トルコの社会について
トルコの社会について考えてみます
・トルコ民族の進出について
・オアシス都市を結ぶ東西交易路に沿う地域の住民は、多くはイラン系だった
・6世紀に突厥が誕生し、モンゴル高原と中央アジアを統合する国家が誕生した
→すると、トルコ系の要素が加わるようになっていった
・8世紀ころから、突厥に代わって、ウイグル人がモンゴル高原に進出した
→ウイグル人は、ソグド商人の協力を得て、豊かな遊牧国家を作っていった
・9世紀に、ウイグル人の国家が、同じトルコ系遊牧民の攻撃を受けて滅び、
住民が四散してしまった
→その後、ウイグル人の一部は南下して唐の領域内に移住した
→また、他の一部は西に向かって天山山脈の東に着いた
※ウイグル人の西方への移住は、はやい段階から天山山脈西方に進出していた
別のトルコ人集団を圧迫した
=そのため、トルコ人集団をさらに西方に向かわせるきっかけになった
・トルキスタンの成立について
※トルキスタンとは・・ペルシア語で「トルコ人の地域」という意味のこと
・ウイグル人の国家が崩壊した後、トルコ系の遊牧民は天山山脈の南側や
中央アジアのオアシス都市へ移住した
※移住した人たちの多くが、定住生活に入っていった
・定住生活の人数が増えると、オアシスに住むイラン系の住民もトルコ語を習得して、
トルコ風の生活文化に親しんでいくようになった
=トルキスタンの名称が使われるようになったのは、
上のような数世紀間のトルコ化へ向かった結果だった
・トルキスタンは、パミール高原というところを境にして、大きく東西に分けられた
→トルキスタンは、西と東で以下のような特徴がある
・西トルキスタン・・イスラーム化以前は、ソグド人を中心として、
ゾロアスター教が信仰されていた
・東トルキスタン・・トルコ系のウイグル人を中心に、マニ教や仏教の信仰が盛んだった
・トルコ人とイスラームとの関係について
・8世紀の初め以降に、アラブのムスリム軍がトルキスタン地方に進出して、
支配しようとするということが起きた
・751年には、タラス河畔の戦いというのが起き、アラブのムスリム軍が
唐の軍隊を倒すということが起きた
→その結果、アラブ人の進出はさらに活発になり、ムスリム商人の活動も活発になっていった
=9世紀ころ、アラル海というところの周辺まで進出していたトルコ人が、
ムスリム商人と出会うことで、トルコ人は初めてイスラームに触れることになった
・その後、イラン系のイスラーム国家であるサーマーン朝というのが西トルキスタンに作られた
→すると、サーマーン朝政権のもとで、トルコ人のイスラームへの改宗が著しく進んでいった
※トルコ人のイスラーム化は、10世紀にトルコ系イスラーム王朝である
カラ=ハン朝という王朝がサーマーン朝を倒し、東トルキスタンと西トルキスタンを
合体させたことで、さらに進んでいった
・イスラーム化したトルコ人は、その後も西方への移住を続けた
※その時にトルコ人は、西アジアの中心部にセルジューク朝やオスマン朝などの王朝を作った
ポイント
・トルコ民族の進出について
・トルキスタンの成立について
・トルコ人とイスラームとの関係について
このあたりが今回のポイントです