戦後の中国の揺らぎについて
戦後の中国の揺らぎについて考えてみます
・戦後の中国の揺らぎについて
・中国は、1950年代の前半に戦前の農工業生産を超えた
→しかし、その後は強引な工業化や農業集団化政策、共産党支配などに
対する批判が出てきた
・毛沢東は、批判勢力に反撃する形で「大躍進」運動を指示した
※「大躍進」運動・・大衆の動員による急激な社会主義の建設を目指す運動のこと
※「大躍進」運動は、農村での人民公社の設立を進めた
→しかし、大躍進運動は多くの犠牲を出して失敗した
=そのため、1959年に毛沢東に代わって劉少奇という人が国家主席について、
経済計画を見直した
→同じ1959年に、チベットで反中国運動が起きた
※これを中国軍が鎮圧したものの、インド軍とも衝突することになってしまった
・党の主席としてとどまった毛沢東という人は、帝国主義と対決するスタンスで
党の指導力を守ろうとした
※そのため、毛沢東はソ連の平和共存路線を批判した
・一方で、ソ連も毛沢東を非難した
→そこでソ連は、1960年に中国への経済援助を停止して、
ソ連人の技術者を中国から引きあげた
・中ソ対立は、1963年から公開論争に発展した
※これに加え、1969年には中ソの国境で軍事的な衝突も起きた
・また、毛沢東の方針について、中国共産党内でも対立が起こるようになった
→そこで、毛沢東とその軍をひきいる林彪などは、劉少奇や鄧小平などを、
資本主義の復活を目指す修正主義者(「実権派」「走資派」と呼ばれていた)で
あると非難した
=そのため、毛沢東は全国にプロレタリア文化大革命という運動を起こした
※プロレタリア文化大革命について
・中国では、文化大革命に応える形で、若い世代を中心に紅衛兵などの
全国的な大衆運動が作られた
・一方で、党の幹部や知識人を批判して追放した
・この時に劉少奇が失脚し、その後に国家主席が廃止された
・文化大革命は10年にわたり、中国内部に深刻な社会的混乱をもたらした
・文化大革命は、中国の経済活動や文化活動を停滞させたと言われている
ポイント
・中国内外の動揺の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです