弥生時代について③ -小国の分立-
弥生時代について、小国の分立について考えてみます
・小国について
・小国が出来るまでの流れ
・この時代には、環濠集落や金属器などの武器が出てきた
※なぜ、武器や環濠集落などが出てくるようになったのか
→農耕社会になった時に、自分達が食べる分以外の食料のために、
戦いをするようになったので武器や環濠集落などを使うことで、
自分達の多めに作った食料を守る必要があったから
※このような、余剰生産物の争いは農耕社会が生まれた地域では、
だいたい戦いがあり、日本も例外ではなかった
・日本も争いをするようになった時に、力のある集落が周りの集落と合わさっていった
→この統合によって、様々な地域で「クニ」と呼ばれる政治的な
まとまりのある集落が出てきた
=このような、まとまっている集落のことを小国と言う
※大量の副葬品と一緒に甕棺に入れられたり、大きな墳丘の墓を作って
埋葬されたりしたのは、それぞれの小国の王様ではないかと考えられている
※日本の小国分立は、中国の歴史書からも分かると言われている
・中国の歴史書から見た、日本の小国分立について
→代表的な歴史書に、「漢書」地理志と「後漢書」東夷伝がある
・「漢書」地理志について
→この本によると、「倭人」(日本人のこと)の社会は、100以上の国に分かれ、
楽浪郡というところに定期的に使いを送っていた、と書かれている
※楽浪郡・・当時の朝鮮半島に存在していた4つの郡のうちの1つのこと
・「後漢書」東夷伝について
→この本によると・・
・紀元57年(建武中元2年)に倭の奴国の王様の使いが、後漢の都である
洛陽というところにいって、光武帝という人から印綬というものを授かった
※奴国・・現在の福岡市の近くにあった小国のことで、
福岡市の志賀島というところからは、
倭の奴国の王様が光武帝からもらったと
考えられる金印というものが見つかった
・107年に、倭国(日本のこと)の王様である帥升という人などが
生口(≒奴隷)160人を安帝という後漢の王様に渡した
→「漢書」地理志や「後漢書」東夷伝などに出てくる小国の王は、
中国や朝鮮半島にある文物(文化的な産物)を手に入れることで、
倭国の中で有利な立場に立とうと考えたので、
中国や朝鮮半島に使いを送ったと考えられている
ポイント
・小国の分立とその時の動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです