邪馬台国と卑弥呼について
邪馬台国と卑弥呼について考えてみます
・邪馬台国について
・邪馬台国が出来るまでの流れ
・中国では、220年に後漢が無くなり、その代わりに魏、蜀、呉という国が
並び立つ時代になった
=この時代を三国時代と言う
→三国時代について書いてある書物で代表的なものに、「三国志」があり、
その中の「魏志」倭人伝が有名
・「魏志」倭人伝によると・・
・倭国で、2世紀の終わりころから、大きな争いが起きるようになり、
なかなか争いが終わらなかった
→そこで、小国が協力し合って、邪馬台国という国を作り、女王を卑弥呼にしたところ、
争いがおさまるようになった
=争いをおさめるために、30くらいの小国の連合として、邪馬台国を作った
・邪馬台国には、大人と下戸という身分差があった
・国をコントロールするための、ある程度の統治する組織や税金、
刑罰の制度なども作られていた
・市(市場)が存在していた
・卑弥呼について
・卑弥呼は239年に、魏の皇帝に使いを送って、魏から「親魏倭王」の称号と、
多くの銅鏡をもらった
・卑弥呼は、巫女として神の意志を聞く能力が優れていたらしい
→この、卑弥呼の宗教的な権力をもとにして、卑弥呼が政治を行ったと言われている
・卑弥呼は、狗奴国という、倭国の中にある一つの国と争いをしたが、
247年かその後に卑弥呼が亡くなってしまった
・卑弥呼が無くなった後は、男の王が出てきたが、国の争いがおさまらなかった
→そこで、卑弥呼の宗女(同族の女性)である、壱与という人が王になって、
やっと争いがおさまったと言われている
・邪馬台国の場所について
・邪馬台国の場所については、近畿説と九州説がある
ポイント
・邪馬台国の流れを押さえる
・卑弥呼の流れを押さえる
このあたりが今回のポイントです