安保条約と安保闘争について
安保条約と安保闘争について考えてみます
・安保条約について
・鳩山一郎内閣の後に、石橋湛山という人が内閣を担当した
※しかし、石橋湛山は病気によって、すぐに亡くなってしまった
→そのため、その後の1957年に岸信介という人が内閣を担当した
・岸信介は、以下のようにして革新勢力と戦っていた
→・教員の勤務成績の評定を1958年から全国で一斉に実施した
※この動きに対して、日本教職員組合(日教組)が全国で激しい抵抗をした
・1958年に、安保の改定によって混乱することを予想して、
警察官職務執行法(警職法)の改正案を国会に提出して、
警察官の権限を強化させようとした
※しかし、革新勢力の反対運動が高まってしまったため、警職法の改正を諦めた
・一方で岸信介は、「日米新時代」を提唱し、安保条約を改定することで
日米関係をより対等にすることを目指した
※しかし、最初はアメリカ側は安保改定に消極的だった
→結局、交渉の結果によって、1960年1月に
日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)が調印された
※安保の調印によって、何が起きたのか
→・アメリカが日本を守る義務が明文化された
・安保条約に付属している文書で、在日アメリカ軍の日本および「極東」での
軍事行動に関して事前に協議することが決められた
・安保闘争について
・革新勢力側は、新安保条約によってアメリカの世界戦略に
日本が組み込まれる可能性があると考えた
→そこで革新勢力側は、安保改定反対運動を組織した
・一方で政府・与党は、1960年5月に警察隊を取り入れた衆議院で、
条約の批准が強引に行われた
→この動きによって、反対運動は「民主主義の擁護」を提唱して一気に盛り上がってきた
→その後、安保改定阻止国民会議を中心とする社民党、共産党、総評などの革新勢力や、
全学連(全日本学生自治会総連盟)の学生、一般の市民などからなる巨大なデモが
連日国会の周りに集まるようになった
=この動きを、60年安保闘争という
・安保闘争によって、予定されていたアメリカ大統領の日本への訪問が中止になった
※しかし、条約の批准は参議院の議決を通らないまま6月に自然に成立した
→その後、条約が発効されたことを見届けて、岸内閣は総辞職をした
ポイント
・安保条約について押さえる
・安保闘争について押さえる
このあたりが今回のポイントです