叱責や注意に意味や価値はあるのか
人は怒られると結構テンションが下がるものです。
そのため、怒られることに対して否定的な考え方となることがあります。
しかし、
怒られるうちが華だとか、怒られることはありがたいことだとか、
「怒られる」ということに関して肯定的な考え方もあります。
では、怒られるということは、良いことなのでしょうか。
それとも、悪いことなのでしょうか。
その分かれ目の一つは、ここだと思います。
その人が怒られることで成長するかどうか
厳しく指導するのは、愛情を持っていたりするから、などとと考えたり、
やさしく指導する人は指導力があることが多い、とか考えたりと、
指導ということに関しては、様々な考え方があると思います。
怒るということに関していうと、
その人が怒るということは、感情表現の一つであり、
何らかの思いがあるから、怒るはずです。
そして、怒るということには、
相手にこうして欲しいから怒る、という思いが含まれていることも考えられます。
ということは、
怒ることは、その人にもっとこうしてほしいとか、こうするのはやめたほうがいいよとか、
何かを相手に伝えているということになります。
ところが、
怒られたから、じゃあそれをしっかり受け止めて、ちゃんと反省しようって思う人って
そこまでいないんですよね。
もしかしたら、怒られたことに対して、ヘコみ続けるだけかもしれないですし、
怒られた内容以前に、なんで自分が怒られたのかと、怒られた人の中で
怒りがこみ上げてくるかもしれません。
怒られたら、必ず成長する。というわけではないんですね。
時々、怒られてヘコむ方が悪い。とか考える人がいますが、
怒られて、ただ相手がヘコんでいるだけだったら、
相手にとって、怒ることはプラスにはならず、
怒ることって無駄であり、むしろ逆効果のような気がします。
だから、怒られてヘコんでしまう人には、
褒めることをしたり、考えを提案してみたり、など
怒る以外の方法で対応する、というのが必要になってくるような気がします。
ちなみに、
怒られるうちが華とかいうのは、
ボクは、褒められているうちが華、とも言えると思います。
要は、怒られるからとか、褒められるからとか、のように限定するのではなく、
無視されたらそこで終わりだと思ったほうが良いかと。
怒る、ということは悪いことではないと思います。
でも、怒ることで、逆効果になってしまうような場合は悪いことなのかもしれません。
だから、怒る時は、怒ることでその人が成長するかどうかを見極めることが重要な気がします。
怒ることで成長するなら良いこと、
怒ることで成長しないなら悪いこと、
というのは一つのポイントかもしれません。
ただし、
自分の思い通りにならないから、とか
その日の気分がイライラしてるから、みたいな理由で
怒る場合は、怒ることに価値はありませんね。