邪馬台国と卑弥呼について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/21 05:22      
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邪馬台国と卑弥呼について考えてみます

 

 

・邪馬台国について

 

 

 ・邪馬台国が出来るまでの流れ

 

  ・中国では、220年に後漢が無くなり、その代わりに魏、蜀、呉という国が

   並び立つ時代になった

   =この時代を三国時代と言う

    →三国時代について書いてある書物で代表的なものに、「三国志」があり、

     その中の「魏志」倭人伝が有名

 

  ・「魏志」倭人伝によると・・

   ・倭国で、2世紀の終わりころから、大きな争いが起きるようになり、

    なかなか争いが終わらなかった

    →そこで、小国が協力し合って、邪馬台国という国を作り、女王を卑弥呼にしたところ、

     争いがおさまるようになった

     =争いをおさめるために、30くらいの小国の連合として、邪馬台国を作った 

 

  ・邪馬台国には、大人と下戸という身分差があった

 

  ・国をコントロールするための、ある程度の統治する組織や税金、

   刑罰の制度なども作られていた

 

  ・市(市場)が存在していた

 

  

  

 ・卑弥呼について

 

  ・卑弥呼は239年に、魏の皇帝に使いを送って、魏から「親魏倭王」の称号と、

   多くの銅鏡をもらった

  

  ・卑弥呼は、巫女として神の意志を聞く能力が優れていたらしい

   →この、卑弥呼の宗教的な権力をもとにして、卑弥呼が政治を行ったと言われている

 

  ・卑弥呼は、狗奴国という、倭国の中にある一つの国と争いをしたが、

   247年かその後に卑弥呼が亡くなってしまった

 

  ・卑弥呼が無くなった後は、男の王が出てきたが、国の争いがおさまらなかった

   →そこで、卑弥呼の宗女(同族の女性)である、壱与という人が王になって、

    やっと争いがおさまったと言われている

 

 

 

・邪馬台国の場所について

 

 ・邪馬台国の場所については、近畿説と九州説がある

 

 

 

ポイント

・邪馬台国の流れを押さえる

・卑弥呼の流れを押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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