内乱の1世紀について
内乱の1世紀について考えてみます
・当時の内乱について
・当時、グラックス兄弟という人達が、農民の没落による軍事力低下に危機感を抱いていた
→すると、グラックス兄弟が相次いで護民官に選ばれるということが起きた
(兄:紀元前133年 弟:紀元前123年、紀元前122年)
→そこで、グラックス兄弟は大土地所有者の土地を没収して、無産市民に分配しようとした
=しかし、グラックス兄弟の改革は大地主の反対によって失敗してしまった
※その後、兄は殺され、弟は自殺した
→それ以降、有力な政治家は、個人的な庇護民を自分の手下として多く持ち、
自分の庇護民を使って、暴力で争い、物事を解決するようになっていった
=このような動きをきっかけに、ローマは「内乱の1世紀」に突入したと言われている
・紀元前1世紀に入ったころ、軍隊は有力者が無産市民を集めて作る私兵になった
→そして、平民派のマリウスと閥族派のスラと言う人がお互いに兵を引き連れて争った
・イタリア半島の同盟都市では、紀元前91年~88年にローマ市民権を求めて反乱を起こした
・見世物に使われた剣奴がスパルタクスという人に連れられて、
紀元前73年~紀元前71年に大反乱を起こすということが起きた
=このようなことが増え、内乱が頂点に達していった
→以上のような内乱を武力で解決させたのが、
実力者のポンペイウス・カエサル・クラッススという人達だった
・上の実力者たちは、紀元前60年に、私的な政治同盟を作って、
元老院と閥族派に対抗して政権を握った
※このような政治スタイルを、第1回三頭政治という
→その後、カエサルはガリア(ほぼ今日のフランス)の遠征に成功し、指導権を獲得した
=そして、政権の敵だったポンペイウスを倒して紀元前46年に天下を統一した
※カエサルは、連続して独裁官に就任して社会の安定化へ向けて努力し、
民衆に多くの人気を得た
→しかし、元老院を無視して独裁者になる勢いを見せたため、紀元前44年に
元老院共和派のブルートゥスらに暗殺されてしまい、政治が再び混乱してしまった
・紀元前43年に、カエサルの部下のアントニウスとレピドゥス、
カエサルの養子のオクタウィアヌスがもう一度政治同盟を作って、閥族派をおさえた
=このような政治スタイルを、第2回三頭政治という
・その後、アントニウスはエジプトの女王だったクレオパトラと手を組んでいた
→そこで、オクタウィアヌスは紀元前31年にアクティウムの海戦という戦いで
アントニウスが倒された
=その後、プトレマイオス朝は滅ぼされて、ローマの属州になった
=結果的に、地中海は平定され、内乱が終わりを告げた
ポイント
・内乱の1世紀の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです