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	<title>アラエス &#187; 聖徳太子</title>
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	<item>
		<title>現代社会と青年の生き方との関係について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1807</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1807#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 07:48:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[宮下]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[現代の社会生活と青年]]></category>
		<category><![CDATA[コミュニケーション]]></category>
		<category><![CDATA[コミュニティ]]></category>
		<category><![CDATA[伝統文化]]></category>
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		<category><![CDATA[若者文化]]></category>

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		<description><![CDATA[現代社会と青年の生き方との関係について考えてみます &#160; &#160; ・伝統文化について &#160; 　・伝統文化を知るための代表的な人として、聖徳太子が挙げられる &#160; 　　→聖徳太子は、「和をもっ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1807">現代社会と青年の生き方との関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>現代社会と青年の生き方との関係について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・伝統文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・伝統文化を知るための代表的な人として、聖徳太子が挙げられる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→聖徳太子は、「和をもって貴しとなし、忤ふる（さからう）こと無きを宗とせよ」と述べた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→聖徳太子の発言はどういう意味だったのか</p>
<p>　</p>
<p>　　　・集団の中で、自分と他人が穏やかに調和することを重視することが良いと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・上下の人間関係の時に、上の人は下の人に優しくして、</p>
<p>　　　　下の人は上の人の言うことに従うのが良い</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・グループの和を乱すような、個人的な発言や行動は、恥ずかしいから行うべきではない</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→聖徳太子のような考え方は、現在でも影響を与えると同時に、</p>
<p>　　　人々の行動をコントロールしていると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※実際に考え方が使われている例</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・組織の上の人達が事前に根回しをしている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　・周りの人達の意見に合わせて自分も意見を述べる　etc</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→聖徳太子の考え方による現代の行動は、組織の調和を重視する伝統的なスタイルが</p>
<p>　　　　　現代に合う形で表現された、と言われている　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・現代の若者文化の特徴について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・昔からの伝統的な文化と、現在の若者の文化は違うものになってきていると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・現代の若者文化の特徴</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　→・公の場で、それぞれの人の考え方が違う事をはっきりさせて、</p>
<p>　　　　　　参加している人達で共通の理解を作ることが苦手という傾向がある</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　　・面と向かって意見を言い合って、はっきりと自分のことを話すことによって、</p>
<p>　　　　　　人間関係にゆがみが出たり、お互いを傷つけたりする可能性がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　・物事をはっきり言わないで、遠回しに言うようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　・直接会って話をするのではなく、携帯電話を使ってコミュニケーションを取る</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　　→このような文化の特徴から、自分が傷つかないようにしながら、</p>
<p>　　　　　　　とげのない、なめらかな人間関係を目指そうとしていることが考えられる、</p>
<p>　　　　　　　と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・現代での新しい生き方を考える</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・現代は、福沢諭吉が考えたような、独立自尊の精神が必要なのではないか、</p>
<p>　　と言われている</p>
<p>　　※独立自尊・・全てのことを自分で行って、自分らしさを保つこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・現代は国際化の時代になり、日本人が国際社会の中で生きるようになったので、</p>
<p>　　以下のようなことを考える必要があるのではないかと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・伝統的な日本の文化をちゃんと理解して、何が足りないのかを判断することが必要</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・国際社会の中で、自分自身の責任を理解し、</p>
<p>　　　　世界の人々と対等につきあう態度というものが必要</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・自分の仲間だけでのコミュニティを意識しすぎて</p>
<p>　　　　自分の意見を述べない態度を改める必要がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・公の場で自己主張をちゃんとやって、</p>
<p>　　　　対等の立場で討論する能力を獲得することが必要</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・日本は他の国と全く違う特別な国である、という考え方は捨てる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>ポイント</p>
<p>・伝統文化について考える</p>
<p>・若者文化を考える</p>
<p>・現代での新しい生き方を考えてみる</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1807">現代社会と青年の生き方との関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1626</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1626#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:09:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[和辻哲郎]]></category>
		<category><![CDATA[奈良仏教]]></category>
		<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[最澄]]></category>
		<category><![CDATA[末法思想]]></category>
		<category><![CDATA[神仏習合]]></category>
		<category><![CDATA[空海]]></category>
		<category><![CDATA[聖徳太子]]></category>
		<category><![CDATA[聖武天皇]]></category>

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		<description><![CDATA[仏教が日本に入ってきてから、神仏習合に至るまでについて解説します。 &#160; &#160; ・仏教の伝来について &#160; 　・仏教が伝来されるまでの流れ 　　→・漢字の伝来と一緒に、百済の王仁という人（＝百済か [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1626">仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>仏教が日本に入ってきてから、神仏習合に至るまでについて解説します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・仏教の伝来について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・仏教が伝来されるまでの流れ</p>
<p>　　→・漢字の伝来と一緒に、百済の王仁という人（＝百済からの渡来人）によって</p>
<p>　　　　儒学が取り入れられた</p>
<p>　　　・その後、６世紀中ごろに仏教が朝鮮半島を通って日本に入ってきた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※この時、祭祀などを排除しないで、むしろ、元々存在している儀礼を</p>
<p>　　　　より豊かにする形で儒教や仏教が取り入れられていった</p>
<p>　　　　→和辻哲郎は、このような仏教の受け入れ方の特徴を、文化の重層性と呼んだ</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※当時、仏は蕃神（あだしくにのかみ）＝外国から新しく入ってきた神　</p>
<p>　　　　と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・仏教と聖徳太子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子とは・・</p>
<p>　　→・この人は、仏教を初めて思想として表現した</p>
<p>　　　・法華経（ほけきょう）、勝鬘経（しょうまんぎょう）、維摩経（ゆいまきょう）を</p>
<p>　　　　まとめて三経と言い、聖徳太子は、三経のそれぞれの注釈書である、</p>
<p>　　　　「三経義疏」を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子は、憲法十七条を制定した</p>
<p>　　→憲法十七条の冒頭で、「和をもって貴しとなす。逆らうことなきを宗となせ。」</p>
<p>　　　と述べた</p>
<p>　　　※どういうことか・・政治を行う人で、上に立つ人は下の人に和やかに、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　下の人は上の人に逆らってはいけないと考えた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※憲法十七条の内容の他の条では・・</p>
<p>　　　・仏と法と僧の三宝を敬うべきである</p>
<p>　　　・怒りやねたみを捨てて、是非や善悪を自分で勝手に判断するな</p>
<p>　　　・自分の間違いを恐れ、重要な事柄を決定するときは多くの人の意見に従え</p>
<p>　　　　などということが述べられていた</p>
<p>　</p>
<p>　　　→このようなことから、聖徳太子はどのように考えていたのか・・</p>
<p>　　　　＝聖徳太子は、仏から見れば、</p>
<p>　　　　　全員が「凡夫」（欲望や執着に捉われている愚かな存在）だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子の遺言</p>
<p>　　・聖徳太子は、「世間は虚仮なり、唯仏のみ是れ真なり」という遺言を残した</p>
<p>　　　→これは、どういう意味なのか</p>
<p>　　　　＝貧富や身分の上下、賢いか愚かかは、見かけの姿でしかないから、</p>
<p>　　　　　貧しい人や身分の低い人と対応する時は、その人の心を意識しなければいけない</p>
<p>　　　　　と考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・奈良仏教の流れ</p>
<p>　</p>
<p>　・奈良仏教の根本</p>
<p>　　→奈良時代の仏教は、鎮護国家（災厄を鎮め、人々の苦しみをやわらげ、</p>
<p>　　　国家を無事でやすらかにすること）として、盛んになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・奈良時代に活躍した人々</p>
<p>　　</p>
<p>　　・行基－・法相宗を学び、私度僧（朝廷の承認なしに出家する人々のこと）の</p>
<p>　　　　　　　指導者として活躍した</p>
<p>　　　　　　・吉凶禍福（幸福や不幸）や善悪について考え、</p>
<p>　　　　　　　無料宿泊施設や毘盧遮那仏（びるしゃなぶつ）などの造立に参加した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・鑑真－・東大寺という所に</p>
<p>　　　　　　　戒壇（出家を目指す人に戒律（修行する人の生活上のルール）を与える場所のこと）</p>
<p>　　　　　　　を作り、受戒制度（戒律を受け取る制度のこと）を確立した</p>
<p>　　　　　　・南都六宗（三論、成実、法相、倶舎、華厳、律の総称）が生まれ、</p>
<p>　　　　　　　教説（学問上の説）を学んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・聖武天皇－・国分寺と国分尼寺を建て、</p>
<p>　　　　　　　　　金光明経（国王が祈れば国が救われるという考え方の経典）を読んで、</p>
<p>　　　　　　　　　五穀豊穣（穀物が豊かに実ること）と災厄を鎮めることを祈った</p>
<p>　　　　　　　　・東大寺に毘盧遮那仏（華厳経の仏）を建て、</p>
<p>　　　　　　　　　国家の安泰（無事でやすらかにすること）を祈った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、私度僧に対し、朝廷の承認があってから出家した人を官僧と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・平安時代の流れ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平安時代の根本</p>
<p>　　→厄病除けなどの現世利益（神や仏からもらえるこの世での幸せのこと）のために、</p>
<p>　　　加持祈祷（仏や神が人々を助けるよう祈ること）が盛んに行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平安時代に活躍した人達</p>
<p>　　</p>
<p>　　・最澄－・「顕戒論」や「三家学生式」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・天台宗を学んで、比叡山に延暦寺を建てた</p>
<p>　　　　　　・大乗菩薩戒（大乗仏教の戒）だけ受戒できることを目指した</p>
<p>　　　　　　・一切衆生悉有仏性（命あるものは全て仏になる可能性を</p>
<p>　　　　　　　持っているという考え方）を強調した</p>
<p>　</p>
<p>　　・空海－・「三教指帰」や「十住心論」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・密教を学び、真言宗を伝え、高野山に金剛峯寺を開いた</p>
<p>　　　　　　　※密教－釈迦が悟った真理のことで、大日如来という仏が</p>
<p>　　　　　　　　　　　受け入れていると考えられていた</p>
<p>　　　　　　・即身成仏（決心さえすれば誰でも仏になれるという考え方）を強調した</p>
<p>　　　　　　・曼荼羅（仏の知の世界を図にしたもの）を伝えた</p>
<p>　　　　　　　※曼荼羅は、慈悲の表れだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・末法思想と浄土信仰について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・浄土信仰に関連して活躍した人達について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・空也－市聖と呼ばれ、南無阿弥陀仏を称えながら、浄土信仰を広めた</p>
<p>　　　※浄土信仰・・仏や菩薩が支配する浄土という世界に憧れる信仰のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・源信－・「往生要集」という本を書き、次に生まれてくる時に</p>
<p>　　　　　　　どうすれば極楽浄土という場所に行けるかを考えた</p>
<p>　　　　　　・阿弥陀仏が人々を極楽浄土に迎えにくる様子を書いた</p>
<p>　　　　　　　→これを来迎図と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・慶滋保胤（よししげのやすたね）</p>
<p>　　　→「日本往生極楽記」というのを書き、極楽浄土に到着した人達の話を集めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・末法思想について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・末法思想とは・・仏教が正法、像法、末法と衰退していくという考え方のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　※正法・・教（教説）と行と証がある</p>
<p>　　　像法・・教と行がある</p>
<p>　　　末法・・教がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→人々は末法に進むにつれ、不安に駆られた。</p>
<p>　　　そのため、厭離穢土や欣求浄土に魅かれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・神仏習合について</p>
<p>　</p>
<p>　・日本では、仏が神や死者に関わる儀礼と結びついて仏教が浸透していった</p>
<p>　　→このように、仏と神を合わせてそれぞれの良いところを</p>
<p>　　　選び取る考え方を神仏習合と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神仏習合に関連する事柄について</p>
<p>　　</p>
<p>　　・修験道－・奥山に入って、神に関わる儀礼と仏教の教説を学ぶこと</p>
<p>　　　　　　　・開祖は役小角で、修験道を行った人は山伏と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・本地垂迹説－仏が神という姿を借りて現れるという考え方</p>
<p>　　　※仏＝本地、神＝垂迹・・権現　というように考えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・仏教が入ってくる流れを抑える</p>
<p>・聖徳太子の思想、十七条の憲法、遺言を抑える</p>
<p>・奈良仏教の根本（鎮護国家）と行基、鑑真、聖武天皇の思想を抑える</p>
<p>・平安仏教の根本（現世利益・加持祈祷）と最澄、空海の思想を抑える</p>
<p>・浄土信仰に関連した人として、空也、源信、慶滋保胤を抑える</p>
<p>・末法思想＝仏教が最終的に末法に衰退していくという考え方</p>
<p>・神仏習合、修験道、本地垂迹説を抑える</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1626">仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>飛鳥朝廷について②　－東アジアの動向の中での日本の動きについてー</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1109</link>
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		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 09:11:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[冠位十二階]]></category>
		<category><![CDATA[小野妹子]]></category>
		<category><![CDATA[崇峻天皇]]></category>
		<category><![CDATA[憲法十七条]]></category>
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		<category><![CDATA[物部守屋]]></category>
		<category><![CDATA[犬上御田鍬]]></category>
		<category><![CDATA[聖徳太子]]></category>
		<category><![CDATA[蘇我馬子]]></category>
		<category><![CDATA[遣隋使]]></category>

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		<description><![CDATA[飛鳥朝廷について、東アジアの動向の中での日本の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・東アジアの動向の中での日本の動きについて &#160; 　・日本国内では、大臣である蘇我馬子が５８７年に物部守屋を倒し [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1109">飛鳥朝廷について②　－東アジアの動向の中での日本の動きについてー</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>飛鳥朝廷について、東アジアの動向の中での日本の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東アジアの動向の中での日本の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本国内では、大臣である蘇我馬子が５８７年に物部守屋を倒し、</p>
<p>　　５９２年に崇峻天皇を暗殺することで日本政治の権力を握った</p>
<p>　　→その後、敏達天皇という人の后である推古天皇という人が、新しく天皇として即位した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・推古天皇の政治は、蘇我馬子や、推古天皇の甥の厩戸王（聖徳太子）らが</p>
<p>　　協力することで行っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子によって、６０３年に冠位十二階、６０４年に憲法十七条が作られた</p>
<p>　　※・冠位十二階・・個人の才能や功績に対して冠位を与えることで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　氏という単位の王権の下での組織を変えようとした</p>
<p>　　　　　　　　　　　→ただし、蘇我氏は冠位を与えるほうなので、冠位は無い</p>
<p>　　　・憲法十七条・・豪族に官僚としての心構えを教えることと、</p>
<p>　　　　　　　　　　　仏教を取り入れようとすることを提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※なぜ、冠位十二階や憲法十七条を作ったのか</p>
<p>　　　　→中央集権体制を作りたかったから</p>
<p>　　　　　＝権力を中央に集めたかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国との交流も活発に行われるようになった</p>
<p>　　→・６０７年に初めての遣隋使として、小野妹子という人が中国に行った</p>
<p>　　　　　※この時、隋への日本からの手紙は、中国の皇帝である煬帝に貢ぐスタイルを</p>
<p>　　　　　　取らなかったので、無礼だとされた</p>
<p>　　　　　※６１８年に隋が無くなり、唐が出てきた</p>
<p>　　　・６３０年に初めての遣唐使として、犬上御田鍬という人が中国に行った</p>
<p>　　　※高向玄理、南淵請安、旻などの留学生や学問僧は、遣隋使について行き、</p>
<p>　　　　中国の制度、文化、思想などの新しい知識を日本に伝えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東アジアの動向の中での日本の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1109">飛鳥朝廷について②　－東アジアの動向の中での日本の動きについてー</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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