「知らぬが仏」っていう言葉の意味も面白いけど、「知っていても仏」っていうのも面白いんじゃない?
「知らぬが仏」という慣用句があります。
これは、大まかに言うと、
「知れば腹も立つが、知らないので平気でいられる」
という意味です。
みなさんもご存知の通りで、
知らなければ平気でいられる、というわけです。
しかし、
みなさん、ここで自分の日常を振り返ってみて下さい。
知りたくもないのに、知ってしまうことってありませんか。
知らぬが仏という慣用句はあっても、仏になれないこともあります。
ボクも、知りたくないことを知ってしまうことはあります。
そして、ボクを含め多くの人は、知りたくないことを知ると、
何かしらの感情が生まれてしまうと思います。
そこで、
知りたくないのに知ってしまった場合、
こんな慣用句が使えたりするかもしれません。
「知っていても仏」
これは、適当にボクが作った慣用句です。
知らぬが仏は正しいかもしれないけど、
どうしても知ってしまうことだってあります。
自分への悪口とか、他人のドロドロな恋愛話とか。
これ以外にも例えとしては
いろいろ挙げられると思いますが、
要は、知ってしまった後をどうするか。
という問題だと思うのです。
多くの人がそうかもしれませんが、
知ってしまった後に、自分の感情を出すと、
知る以前よりもゴタゴタすることがあると思います。
自分への悪口に対して怒ったら、ケンカに発展したり、
他人の恋愛話にアドバイスをしたら、より泥沼化して、
アドバイスをした自分のせいにされたり。
もしかしたら、
ケンカのおかげで、お互いの中が一層親密になったり、
自分のアドバイスのおかげで恋愛が成就したり、
というように、プラスの方向へ行くことがあるかもしれませんが、
何かを知ってしまってから関わると、
結構マイナスにも転がってしまうもので。
それだったら、
知らないで仏になれるのであれば、
知った後も仏でいられるのが、本当の仏ではないかと。
知っていても仏になる方法は人それぞれだと思いますが、
知ってしまったあとも仏になっていれば、
自分の中に、余計な感情は生まれないですし、
揉め事に巻き込まれて、自分が苦労をする必要も無くなります。
何か悪口を言われて、怒りがこみ上げるとか、
泥沼の恋愛に巻き込まれて、文句を言うとか、のように、
巻き込まれた人がアクションを起こすと、
物事って結構いろいろな方向に転がってしまうものです。
「知らぬが仏」は正しいかもしれませんが、
「知っていても仏」でいることが、
平和に生活するポイントの一つかもしれません。