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	<title>アラエス &#187; 関東軍</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>満州事変について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1300</link>
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		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 07:36:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[上海事変]]></category>
		<category><![CDATA[不承認宣言]]></category>
		<category><![CDATA[協調外交]]></category>
		<category><![CDATA[幣原喜重郎]]></category>
		<category><![CDATA[柳条湖事件]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[満蒙の危機]]></category>
		<category><![CDATA[犬養毅]]></category>
		<category><![CDATA[若槻礼次郎]]></category>
		<category><![CDATA[関東軍]]></category>

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		<description><![CDATA[満州事変について考えてみます &#160; &#160; ・満州事変について &#160; &#160; 　・中国で国権を回収するための民族運動が盛り上がり始めていた時期があった 　　→その時に、日本国内では軍や右翼（保 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1300">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>満州事変について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・満州事変について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国で国権を回収するための民族運動が盛り上がり始めていた時期があった</p>
<p>　　→その時に、日本国内では軍や右翼（保守的な考え方）が幣原喜重郎の協調外交を</p>
<p>　　　軟弱外交と批判した</p>
<p>　　→同時に、「満蒙の危機」が叫ばれるようになった</p>
<p>　　　※満蒙の危機・・満州と内蒙古が不安定な状態になること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・満蒙に対する危機感を強めた関東軍は、中国が国権を回収する運動が</p>
<p>　　満州にまで広がるのを、武力を使って阻止した</p>
<p>　　→この時に、長城という地域よりも南側で中国の権利が及んでいる範囲から、</p>
<p>　　　満州を切り離すことで、満州を日本の支配下に置くことを計画した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・関東軍は、参謀の石原莞爾という人を中心にして、１９３１年９月１８日に</p>
<p>　　奉天という地域の郊外の柳条湖という場所で、南満州の線路を爆破する</p>
<p>　　という事件を起こした</p>
<p>　　＝この事件を柳条湖事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※この時に石原莞爾は、日本とアメリカの間で「世界最終戦争」という</p>
<p>　　　　戦争が行われて、皆殺しになるレベルの戦争になるだろうと予言していたため</p>
<p>　　　　満州を占領して世界最終戦争に備えるべきだと主張していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→日本は、柳条湖事件の犯人は中国軍だとして、軍事的な行動を始めた</p>
<p>　　　＝ここから始まる軍事的な行動を、満州事変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時内閣だった、立憲民政党の第２次若槻礼次郎内閣は、</p>
<p>　　軍の行動を広げない方針を宣言した</p>
<p>　　※しかし、マスコミや世論は戦争に対する勢いが激しく、</p>
<p>　　　日本の軍の行動を支持していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・関東軍は、満州全てを制圧するために関東軍の行動範囲を広げていった</p>
<p>　　※このような状況をどうすることもできないと考えた第２次若槻礼次郎内閣は</p>
<p>　　　総辞職をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・満州での関東軍の軍事的な行動は、中国の人達の日本を排除する運動をより激しくさせた</p>
<p>　　→そのため、１９３２年には上海でも日本軍と中国軍が戦うということもあった</p>
<p>　　　＝この戦いを第１次上海事変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・この後、１９３１年１２月に立憲政友会のトップだった犬養毅という人が内閣を作った</p>
<p>　　→この時に犬養内閣は、中国と直接交渉することを目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３２年に、関東軍は満州の重要な土地を占領した</p>
<p>　　→３月には、清の最後の皇帝だった溥儀という人をトップに置いて、</p>
<p>　　　満州国を作ることを宣言した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカは、日本の一通りの行動に対して不承認宣言という宣言を出した</p>
<p>　　→そこで、中国からの訴えと日本の提案で、国際連盟の理事会が</p>
<p>　　　事実を調査することにした</p>
<p>　　→そのため、イギリスのリットンという人を団長とする調査団を</p>
<p>　　　満州、中国、日本のそれぞれに派遣することにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・満州事変の流れについて押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1300">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>社会主義運動と積極外交と中国の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1297</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1297#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 07:15:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[三・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[中国国民党]]></category>
		<category><![CDATA[北伐]]></category>
		<category><![CDATA[四・一六事件]]></category>
		<category><![CDATA[山東出兵]]></category>
		<category><![CDATA[張作霖爆殺事件]]></category>
		<category><![CDATA[易幟]]></category>
		<category><![CDATA[済南事件]]></category>
		<category><![CDATA[無産政党]]></category>
		<category><![CDATA[田中義一]]></category>
		<category><![CDATA[関東軍]]></category>

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		<description><![CDATA[社会主義運動と積極外交と中国の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・社会主義運動と積極外交と中国の動きについて &#160; &#160; 　・普通選挙法が出来てから、労働組合や農民組合を土台にする社会 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1297">社会主義運動と積極外交と中国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>社会主義運動と積極外交と中国の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・社会主義運動と積極外交と中国の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・普通選挙法が出来てから、労働組合や農民組合を土台にする社会主義の人達が、</p>
<p>　　議会を通して社会の改革を目指すようになっていった</p>
<p>　</p>
<p>　　→そこで、１９２５年に農民労働党という政党が作られた</p>
<p>　　　※しかし、農民労働党は共産党と関係があるという理由で</p>
<p>　　　　作られたその日に禁止になった</p>
<p>　　→そのため、１９２６年に共産党を除外して、合法的な無産政党の</p>
<p>　　　労働農民党（労農党）という政党が作られた</p>
<p>　　　※無産政党・・労働者や農民など、生産手段を持っていない人達の</p>
<p>　　　　　　　　　　利益を追求する政党のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※しかし、労働農民党の中で、共産党の系統の勢いが高まってくる</p>
<p>　　　ということが起きた</p>
<p>　　　→その時に、社会民主党（社民党）と日本労農党の２つがそれぞれ分裂して、</p>
<p>　　　　政党から離脱することになった</p>
<p>　　　　※社会民主党・・議会主義や国民政党の考え方を持っている政党のこと</p>
<p>　　　　　日本労農党・・労農党と社民党との中間的な立場に経っていた政党のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１９２８年に普通選挙制による最初の総選挙が行われた</p>
<p>　　→その時に、無産政党の系統から、８人が当選した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※この時に、今まで違法だとして扱われていた日本共産党が平然と活動を始めた</p>
<p>　　　　→この動きに衝撃を受けた田中義一内閣は、３月１５日に共産党員をまとめて検挙して、</p>
<p>　　　　　日本労働組合評議会などのような、共産党に関係する団体を解散させる、</p>
<p>　　　　　ということを行った</p>
<p>　　　　　＝この出来事を、三・一五事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２８年に、治安維持法を改正した</p>
<p>　　→改正の結果、最も厳しい刑を死刑と無期刑にすることになった</p>
<p>　　　※今までは、最も厳しい刑は１０年以下の懲役と禁錮だった</p>
<p>　　　※治安維持法の改正は、議会では成立しなかったので、緊急勅令を出すことで改正された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、道府県の警察にも特別高等課（特高）を作って、次の年に大規模な検挙を行った</p>
<p>　　　＝この出来事を、四・一六事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・田中義一内閣の時に、日本の外交は中国に対して、強硬的な姿勢を取ることにした</p>
<p>　　※ただし、欧米の国々に対しては協調外交を行う方針を引き継いで、</p>
<p>　　　１９２８年にパリで不戦条約という条約に調印している</p>
<p>　　　→この条約は、国際紛争を解決するために戦争をすることをやめ、</p>
<p>　　　　国家の政策としての手段に戦争を使う事を放棄することを、</p>
<p>　　　　「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」宣言するものだった</p>
<p>　　　　※ただし日本政府は次の年に、不戦条約は天皇主権の憲法を持っている日本には</p>
<p>　　　　　適用されないことを認めることを宣言した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況で、中国は北伐を行っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※北伐について</p>
<p>　　　・孫文という人が１９１９年に中国国民党という政党を作った</p>
<p>　　　　→中国国民党は、広東という場所を中心に中国の南の方を支配していった</p>
<p>　　　・１９２１年に中国共産党という政党が出てきた</p>
<p>　　　　→中国国民党は、中国共産党と手を組んで、１９２４年に第１次国共合作</p>
<p>　　　　　という協力関係を作った</p>
<p>　　　・１９２５年に孫文が亡くなり、その後を蒋介石という人が継いだ</p>
<p>　　　　→蒋介石は中国全土を統一するために、１９２６年に北方軍閥を倒して、</p>
<p>　　　　　国民革命軍という軍隊を作った</p>
<p>　　　　　※この時に蒋介石は国民革命軍を連れて北伐を目指し、</p>
<p>　　　　　　南京というところに国民政府という政府を作り、さらに北伐を行っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この状況に対して、田中義一内閣は、１９２７年に中国に関係する外交官や軍人を集めて、</p>
<p>　　東方会議という会議を開いた</p>
<p>　　→この会議で日本は、満州にある日本の利益を武力を使って守ることを決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２７年から１９２８年の時に、田中義一内閣は、満州の軍閥だった張作霖</p>
<p>　　という人を支援した</p>
<p>　　→その時に、国民革命軍に対抗するために、中国に住んでいる日本人を保護する</p>
<p>　　　という口実で、３回の山東出兵を行った</p>
<p>　　　※２回目の出兵の時には、日本軍が国民革命軍と戦い、一時的に済南城という城を</p>
<p>　　　　占領するということが起きた</p>
<p>　　　　＝この出来事を、済南事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この後に、張作霖が国民革命軍に負ける、ということが起きた</p>
<p>　　→この時に関東軍の一部で、張作霖を消して、自分達で直接満州を支配するのはどうか</p>
<p>　　　という考えが出てきた</p>
<p>　　　※関東軍・・関東都督府が関東庁と名前を変えた時に、陸軍部が独立して関東軍になった</p>
<p>　　　　　　　　　→関東軍は、遼東半島の一時的に借りている土地と、</p>
<p>　　　　　　　　　　満鉄の沿線を守ることが任務だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで関東軍は、日本政府に言わずに独断で、満州に帰る途中だった張作霖を、</p>
<p>　　　奉天という地域の郊外で列車ごと爆破して殺す、ということを行った</p>
<p>　　　＝この出来事を、張作霖爆殺事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、張作霖爆殺事件の真相は国民には伝えられず、</p>
<p>　　　満州某重大事件とだけ言われていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・張作霖爆殺事件については、当時元老だった西園寺公望の意見もあったため、</p>
<p>　　田中義一内閣は真相を公表することと厳重に処分することを決めて、</p>
<p>　　その考えを天皇に伝えた</p>
<p>　　※しかし、この考えは閣僚や陸軍の人達から反対されてしまった</p>
<p>　　　→そのため、田中義一内閣は張作霖爆殺事件の先頭に立った河本大作大佐を</p>
<p>　　　　停職にしただけで、この事件を終わらせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※上のようにして、田中義一内閣は方向転換をしたが、その方向転換が</p>
<p>　　　天皇を怒らせてしまった</p>
<p>　　　→そのため、１９２９年に、田中義一内閣は総辞職をすることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・張作霖爆殺事件の結果、関東軍の考えと反対になり、張作霖の子どもで後継者だった</p>
<p>　　張学良という人が、１９２８年に張学良が支配していた満州を、</p>
<p>　　国民政府に支配させることを決めた</p>
<p>　　※張学良は国民政府と合流して、満州で国民党の青天白日を示した旗を立てた</p>
<p>　　　＝これを、易幟（えきし）という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　→以上のようにして、中国国民党の北伐が達成され、中国全土がほとんど統一された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし、中国では不平等条約の撤廃や国権の回収などを求める民族運動も起きていた</p>
<p>　　　＝そのため、１９３１年に国民政府が不平等条約が無効であることを</p>
<p>　　　　一方的に宣言する方針を取ることにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・社会主義運動について押さえる</p>
<p>・積極外交と強硬の外交の様子を押さえる</p>
<p>・中国の動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1297">社会主義運動と積極外交と中国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>満州事変について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1041</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1041#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 09:50:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界恐慌・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[リットン調査団]]></category>
		<category><![CDATA[上海事変]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[八・一宣言]]></category>
		<category><![CDATA[国際連盟]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[溥儀]]></category>
		<category><![CDATA[西安事件]]></category>
		<category><![CDATA[関東軍]]></category>

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		<description><![CDATA[満州事変について考えてみます &#160; &#160; ・満州事変について &#160; &#160; 　・日本は、第一次世界大戦の時の好景気によって工業を発展させた 　　※しかし、１９２３年ころから貿易の調子が悪くな [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1041">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>満州事変について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・満州事変について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、第一次世界大戦の時の好景気によって工業を発展させた</p>
<p>　　※しかし、１９２３年ころから貿易の調子が悪くなった</p>
<p>　　　→さらに、１９２７年には金融恐慌が発生した</p>
<p>　　　　＝そして、１９２９年の世界恐慌によって、日本が大きなダメージを受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の経済面では、混乱が発生すると同時に労働争議が多発し、社会不安が広がった</p>
<p>　　※しかし、日本の既成の政党は政権争いを続けていたため、国民の信頼を失った</p>
<p>　　　＝そこで軍部は、経済危機を大陸での支配圏の拡大によって解決することを考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３１年９月に、日本の関東軍は中国東北地方（当時の日本は「満州」と呼んでいた）の</p>
<p>　　柳条湖で鉄道を爆破するということを起こした</p>
<p>　　→日本は、この爆破を口実にして、軍事行動を起こし、東北地方の大半を占領してしまった</p>
<p>　　　＝この出来事を満州事変という</p>
<p>　　　　※日本の軍部は、国際社会の注目をそらすために、１９３２年に上海事変を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の軍事行動は国際的に批判された</p>
<p>　　※さらに、中国の提訴によって国際連盟がリットン調査団という団体の派遣を決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・関東軍は、既成事実を作るために、１９３２年３月に、清朝最後の皇帝だった溥儀という人を</p>
<p>　　執政（のちの皇帝）に置いて、中国東北地方に満州国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・リットン調査団は、軍事行動が自分達を守るためのものであるという日本の主張をしりぞけた</p>
<p>　　※この主張のしりぞけを、国際連盟も支持した</p>
<p>　　　＝そのため、日本は１９３３年３月に、国際連盟脱退を通告された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この後、日本の侵攻は、熱河方面に向かっていった</p>
<p>　　※一時は、長城を超えて北京にせまり、華北支配を狙うようになった</p>
<p>　　→華北支配と並行する形で、一部の軍人はテロやクーデタ事件を起こして、</p>
<p>　　　国内での影響力を強めようとした</p>
<p>　　　※代表的なテロやクーデタに、</p>
<p>　　　　１９３２年の五・一五事件、</p>
<p>　　　　１９３６年の二・二六事件などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本軍は、１９３５年に、防共の名目で内モンゴルと華北に侵攻した</p>
<p>　　→その時日本は、河北省東部に国民政府から分離した冀東防共自治政府を設置させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で中国は、１９２８～３０年に関税自主権回復を達成したことで、国民政府が力を得た</p>
<p>　　→この時に、国内の政治的かつ軍事的な統一を目指した</p>
<p>　　　＝そのため中国は、満州事変などの日本の軍事行動への対応よりも、</p>
<p>　　　　共産党との戦いに力を入れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３４年に、瑞金という人を中心とする共産党軍は、国民政府軍の攻撃を受けて、</p>
<p>　　延安を中心とする奥地の陝西省と甘粛省を目指す長征というのを実行した</p>
<p>　　※この動きの過程で、共産党内の毛沢東の指導力が高まっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３５年に、国民政府はイギリスとアメリカ合衆国の援助で通貨を統一した</p>
<p>　　※今まで中国の通貨は基本的に銀で、紙幣を各銀行が発行していたため、</p>
<p>　　　通貨の価値や範囲が不安定だった</p>
<p>　　　→そこで国民政府は、銀を禁止して、ポンドに連動した四大銀行が発行する銀行券を</p>
<p>　　　　国内通貨として定めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝これら一連の動きによって、中国の地方の軍閥の力が弱められ、</p>
<p>　　　国内統一への方向がさらに進んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・満州事変をきっかけに中国の抗日運動が全国に広まっていった</p>
<p>　　→そこで中国は、１９３５年８月に中国共産党が八・一宣言を出して、</p>
<p>　　　内戦の停止と民族統一戦線の結成を呼び掛けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西安にいた張学良という人は、上のような状況を見て、共産党への攻撃を促した蒋介石を</p>
<p>　　捉えて、日本への対抗と内戦の停止を説得した</p>
<p>　　＝この出来事を西安事件という</p>
<p>　　　→西安事件の時に、蒋介石は説得を受け入れたため、その後に国共がふたたび接近した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・満州事変についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです　　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1041">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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