日本財政の類型化―2、開発主義国家型財政(2-3財政投融資)
2-3 財政投融資
ここまで、開発主義という観点から公共事業、減税政策についてみてきました。開発主義を考える上では、この2つと密接な関係がある財政投融資も非常に重要な論点です。
財政投融資(財投)とは、郵便貯金や簡易保険などの国民の貯蓄を活用して政府が行う投融資活動のことです。1955年から74年にかけての郵貯残高が36倍の伸びを示したことからわかるように、減税政策によって還付された資金の多くは貯蓄に向けられました。この貯蓄を財源として行われたのが財投です。特別会計の財投は、厳密に言えば一般会計の公共事業関係費とは区別されなければなりません。しかしその内訳をみると、住宅建設、道路・港湾・橋梁の整備、生活環境の整備など、実質的には公共事業といえるものが多いのが実態です。つまり、減税政策によって還付された資金が貯蓄に向けられ、その貯蓄が公共事業の財源となっていたのです。
図2-2が示すように、この財投が1970年代に入ると急激に増大します。その背景としては、国内的には「いざなぎ景気」も終わり、高度成長から安定成長へと移行しつつあったこと、国外的にはニクソンショックや石油ショックなどの経済危機が挙げられます。こうした景気低迷への打開策として財政の拡張が求められ、財投が増大していきました。
では、なぜ公共事業関係の予算を一般会計ではなく特別会計の財投に回したのでしょうか。それは「財投は一般会計予算の抑制を可能にする不可欠の装置(注;井手、下記参考文献、144頁)」だったからです。1965年を境に公債不発行主義からの転換を図ったとはいえ、政府は安易な公債依存に対する問題意識もあったため、できるだけ公債には頼りたくなかったのです。そこで機能するのが財投です。高度成長期に毎年のように所得税減税が実行される中で、この減税財源を公債に求める厳しい財政状況では、公共事業関係の予算を財投に回す「財投回し」は合理的でした(井手、下記参考文献、144頁)。
最後に、開発主義国家型財政についてまとめておきましょう。キーワードとしては①公共事業②減税政策③財政投融資の3つです。公共事業は地方や低所得者層への分配、企業の競争力強化と収益増大という役割を果たし、それが更なる成長と分配を促しました。そしてその経済成長は税収の自然増をもたらし、これを減税に充当しました。この減税分は大方貯蓄に回されました。減税分を貯蓄に回す背景としては、政府の政策として貯蓄を奨励する様々な優遇があったことは指摘済みです。また、日本の場合、子どもの教育資金や老後の備え、住宅費などは自分で市場から購入するかたちとなっています。つまり、行政サービスが不十分なため、貯蓄せざるをえなかったという事情がある。この不十分な行政サービスについては改めて検討することにします。
さらに、こうした貯蓄が資本形成の役割も担いました。民間金融機関への預金は企業の設備投資に用いられ、郵便貯金の政策優遇金利は財投の財源、つまり公共事業の財源となりました。このように、高度成長期の財政運営は政府を主導とした一連のメカニズムを形成しており、まさに開発主義と呼ぶべき長期的・系統的な国家介入でした。
参考文献
・井手英策『財政赤字の淵源―寛容な社会の条件を考える』有斐閣、2012年、144頁