失敗と教育を認めることの大切さ
みんな、失敗に対して厳しくないですか?
「失敗から学べ」「失敗は成功のもと」
とか言われてるのに、失敗に対して異常に厳しいです。
特に日本人は。
バイトなんかを経験したことある人なら結構わかると思いますが、
研修で仕事の内容を教わったあと、すぐに入れって言われて、実際に仕事をしたとき、
失敗したら怒られる。
でも、1回しか教わってない。
怒りたい気持ちもわかります。なんで失敗するんだよって。
でも、勉強もそうだけど、
人間っていろんなことを1回で覚えられたら苦労しないです。
確かに、厳しい指導というのも必要だと思います。
でも、厳しさに振り回されてたら、 人間って好きなものも好きじゃなくなっちゃうんじゃないですかね。
やる気があったのに、やる気を無くしてしまうかもしれないです。
なんで、日本って失敗に厳しいんでしょうか。
別に、文科省ふざけんなとか、教師の能力は低いとか、
そんなことは全く思っていないですが、
失敗に厳しい原因って、ボクはたぶん、教育が理由の一つだと思うんですね。
日本の教育って、既存の知識を詰め込んで、それを合ってるかどうかを確認するスタイルが多いです。
でも外国の教育って、結構議論をしたり、答えを導き出すまでの過程を重視することが多いです。
この違いって結構大きいと思うんですよね。
日本の場合、上のような教育スタイルだから、
教える内容は答えが決まっているもので、答えに当てはまらないものって結構排除されてしまう傾向があります。
これってどうなるんでしょう。
全員が同じことを同じようにこなす必要が出てくるんですよね。
みんな、答えが同じになることがすばらしいワケですね。
逆に、全員が共通して覚えるもの以外は不正解になってしまいます。
だから、1人だけ答えが違うと、非難されたり、排除の対象となります。
そして、1人だけ違って排除されたり、非難されたりしているところを
実際に目の当たりにすることができるのが、これです。
学校でのいじめ。
みんなとちょっと違うだけで、排除されてしまいます。
その排除を恐れて、みんなと同じようなことを言ったりやったりしてれば安全な可能性が高いです。
そして、誰かの考えを指摘すると、1人だけ違う考え方に扱われて、すぐいじめの対象になります。
だから、いじめられることを恐れて、自分の意見を殺してまで、他人に従おうとする子どもって結構多いです。
でも、1つだけ突出してる人って、いろんな分野で結構活躍しています。
人って、個性を持ってる人が世間で活躍してるときは応援するのに、
学校だと排除しちゃうのはなんででしょう。
学校生活のときから、これだけ特殊な考え方や、失敗を排除してたら、
失敗にも厳しくなっちゃうような気がします。
でも、失敗から学ぶことって多いですよね。
失敗に厳しかったら、良い失敗は生まれないです。
失敗して、怒られるのが怖くて、失敗しないことに精一杯になるってどうなんでしょう。
失敗することによる経験値って得るのが難しくなるかもしれません。
個性があったっていいんじゃないですかね。
1人だけ考え方が違っていいんじゃないですかね。
社会が個性を生かそうとさせても、個性を生かすことができないのが現状。
もっと、失敗に寛容になりましょうよ。