私なりの“教養”について考えてみました

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投稿者:       投稿日時:2014/01/20 10:27      
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たまにはコラムっぽいことも書いてみようと思いまして。

 

センター試験も終わりましたね。受験生の皆様、お疲れ様です。とは言っても、自己採点やら2次試験の勉強やらなんだかんだ忙しいんですよね。でももう一息なんで頑張ってくださいませ。

 

 

ところで、センター試験と言ったら大学。大学と言ったら教養。いや、違うか。でも、大学に入ったら“教養”という言葉を一度は耳にすると思います。そこで私なりの“教養”とはこういうことじゃなかろうかということを、大学で勉強しながら思ったところがあるので、つらつらとまとめたいと思います。受験生にとってはまだ気が早いかもしれませんが、このあたりを意識するかしないかは案外重要だと思うので、息抜き程度に読んでいただければと思います。

 

 

・教養を身につけましょうという言説

 

近年(いつからかはわからないけれど)、教養を身につけましょうという話を色々な場面で耳にします。大学、就活、内定式、成人式(行ってないけれど)、新聞・・・

 

 

でも、教養を身につけましょうとは言うけれど、“教養とは何か”ということまで説明する人はあまりいません。説明するまでもなく当たり前の言葉だということなのですかね。私からすると、定義が不明だということで有名な“コミュニケーション能力”ほどではないにしても、教養もその部類に入ります。

 

 

ということで、世間一般での教養についてはとりあえず置いておいて、私が思う教養についてまとめます。

 

 

・私的な“教養”とは何か

 

あえて辞書等を見ずに、自分の考える教養を述べれば、「知識(≒情報)をもとに自分なりに整理・再編成し、現代及び未来に応用可能な形に昇華させること」でしょうか。

 

 

極端な話、大学とは学部・学科に限らず、この能力を身につけるところではないだろうか?と私は思っています。

 

 

というのも、現代の社会を見てみると、知識を持っていることそれ自体には何も価値がないんですよね。それを象徴するのが“インターネットの検索”です。わからないことがあった場合、Google先生に聞けば、大体のことはわかってしまう時代です。

 

 

私は最近プログラミング(と呼べるのかもわからないくらいの初歩)を始めたのですが、知りたいことはほぼ検索で見つかります。つまり、知識を大量に保有したところで、Google 先生には絶対に勝てないのです。逆に言えば、知識自体はGoogle 先生に任せておけば良いのです。

 

 

※もちろん、知識を得る場は本や新聞などなど検索以外にもあります。

 

 

さて、そこで重要になってくるのが、知識を得た後です。

 

 

・歴史という事実をもとに、現代を考える

 

これは何度か書いていますが、例えば「帝国主義」についての知識を得たとします。“こうこうこんな流れで帝国主義が進んでいって、第1次世界大戦が勃発したのです。”というのを知ったとします。ただ、この内容は教科書に書いてあるわけです。恐らく検索でも載っているでしょう。だから、この知識を保有しているかどうかはそんなに重要ではないのです。より重要なのは、その知識をもとにして、現代を捉え直すことだと思うのです。

 

 

“帝国主義はこういう構造だった。じゃあ現代社会は?とりあえず戦争にはなっていないけれど、グローバル化した企業行動は帝国主義と捉えることも可能だな。ということは今後の企業行動の行くつく先は・・・”というように、答えのはっきり見えないことを考えることが重要なのです。なぜなら、はっきり見えないものをぼんやりとでも見通せれば、対策を立てることも可能だからです。もしかしたらこの例もどこかの論文やら検索やらに載っているのかもしれませんが、少なくとも教科書には書いてありません。これ以外にも答えが見えにくい事象はいくらでもあるはずです。

 

 

・友人の例

 

私の友人の例で言えば、「ヘーゲルの考え方を使って西野カナが売れた理由を説明できる!」などと宣っている輩もいます。これは斜め上を行き過ぎている気もするのですが。

 

 

西野カナに限らず、歌手が売れた理由に「これ!」という明確な答えがあるわけではありません。だからこそ、今ある情報をもとにして、次に売れるのは何かを考えるわけです。ヘーゲルと西野カナなんて、普通の人からしたら全く関係ないものですよね。でも、それらを紐付けて(ヘーゲルという人物を持ち出すかどうかは置いておいて)、ある程度説得力のある形で説明することができれば、それこそ効果のある企画ができるかもしれません。上記は極端な話かもしれませんが、こういうのを聞くと、哲学を学ぶ意味が全くないとは言えないと思います。むしろ、あくまで印象ですが、哲学を嫌がる人が世の中には多いので、ほかの人よりも斬新なモノの見方ができるようになるかもしれません。

 

 

・まとめ

 

以上のような力を教養だと思っています。学業なんて職場に行けば役立たないなんてよく言われるけれど、そんなことはないと思います。確かにすぐに、かつ直接には役立たないかもしれませんが、上記のようなものの考え方は普遍的で陳腐化しないので、有用だと思うのです。逆に、今すぐ役立つような知識はすぐに陳腐化するというようなことを池上彰さんが言っていたような言っていないような。

 

 

ここまで偉そうなことを言ってきましたが、「で、あなたはその能力を身につけられましたか?」と言われたら、まぁついてないでしょうね。恥ずかしいことに。実際問題、短期間でつくような力でもないと思います。でも、大学に通う中で、教養ってこういうことじゃないの?と自分で言えるようになったこと自体が成長だと言えなくもないと思います。高校までは教養=物知りくらいにしか考えていなかったと思うので。というか、世間一般で言われている教養も、物知りと大差ないのでは?と思うことも多々あったりするのですが・・・

 

今回はこれくらいにしておきます。

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