安保条約と安保闘争について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/30 02:17      
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安保条約と安保闘争について考えてみます

 

 

・安保条約について

 

 

 ・鳩山一郎内閣の後に、石橋湛山という人が内閣を担当した

  ※しかし、石橋湛山は病気によって、すぐに亡くなってしまった

   →そのため、その後の1957年に岸信介という人が内閣を担当した

 

 

 ・岸信介は、以下のようにして革新勢力と戦っていた

  →・教員の勤務成績の評定を1958年から全国で一斉に実施した

    ※この動きに対して、日本教職員組合(日教組)が全国で激しい抵抗をした

   ・1958年に、安保の改定によって混乱することを予想して、

    警察官職務執行法(警職法)の改正案を国会に提出して、

    警察官の権限を強化させようとした

    ※しかし、革新勢力の反対運動が高まってしまったため、警職法の改正を諦めた

 

 

 ・一方で岸信介は、「日米新時代」を提唱し、安保条約を改定することで

  日米関係をより対等にすることを目指した

  ※しかし、最初はアメリカ側は安保改定に消極的だった

   →結局、交渉の結果によって、1960年1月に

    日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)が調印された

 

  ※安保の調印によって、何が起きたのか

   →・アメリカが日本を守る義務が明文化された

    ・安保条約に付属している文書で、在日アメリカ軍の日本および「極東」での

     軍事行動に関して事前に協議することが決められた

 

 

 

 

・安保闘争について

 

 

 ・革新勢力側は、新安保条約によってアメリカの世界戦略に

  日本が組み込まれる可能性があると考えた

  →そこで革新勢力側は、安保改定反対運動を組織した

   

 ・一方で政府・与党は、1960年5月に警察隊を取り入れた衆議院で、

  条約の批准が強引に行われた

  →この動きによって、反対運動は「民主主義の擁護」を提唱して一気に盛り上がってきた

 

  →その後、安保改定阻止国民会議を中心とする社民党、共産党、総評などの革新勢力や、

   全学連(全日本学生自治会総連盟)の学生、一般の市民などからなる巨大なデモが

   連日国会の周りに集まるようになった

   =この動きを、60年安保闘争という

 

 ・安保闘争によって、予定されていたアメリカ大統領の日本への訪問が中止になった

  ※しかし、条約の批准は参議院の議決を通らないまま6月に自然に成立した

   →その後、条約が発効されたことを見届けて、岸内閣は総辞職をした

 

 

ポイント

・安保条約について押さえる

・安保闘争について押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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