氏に代わって発展していった</p>
<p>　　　※伊勢平氏・・桓武平氏の中で、伊勢や伊賀を中心にしていた氏族のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※伊勢平氏の中でも、平正盛、平忠盛という人が活躍した</p>
<p>　　→平正盛、平忠盛が行った例</p>
<p>　　　・源義家の子どもで、出雲で反乱を起こした源義親という人を倒した</p>
<p>　　　・平正盛の子どもの平忠盛という人は、瀬戸内海の海賊を落ち着かせたことで、</p>
<p>　　　　鳥羽上皇に信頼されるようになった</p>
<p>　　　・平忠盛は、武士として、院近臣として大切に用いられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のような流れを受けて、平氏の力をさらに強めた人が、</p>
<p>　　平忠盛の子どもの平清盛という人だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１１５６年に、鳥羽法皇が死んでしまった後に、皇位継承について法皇側と</p>
<p>　　崇徳上皇という人が対立した</p>
<p>　　</p>
<p>　　・崇徳上皇側</p>
<p>　　　→・左大臣の藤原頼長と関係を持って、源為義や平忠正などの武士を集めた</p>
<p>　　　　　※藤原頼長は、兄で関白の藤原忠通と、摂関家の継承について争っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・法皇側</p>
<p>　　　→・鳥羽法皇の立場を引き継いだ後白河天皇が、藤原忠通や近臣の藤原通憲の意見によって、</p>
<p>　　　　　平清盛や源義朝などの武士を集めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→結果は、法皇側が崇徳天皇側を攻撃して倒し、法皇側が勝利したため、</p>
<p>　　　崇徳天皇は讃岐に流された</p>
<p>　　　＝この時の争いのことを、保元の乱と言う</p>
<p>　　</p>
<p>　　→この結果によって、後白河上皇が院政を始めた</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>　・保元の乱の後、後白河上皇の近臣達が対立するようになった</p>
<p>　　→そこで、１１５９年に平清盛と関係を持っている藤原通憲に反感を抱いた</p>
<p>　　　近臣の一人である藤原信頼という人が、源義朝と関係を結んで兵を出した</p>
<p>　　　＝平清盛・藤原通憲と藤原信頼・源義朝の争いという関係になった</p>
<p>　　</p>
<p>　　→対立の流れ</p>
<p>　　　・最初に藤原通憲が自殺をした</p>
<p>　　　・その後、平清盛の側が不利なったかと思われた</p>
<p>　　　・しかし、平清盛の武力が強すぎたために、平清盛によって</p>
<p>　　　　藤原信頼や源義朝が倒された</p>
<p>　　　・そのため、源義朝の子どもである源頼朝が伊豆に流されることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝この争いのことを、平治の乱と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→２つの乱によって、以下のようなことが明らかになった</p>
<p>　　　・争いは武士の実力で解決されることが明らかになった</p>
<p>　　　・平清盛の地位と権力が、急速に高まっていった　　etc</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・保元の乱と平治の乱の流れとそれまでの動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1137">保元・平治の乱について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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