金解禁と世界恐慌について
金解禁と世界恐慌について考えてみます
・金解禁について
・第一次世界大戦後に欧米が金本位制を復活させる、という動きを見せるようになった
→そのため、日本の中でも金輸出解禁を行って、為替相場を安定させることで
貿易を推進することを狙う声が出てきた
※金輸出と為替相場について
・金本位制・・金を通貨の価値の基準にする制度のこと
・金輸出解禁・・輸入品代金を支払うために、金を輸出することを認めること
・金の輸出を自由に行うと、為替相場を安定させる力があると言われている
・金輸出解禁は、金兌換を認めて金本位制に戻ることを意味していたと言われている
・1929年に、立憲民政党の浜口雄幸内閣が誕生した
・浜口雄幸内閣は、大蔵大臣に前の日銀総裁だった井上準之助という人を使った
→井上準之助は、以下のようなことを行った
・財政の支出を抑えて、物価を引き下げようとした
・物価を下げることで、産業が合理的にすることを促して、
産業の国際競争力を高めようとした
・1930年1月に旧平価という時の価格で金輸出解禁(金解禁)を行って、
外国為替相場を安定させることと、経済を根本的に整理することを行おうとした
※金輸出解禁による影響と、金輸出解禁の理由について
・為替相場は100円=46.5ドル前後だったが、
日本は旧平価の100円=49.85ドルで金解禁した
→そのため、実質的に円高になった
・円高だと輸出が不利になり、日本経済が不況とデフレになるかもしれない
のにも関わらずわざわざ円高にしたのには、以下のような理由があったと言われている
→・世界の中で円の信用を落としたくなかった
・生産性の低い企業の整理や除外などを行って、日本経済の体質そのものを
変える必要があるという考え方があったから
・世界恐慌について
・1929年10月にニューヨークのウォール街というところで株価が暴落して、
世界恐慌に発展した
→日本は、金解禁によって起きた不況と世界恐慌が組み合わさって、
ダブルでダメージを受けたため、ものすごく深刻な恐慌になっていった
=この恐慌を昭和恐慌という
・昭和恐慌の時に、以下のようなことが起きた
→・輸出が大きく減った
・金が大量に海外に出て行った
・企業の操業時間の短縮や倒産がどんどん増えた
・産業を引き締めるために、賃金の引き下げや労働者の解雇を行った
・失業者が増えた
・政府は1931年に重要産業統制法という法律を作った
→この法律によって、政府が決めた産業でカルテル(企業どうしの協定や合意)を認めた
※重要産業統制法は、政府が経済を統制する行動のスタートだと言われている
・世界恐慌が原因でアメリカはモノの消費量が減ったため、
日本のアメリカへの生糸の輸出が急激に減った
→その影響で、繭の値段が暴落した
・1920年代から植民地のお米の輸入の影響によって、
日本のお米の値段が低下していた
※政府が米騒動の後から、朝鮮と台湾でのお米の増産と品種改良を行って、
そのお米の輸入も行っていた
※ただし、この時に、化学肥料を本格的に使うようになり、国内でもお米を増産した
→しかし、昭和恐慌が始まるとお米を始めとした様々な農産物の価格が暴落した
・1930年にお米の豊作が起きて、さらにお米の値段が下がった
=このように、お米の豊作で値段が下がり、逆に農家が貧乏になることを豊作貧乏という
・逆に、1931年に東北と北海道でひどい凶作が起きた
・さらに、不況が原因で仕事が無くなり、農業で稼ぐの難しくなったため、
農業と労働者の兼業が難しくなった
・都市で仕事を失った人が農村に帰った
→このような影響を受けて、東北地方を中心にものすごく貧乏な農家が増えた
=このような農業面での恐慌を、農業恐慌という
※農業恐慌が原因で、食事がまともに食べられない子どもや、
女子の身売りなどが大量に増えた
・身売り・・身代金と引き換えに、一定期間働かせること
→上のような状態だったので、以下のようなことが起きた
・労働争議や小作争議が大量に増えた
・政策を何も考えられていない政党が批判されるようになった
・金輸出がもう一度禁止することを予想して、円売りとドル買いを進めた財閥が
批判されるようになった
ポイント
・金解禁について押さえる
・世界恐慌と昭和恐慌について押さえる
このあたりが今回のポイントです