弥生時代について② -農業と生活・住居と墓・集落-
弥生時代について、
・弥生時代の人々の農業と生活について
・農業について
・弥生時代の人々は、すでに田植えをしていた
・稲作の時には、鋤(すき)や鍬(くわ)、木臼や竪杵などが使われていて、
石包丁の穂首刈りなども行われた
※稲作の時の道具は、最初は磨製石器を使っていたが、
段々と鉄製工具を使うようになっていった
→最終的に石器は無くなり、鉄器が普及した
・弥生時代の最初の方は湿田だったが、段々と乾田に変わっていった
※・湿田・・水はけが悪く、水位が高い田んぼのこと
→水を減らすために排水の仕組みが必要で、生産性は低い
・乾田・・水はけが良く、水位が低い田んぼのこと
→水を増やすために灌漑(人工的に水を入れる)の仕組みが必要で、
灌漑と排水を繰り返すことで、田んぼの栄養分が良くなるので、
生産性は高い
・収穫した物は、高床倉庫という倉庫や貯蔵穴という場所に保管されていた
・住居と墓について
・住居は、竪穴式住居が中心だったが、掘立柱の高床倉庫や平地に作った建物も増えてきた
・集落に存在する住居の数が増えた
→集落の中には、環濠集落や高地性集落も多かった
※・集落・・村や都市など、いくつかの住居が集まっている場所のこと
・環濠集落・・深い濠(ほり)や土塁(土をもり上げることで作る
砦のようなもの)が周りにある集落のこと
・高地性集落・・山の上など、高いところに存在している集落のこと
→高地性集落を見れる遺跡として、佐賀県の吉野ヶ里遺跡がある
・死んだ人は、伸展葬(両足を折り曲げない埋葬)のスタイルだった
・死んだ人は、箱式石棺墓、支石墓、甕棺墓などに入れられていた
※甕棺墓には、中国鏡や青銅器などの武器が副葬品として、墓に一緒に入れられている
・方形周溝墓を始めとして、大きな墳丘の墓が出てきた
※・方形周溝墓・・方形の墳丘の周りに溝を作った墓のこと
・墳丘・・土をもり上げながら作った小さな山のこと
→なぜ、当時から大きな墓や副葬品が存在していたのか
=集団の中で身分差が出てきて、各地に大きな力を持つ支配者が出てきたことを
表していると言われている
・集落について
・集落では、より良い収穫の祈願と収穫の感謝をする神祭りが行われていた
→神祭りには、青銅製祭器(銅鐸、銅矛、銅剣、銅戈など)が使われていた
※青銅製祭器が見つけられた場所について
・銅剣、銅鐸、銅矛・・島根県の神庭荒神谷遺跡
・銅鐸・・島根県の加茂岩倉遺跡
・銅矛・・北九州
・平型銅剣・・瀬戸内
・銅鐸・・近畿
→地域によって使う青銅製祭器は違ったものの、共通の祭器を使う地域も
あったことがわかる
※青銅製祭器は、集落にいる人達の共同の祭りの時に使われる祭器で、
個人の墓に埋められることは、ほとんどなかった
ポイント
・弥生時代の特徴(農業、住居と墓、集落)を押さえる
このあたりが今回のポイントです