「優秀な人」という基準との比較
「なんで、あいつはできて、お前はできないんだ」
学校でも、会社でも、家庭でも、時々耳にするこの発言。
ボクは、この発言が好きじゃないんですよね。
なんでそんな比較をしてしまうのかと。
例えば、
Aくんは東大に合格して、Bくんが東大に落ちた時に
「なんで、Aは合格したのに、Bは合格しなかったんだ」
とかいう人がいる。
能力とか、勉強時間とかが同じだったら、話は分かるけど、
なにからなにまで同じ人が2人ってそういない気がします。
他には、
Aくんはプールで25M泳げたけど、Bくんは24Mで止まってしまったとき、
「なんで、Aが25Mを泳ぎきったのに、Bは25Mを泳ぎ切らなかったんだ」
とかいう人がいる。
Bくんだって24Mも泳げたから、すごくないですか。
あと、
似たようなのだと、
Aくんだけが、握力の測定で80kgという数字をたたき出したとする時、
「Aも80kg行ったんだから、みんなもAをがんばって目指せ」
とかいう人がいる。
なんで、握力が異常なAくんが基準となってしまうの。
とまあ、挙げればキリがありませんが。
そして
こういう発言をしてしまう人たちに共通するのがこれ。
できる人を基準にしてしまっている。
これって、できる人として基準に選ばれた人以外は
排除されてしまっているような気がするんだよね。
だから、ボクは思うんですね。
基準以外の人はどうなの、と。
もし、Bくんが東京大学は落ちてしまっても、京都大学は合格したら、
本当はすごいことなのに、過小評価されてしまうかもしれません。
もし、Bくんが25Mに辿りつかなくても、
24M泳げるようになるまで人一倍練習したらすばらしいこと。
もし、Bくんの握力が80kgとはいかず、79kgだったとしても、
軽くあしらわれてしまうかもしれません。
できる人を基準にするんじゃなくて、
もっと、個々の能力をしっかり見た上での発言が大切なような気がします。
ただし、だからといって、1位を取ることが全て
というわけでもありません。
確かに順位というのは、結構指標になることが多いのですが、
2位でも、ビリでも、その人の能力がどうなのかと。
100M走で、1位とビリの差がコンマ何秒でも、ランク付けされたり、
もし1位がいなかったら、2位の人は1位だったかもしれませんし。
できる人を中心として、
もっと個人個人をしっかり見てあげられることが大切なような気がします。
そういうことが出来る心の広さとかも考えて。