トルコの社会について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/10 18:53      
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トルコの社会について考えてみます

 

 

・トルコ民族の進出について

 

 ・オアシス都市を結ぶ東西交易路に沿う地域の住民は、多くはイラン系だった

 

 ・6世紀に突厥が誕生し、モンゴル高原と中央アジアを統合する国家が誕生した

  →すると、トルコ系の要素が加わるようになっていった

 

 ・8世紀ころから、突厥に代わって、ウイグル人がモンゴル高原に進出した

  →ウイグル人は、ソグド商人の協力を得て、豊かな遊牧国家を作っていった

 

 ・9世紀に、ウイグル人の国家が、同じトルコ系遊牧民の攻撃を受けて滅び、

  住民が四散してしまった

  →その後、ウイグル人の一部は南下して唐の領域内に移住した

  →また、他の一部は西に向かって天山山脈の東に着いた

   ※ウイグル人の西方への移住は、はやい段階から天山山脈西方に進出していた

    別のトルコ人集団を圧迫した

    =そのため、トルコ人集団をさらに西方に向かわせるきっかけになった

 

 

 

 

 

・トルキスタンの成立について

 

 ※トルキスタンとは・・ペルシア語で「トルコ人の地域」という意味のこと

 

 ・ウイグル人の国家が崩壊した後、トルコ系の遊牧民は天山山脈の南側や

  中央アジアのオアシス都市へ移住した

  ※移住した人たちの多くが、定住生活に入っていった

 

 ・定住生活の人数が増えると、オアシスに住むイラン系の住民もトルコ語を習得して、

  トルコ風の生活文化に親しんでいくようになった

  =トルキスタンの名称が使われるようになったのは、

   上のような数世紀間のトルコ化へ向かった結果だった

 

 ・トルキスタンは、パミール高原というところを境にして、大きく東西に分けられた

  →トルキスタンは、西と東で以下のような特徴がある

   ・西トルキスタン・・イスラーム化以前は、ソグド人を中心として、

             ゾロアスター教が信仰されていた

   ・東トルキスタン・・トルコ系のウイグル人を中心に、マニ教や仏教の信仰が盛んだった

 

 

 

 

 

・トルコ人とイスラームとの関係について

 

 ・8世紀の初め以降に、アラブのムスリム軍がトルキスタン地方に進出して、

  支配しようとするということが起きた

  

 ・751年には、タラス河畔の戦いというのが起き、アラブのムスリム軍が

  唐の軍隊を倒すということが起きた

  →その結果、アラブ人の進出はさらに活発になり、ムスリム商人の活動も活発になっていった

 

  =9世紀ころ、アラル海というところの周辺まで進出していたトルコ人が、

   ムスリム商人と出会うことで、トルコ人は初めてイスラームに触れることになった

 

 ・その後、イラン系のイスラーム国家であるサーマーン朝というのが西トルキスタンに作られた

  →すると、サーマーン朝政権のもとで、トルコ人のイスラームへの改宗が著しく進んでいった

   ※トルコ人のイスラーム化は、10世紀にトルコ系イスラーム王朝である

    カラ=ハン朝という王朝がサーマーン朝を倒し、東トルキスタンと西トルキスタンを

    合体させたことで、さらに進んでいった

 

 ・イスラーム化したトルコ人は、その後も西方への移住を続けた

  ※その時にトルコ人は、西アジアの中心部にセルジューク朝やオスマン朝などの王朝を作った

 

 

ポイント

・トルコ民族の進出について

・トルキスタンの成立について

・トルコ人とイスラームとの関係について

 

このあたりが今回のポイントです

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