近年の日本の様子と日本国内の政治について
近年の日本の様子と日本国内の政治について考えてみます
・近年の日本の様子と日本国内の政治について
・1995年に様々な出来事が起きた
→・阪神淡路大震災
・オウム真理教による東京の地下鉄での毒ガス無差別テロ
・金融機関の相次ぐ破たん など
=このような出来事が起きたため、日本社会に対する「安全性」への信頼を
損なうことになった
※国民の間には、衝撃的な事件の連続によって不安も広がっていった
→さらに、この時に沖縄でアメリカ軍兵士が女子小学生を暴行するという事件も起きた
=その結果、アメリカ軍の沖縄基地を縮小するべきという県民の運動が
盛り上がってきた
・1996年初めに、村山富市首相が終了し、橋本龍太郎という自民党の総裁の人が
連立政権を引き継いだ
→橋本龍太郎内閣が行ったこと
・冷戦終結後の日米安保体制について共同宣言を発表した
※この時に、以下のようなことを行った
・在日アメリカ軍の行動範囲を「アジア太平洋地域」とした
・「日本周辺有事」の時に、自衛隊がアメリカ軍の支援を出来るように、
日米防衛協力指針(ガイドライン)を見直すことを宣言した
・新ガイドラインを1997年に日本とアメリカのお互いの政府の間で決められた
・新しい選挙制度によって、初めての総選挙を行った
→この時に自民党は、過半数には達しなかったものの、大幅に躍進して、
単独で政権を組織するようになった
※ただし、社会民主党(日本社会党から改名)と新党さきがけの2つの政党は
閣外協力という形でなんとか連立政権への参加を続けた
・行財政改革を推進した
→そこで、財政構造改革法という法律を作って、行政改革の基本的な方向を決めた
※しかし、1997年の消費税5%への引き上げ、
1997年夏以降のアジア通貨危機などが重なってしまった
=そのため、結果的に景気がまた悪くなり、日本経済は深刻な不況になった
※1997年度の経済成長率は、1974年(石油危機直後)以来の
マイナス成長で、次の年の1998年には-2.0%と大きく落ち込んだ
→不況で金融機関の経営破たんが続いたため、
日本政府が公的資金を投入したことで金融機関が救済された
→一方で、不況によって倒産やリストラも相次いだため、
多くの失業者が出てきてしまった
・以上のような流れをふまえ、橋本龍太郎内閣は参議院選挙の責任を取って辞任した
=その後、小渕恵三という人が内閣を担当した
※この時に、新進党から離れる議員が続出していた
→そのため、1997年の終わりに新進党が6つに分かれてしまった
=この中で、自由党(党首:小沢一郎)や公明党などをのぞいた中道各派が
民主党(党首:菅直人)を作った
→小渕恵三が行ったこと
・大型の予算を組んで、景気の回復を目指した
・1999年の初めに自由党、1999年7月に公明党の政権参加を取り付けた
→その結果、衆議院と参議院の両方で安定多数を確保した
※そのため、野党の反対の強かった法律
(新ガイドライン関連法、周辺事態安全確保法、国旗・国家法など)
を制定することができた
・2000年に、小渕恵三首相が急病にかかってしまったため、
森喜朗という人が自民党の総裁になった
→しかし、2000年7月に沖縄サミットの開催などを行ったものの、
森喜朗内閣は2001年に終了してしまった
・2001年に構造改革をスローガンとして、小泉純一郎という人が内閣を担当した
→小泉純一郎首相は、2002年9月に北朝鮮との国交正常化の交渉を考えていた
=そのため、首相として初めて朝鮮民主主義人民共和国を訪問した
※この訪問の時に、小泉首相と北朝鮮の金正日総書記との会談の中で、
日本人拉致問題などを始めとして様々な問題が浮き彫りになったといわれている
ポイント
・近年の日本の様子についておさえる
・日本国内の政治の流れについておさえる
このあたりが今回のポイントです