日本の政党政治の歴史について
日本の政党政治の歴史について考えてみます
・政党政治の歴史について
・明治憲法の時
→政党政治が発展して、
「憲政の常道」(衆議院で最も多くの議席を持つ政党が政権を担当すること)が
普通になった
・日本国憲法が出来てから
→政党政治は、自民党という政党が長い間政権を担当し続けるという状況が続いた
※本来、日本は自民党と社会党の二大政党制を期待して政治を行うという、
55年体制を作ってきたが、実際は自民党が選挙で勝ち続けて、
政権を担当し続けるという状況だった
=このように、一つの政党が長い間政権を担当し続ける政治のスタイルを
一党優位政党制と言う
・1960年以降
→自民党と社会党に満足しない人々が集まって
中道政党(二大政党のどちらにも偏らない政党のことで、
当時の公明党や新自由クラブなどが中道政党だった)が誕生して、
政党が増えたが、自民党の長期の政権は続いた
・この当時の自民党と社会党について
・自民党
・自民党は、官僚と強く結びつくと同時に、一部の人達の利益を追求する政治を行って、
多くの利益集団(一定の利益を得るために作られた集団のこと)の支持を獲得した
→そのため・・
・自民党は様々な利益の追求を代表した政党(=包括政党)だった
・官庁(1府12省庁)と利益集団との間の関係を持って
利益を調節する族議員という人が出てきた
※族議員・・ある分野で強い権力を持っていて、
政策を決めるのに大きい影響力を持つ人のこと
・自民党の中で少しずつ派閥(小さい議員の集団)が誕生するようになり、
派閥同士で首相を目指して争った
→このような派閥同士の政治を維持するためには、
大量の政治のための資金が必要になった
=そのため、日本の政治はカネによって政治が動いてしまうという、
金権政治になってしまった
※金権政治が影響して、多くのカネに関する汚職事件が発生した
例:1976年のロッキード事件、1989年のリクルート事件など
・社会党
・社会党は、社会党自体をどのようにしていくかで、社会党の内部で議論が起こった
→そのため、政党同士の対戦である、選挙に力を注ぐことができなかった
→このような状況に加えて、経済の国際化が突然進み、
日本の政治の環境が変わってしまったので55年体制の土台が弱くなっていった
・1993年以降
→政治改革の時に自民党が分裂をし、総選挙の後に「非自民」の連立政権として、
細川護熙という人の政権が生まれた
→これによって、日本の政党政治は、一党優位政党制から多党制に、
単独政権から連立政権に変わった
=そして、55年体制が崩れることになった
※連立政権・・いくつかの政党で考えが一致して、
その政党同士で政権を担当すること
※現在の二院制では、一つの政党が衆議院と参議院の両方で多くの議席を取ることは
難しくなっている
→それが原因でねじれ国会になることがある
※ねじれ国会・・衆議院と参議院で政権を担当する与党が違う状態のこと
・最近
→政党の離合集散が続いている
例:自民党に対抗するために新進党という政党が作られたが、
一回の選挙で新進党は無くなってしまった
→このような動きによって、無党派層が増えていると言われている
・90年代後半
→・経済成長が止まり、戦後のスタンスを変える必要が出てきた
・官僚制ではなく、行政改革の必要性が出てきた
・高齢社会が進んで、財政赤字が増えて、国民の負担の問題が出てきた
・所得や地域による格差が大きくなってきてしまっている
・近年
→首相公選制(首相を国民が選ぶこと)が一部で考えられるようになった
(現在はまだ行われていない)
→首相公選制が考えられたり、無党派層が増えたりした背景には、
政党や国会が国民の意見を反映していないことが原因だと言われている
ポイント
・政党政治の歴史として、日本国憲法以前と以後、55年体制を押さえる
・60年以降と自民党、社会党の動きを押さえる
・93年以降、90年代後半の流れを押さえる