教師が自己満足で終わる授業は、生徒にとってはなんの満足感もない
自分は、昔誰かに勉強を教える機会があり、時々高校の時の授業を思い出すことがありました。
高校の授業って思いだしてみると、
先生の質にかなりの幅があったのではないかと思います。
英語の授業でも、A先生は全然理解できなかったけど、
B先生の授業は聞いていれば点が取れた、みたいな。
そこで、同じ教師なのに、
なぜわかりやすい人とわかりにくい人の差が激しいのか考えてみました。
自分としては、
教師が自己満足で終わる
これが原因の一つではないかと思います。
これは、なかなかの問題だと思います。
自己満足で終わっている教師って結構見抜きやすいものでして、
授業のときは、自分の言いたいことをしゃべって終わったり、
生徒は授業を理解しているだろうと勘違いしてしまったり。
自己満足で終わるということは、相手のことを完全に考えきれていないという
ことですからね。
これは、知識が豊富だったり、ベテランの先生でも、結構いるような気がします。
知識を相手が納得しやすいように工夫して伝えるか、
自分が必要だと感じる知識を提供するかで
受け手の感覚は全然違いますし。
ベテランの先生でも、自分の能力を過信して、自慢気に授業を展開したり。
でも、逆を返せば、その反対の先生は良い先生が多いのかもしれません。
自己満足で終わらない先生みたいな。
常に満足せずに探究し続けるわけですからね。
わかりやすさなんかはどんどん増していくのではないでしょうか。
そしてこれは、学校だけの話でもないと思っています。
教える立場と教えられる立場なら全て当てはまるのではないでしょうか。
上司と部下の関係とか
先輩と後輩の関係とか
親と子の関係とかみたいに。
もっと言えば、何かを伝える側と聞く側という関係でも
成り立つかもしれません。
伝える側が、自己満足で終わらず、
相手に何かを伝える意識が必要な気がします。
上の立場に立つ人、何かを発信する人は、自己満足で終わらずに、
相手にどう伝わっているかなど、 相手のことをもう少し考えていく必要があるのではないかと思ってみました。