ドル=ショックについて
ドル=ショックについて考えてみます
・ドル=ショックまでの流れについて
・アメリカのニクソン政権は、アメリカ経済にダメージを与えていたベトナム戦争を
終わらせるために、ソ連の軍事的な圧力と戦っている中国との関係を改善した上で、
中国を通じて北ベトナムとの平和を考えた
→そこで、1971年7月にニクソン大統領は中国訪問を決め、
アメリカと中国との関係の改善を考えた
=その結果、台湾に代わって国連代表権を獲得した中国を1972年に訪問して、
アメリカと中国との敵対関係を終了させた
(1979年に米中国交正常化)
→上の流れの中の時に、アメリカ国内ではベトナム反戦運動が盛り上がってきたこともあり、
1973年にベトナム和平協定という協定が成立し、アメリカ軍はベトナムから撤退した
※この後、南ベトナムは1975年に崩壊し、ベトナム社会主義共和国という名前で、
南北の統一が実現した
※しかし、インドシナ半島というところでは、カンボジアの内戦や
中越(中国とベトナム)戦争などといった紛争が途絶えず、
この紛争の時に多くの難民が出てきてしまい、難民が日本を含めた海外に流出した
=この問題を、インドシナ難民問題という
→アメリカは、ベトナム戦争などで軍事面の支出を膨らませ、西側の国々への
大量の援助を続けていた
→さらに、復興した先進国がアメリカに大量に輸出をするようになった
=そのため、アメリカは国際収支が悪化し、金の準備の減少が深刻になった
※この問題をドル危機という
・ドル=ショックについて
・1971年8月、ニクソン大統領は新経済政策を発表した
→この時に、以下のようなことを行った
・ドルを守って、国際収支を悪化することを防ごうとした
・アメリカ国内のインフレを抑えるために、金とドルの交換を停止した
・西ドイツや日本など、国際収支が黒字の国に、為替レートの引き上げを要求した
→このような動きの結果、ドルの基軸通貨としての価値が大きく揺らいできた
=この動きを、ドル=ショックという
・ドル=ショック後の流れについて
・1971年末に、10カ国蔵相会議という会議の結果、
円を1ドル=360円から308円に切り上げる、などの通貨調整が行われた
→その後、西ヨーロッパの国々は、変動相場制にどんどん移っていった
※日本も1973年に変動相場制に移った
・1973年に第一次石油危機という出来事が起きた
※第一次石油危機・・1973年10月に、第四次中東戦争という戦争が起き、
OAPEC(アラブ石油輸出国機構)が日本に対する輸出制限を
かけたことで、OPEC(石油輸出国機構)が
原油価格を4倍に引き上げたという出来事のこと
※変動相場制と石油危機によって、世界がどのように動いたのか
・固定相場制によって、資本主義の国々の経済が結びついていた状態
(IMF体制)が変動相場制によって崩れた
→固定相場制から変動相場制への移行は、アメリカの衰退を表していた
=そのため、1975年にアメリカ、ドイツ、日本、イギリス、フランス、イタリアの
6カ国の首脳が話し合い、世界不況にどのように対応していくかを協議した
さらに、次の年からはカナダを加えて、先進国首脳会議(サミット)が
毎年開かれるようになった
※先進国首脳会議では、貿易や通貨の問題など、先進国の間での経済政策について
話し合うようになった
・経済成長の条件だった低価格な石油というのが失われてしまった
→そのため、西側の先進国の国々の成長は、石油危機の1973年から成長が難しくなった
=結果的に資本主義の国々は長期不況の時代に突入した
ポイント
・ドル=ショックまでの流れとその内容についておさえる
・ドル=ショックによる影響と世界の動きをおさえる
このあたりが今回のポイントです