弥生時代について③ -小国の分立-

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投稿者:       投稿日時:2013/10/21 03:52      
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弥生時代について、小国の分立について考えてみます

 

 

・小国について

 

 

 ・小国が出来るまでの流れ

 

  ・この時代には、環濠集落や金属器などの武器が出てきた

   

   ※なぜ、武器や環濠集落などが出てくるようになったのか

    →農耕社会になった時に、自分達が食べる分以外の食料のために、

     戦いをするようになったので武器や環濠集落などを使うことで、

     自分達の多めに作った食料を守る必要があったから

 

    ※このような、余剰生産物の争いは農耕社会が生まれた地域では、

     だいたい戦いがあり、日本も例外ではなかった

 

  ・日本も争いをするようになった時に、力のある集落が周りの集落と合わさっていった

   →この統合によって、様々な地域で「クニ」と呼ばれる政治的な

    まとまりのある集落が出てきた

    =このような、まとまっている集落のことを小国と言う

 

    ※大量の副葬品と一緒に甕棺に入れられたり、大きな墳丘の墓を作って

     埋葬されたりしたのは、それぞれの小国の王様ではないかと考えられている

 

 

 

 ※日本の小国分立は、中国の歴史書からも分かると言われている

 

 ・中国の歴史書から見た、日本の小国分立について

  →代表的な歴史書に、「漢書」地理志と「後漢書」東夷伝がある

 

  ・「漢書」地理志について

   →この本によると、「倭人」(日本人のこと)の社会は、100以上の国に分かれ、

    楽浪郡というところに定期的に使いを送っていた、と書かれている

    ※楽浪郡・・当時の朝鮮半島に存在していた4つの郡のうちの1つのこと

 

  ・「後漢書」東夷伝について

   →この本によると・・

    ・紀元57年(建武中元2年)に倭の奴国の王様の使いが、後漢の都である

     洛陽というところにいって、光武帝という人から印綬というものを授かった

     ※奴国・・現在の福岡市の近くにあった小国のことで、

          福岡市の志賀島というところからは、

          倭の奴国の王様が光武帝からもらったと

          考えられる金印というものが見つかった

    ・107年に、倭国(日本のこと)の王様である帥升という人などが

     生口(≒奴隷)160人を安帝という後漢の王様に渡した

     

  →「漢書」地理志や「後漢書」東夷伝などに出てくる小国の王は、

    中国や朝鮮半島にある文物(文化的な産物)を手に入れることで、

    倭国の中で有利な立場に立とうと考えたので、

    中国や朝鮮半島に使いを送ったと考えられている

 

 

ポイント

・小国の分立とその時の動きについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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