戦後から現在までの概観と時期区分―財政赤字の第1次累増期(1975-1980)
3-1財政赤字累増の背景と財政再建のはじまり
図2-2
注)財政投融資は公共事業と関連の深い項目(住宅、生活環境整備、農林漁業、国土保全・災害復旧、道路、運輸通信、地域開発)の合計値。
(出所:総務省統計局「日本の長期統計系列 第5章 財政」より作成、井手下記参考文献、2012年、143頁、図2参考)
75年から80年は財政赤字の累増期です。財政赤字の本格的な累増は、75年度補正予算から始まりました。第1次石油ショック以降の景気低迷により、赤字公債の発行が避けられなくなり、これを皮切りに公債依存度も急上昇していきます。
その要因としては第1に、高度成長の終焉に伴う景気の低迷を背景とした、景気刺激のための財政出動がありました。78年のボン・サミットでは、世界同時不況を回避するためにアメリカ、西ドイツ、日本による「機関車論」が打ち出されました。その中身は公共投資の拡大による総需要の喚起でした。図2-2を見ると、70年代中頃から公共事業関係費が伸びていることがわかるでしょう。
第2に、社会保障の充実による歳出増加が挙げられます。とりわけ年金や医療を中心とした社会保障制度は、70年代初めに構築されました。73年には「福祉元年」と位置付けられ、様々な社会保障制度が整えられました。しかしながら当時は、まだ高度成長の終焉を織り込んでおらず、高齢化についても楽観的であったため、社会保障サービスの拡大には寛大でした。他方で税負担の引き上げには消極的だったので、受益と負担の乖離の基礎を作っていたのです。
以上を背景に財政赤字の累増が次第に顕著となり、その削減が重要視されてきました。これがいわゆる財政再建のはじまりです。その最初の試みが79年の一般消費税の導入でした。しかし、この導入の是非を争点とした衆院選では与党の自民党は大敗し、一般消費税は挫折しました。これを受けて政府は財政再建についての方針転換を図り、「増税なき財政再建」へと向かうのです。
参考文献
・石弘光『現代税制改革史』東洋経済新報社、2008年、337-348頁
・井手英策『財政赤字の淵源―寛容な社会の条件を考える』有斐閣、2012年、143頁