日本と北欧諸国の社会モデルの比較―1-3 雇用と社会保障の結合
1-3 雇用と社会保障の結合
では、社会的支出を大きくしながら、経済成長も実現している要因は何でしょうか。それを考える上で重要なのは、雇用に関わる政策です。結論から言えば、手厚い失業給付、労働市場の流動化、積極的労働市場政策の3つがうまくかみ合うことで高い成長率を実現していると言えます。まずは失業給付についてみてみましょう。スウェーデンでは失業者に対して、失業前所得の80%程度が失業給付として支給され、給付期間は約14か月となっています(注;神野、下記参考文献、167頁)。デンマークでは給与所得者への給付額が失業前所得の約90%、給付期間は最大で4年です(注;なお、鈴木優美によれば、リーマン・ショックの影響で失業給付は減額措置の対象とされ、2011年から給付期間は最大2年とされました)。フィンランドとノルウェーについては2005年と少し古い資料となりますが、日本銀行調査統計局(注;下記参考資料、URL)によれば、フィンランドは基本手当(平均賃金の18%)と前職賃金の45%、給付期間は23か月(500日分)となっています。ノルウェーは前職賃金の62%、給付期間は2年間となっています。他方の日本は、前職賃金の50~80%、給付期間は通常6か月程度で、最大でも約1年です。こうしてみると、北欧諸国の失業給付の手厚さがよくわかります。
もう一点指摘しておきたいのは、日本の場合、給付額、給付期間が北欧諸国に劣ることに加え、そもそも失業給付を受給している人の割合が失業者の約2割しかいないという点である(注;後藤、下記参考文献、142-143頁)。北欧諸国の失業者の捕捉率については適切なデータが見つからなかったので比較はできませんが、日本においては失業給付の給付額や給付期間以前の問題があるということも重要である。
次に労働市場の流動化について見てみましょう。これについては日本と北欧諸国の雇用保障のあり方の違いから見ていくことにします。日本の雇用保障の特徴としては、護送船団方式で守られた大企業の長期的雇用慣行、土建業界を支える公共事業、中小零細企業の保護政策など、所管官庁が間接的に企業や業界を守ることで実現したという点があります(注;宮本、下記参考文献、42頁)。また、このような雇用保障の対象となる男性の賃金は、妻や子どもの扶養コストも含めた「家族賃金」として支払われたため、保育や介護においては家庭で提供することが期待されました。それゆえ、こちらでも指摘したように、現役世代に対する社会的支出は抑制され、その一方で会社に頼れなくなり、家族の力も弱まる高齢者世代に社会的支出が集中したのです。このように日本の雇用保障のあり方は、長期的雇用慣行という言葉が表すように、定年まで一つの会社で勤めあげることが一種の社会標準となっていたこと、そして政府としても企業や業界を守ることでそれを支援するという間接的な雇用保障でした。言い方を変えると、できる限り「失業者を出さない」雇用保障と言えます。この意味で日本の労働市場の流動性は低いと言えます。
一方の北欧諸国における雇用保障のあり方は、日本とは真逆の関係にあります。つまり、日本のように企業や業界を守ることで間接的に雇用を保障するのではなく、労働者個人を直接支援することによって雇用を保障しているのです。先ほどの日本のできる限り「失業者を出さない」雇用保障との対で言えば、北欧諸国の場合は、「失業者を出してもすぐに労働市場に戻す」というかたちで雇用保障を図っています。また、北欧の政府は個人を支援する代わりに、傾きかけの企業をほとんど救済しないのです。この企業と政府の関係については後述するとして、労働者個人を直接支援するという点で重要となるのが積極的労働市場政策です。積極的労働市場政策とは、職業訓練や職業紹介など、人々を積極的に就労させていくための政策であり、アクティベーションとも呼ばれます。再度表4-1を見ると、日本の積極的労働市場政策に対する支出が0.4%なのに対し、北欧諸国のそれは日本より高い数値を示していることがわかります。この積極的労働市場政策には、旧来の衰退産業から知識産業などの新しく成長する産業へと労働者を移動させるという明確な目的があります。旧来の産業から新しい産業へと労働者を移動させるということは、雇用の弾力性が高いということです。別の言い方をすれば、解雇が比較的容易であるということです。したがって、北欧諸国の労働市場は流動性が高いと言えます。失業しやすい環境だからこそ、失業の際の生活で困らないように手厚い失業給付があるのです。
このような労働移動を図るために、雇用の弾力性を高めるという政策を代表するのが、デンマークのフレキシキュリティ政策です。フレキシキュリティとは、フレキシビリティ(柔軟性)とセキュリティ(安全性)を合わせた造語です。つまり、労働市場の流動性(フレキシビリティ)を高めながら、生活の安全保障(セキュリティ)も強化するという政策です(注;神野、下記参考文献、165-166頁)。生活の安全保障としては前述のような手厚い失業給付があり、それに加えてアクティベーション、つまり再教育や再訓練という積極的労働市場政策によって新しい就業も保障します。要は雇用と社会保障がしっかりかみ合っているのです。このように見ると、北欧諸国の雇用保障のあり方が「労働者個人」を直接支援するということがよくわかるでしょう。
先にも少し触れたが、企業と政府の関係について見ると更にわかりやすい。ここではスウェーデンの重要産業の一つである自動車産業の代表的な存在であったボルボとサーブ、フィンランドのノキアの事例を見ることにします。
ボルボグループは2006年頃より業績不振に陥り、08年6月と10月に合わせて5000人近い雇用者の削減を発表しました。このリストラ規模は全従業員の1割強に値します。労使の話し合いの結果、最終的な解雇人数は約3400名となりました。ボルボの不振は下請けにも多大な影響を与えたため、産業相は自動車技術開発予算と高速自動車建設予算を前倒し執行することを約束し、職業安定局に特別予算を配分しました。しかし、それ以上のボルボへの公的支援については拒否しました。他方で12月には雇用安定化プランを発表し、リストラ対象の人に対して職業斡旋、職業訓練の場の提供を拡大しました。
サーブも08年より業績不振に陥っていました。サーブの社長は政府が支援策を講じるべきと主張しましたが、産業相はボルボ同様、「自動車開発予算補助など以上には特定企業を支援することはできない、ただし西スウェーデンに新たな産業クラスターをつくり、サーブの従業員の技術を生かす(注;翁ほか、下記参考文献、110頁)」と明言しました。
更にフィンランドのノキアについてもみてみましょう。ノキアは携帯電話端末などで知られる電気通信機器メーカーで、ピーク時にはフィンランドのGDPの20%を超える売上高を誇り、同国経済を支え続けてきた企業です。そんなノキアでも同国では「ノキアを救済せよ」という声はほとんど聞かれないといいます。駐日フィンランド大使館のユッカ・パヤリネン1等書記官は「『わが国では競争力を失った企業への支援は行いません。税金はこれから伸びる企業のために使います』(注;WEDGE、下記参考文献、53頁)」と発言しています。これらの事例からわかるように、北欧諸国は衰退する企業をほとんど救済しません。他方の日本では、JALやエルピーダに対する公的資金注入の事例を見ればわかるように、衰退する企業を救済する傾向があります。このように、企業と政府の関係においても、日本と北欧諸国では大きな違いがあると言えます。
ここまでをまとめると、北欧諸国の特徴として①社会的支出が大きい②社会的支出のうち、現役世代向け支出が4割以上③社会的支出は大きいが財政収支は均衡し、高いGDP成長率を実現している④それを実現している要因として、積極的な雇用政策が挙げられ、その中身を見てみると、企業支援ではなく労働者の直接支援(現役世代への支援)を徹底しているという4点に要約できます。これに沿って日本の特徴を見ると、①社会的支出は北欧諸国に比べて小さく、②社会的支出のうち、現役世代向け支出は2割程度③社会的支出は小さいが財政収支は赤字で、名目GDP成長率はマイナス成長④雇用保障のあり方は企業や業界を通じた間接的なものでした。こうしてみると、日本と北欧諸国の歳出構造が大きく異なることがわかるでしょう。
参考文献、資料
・翁百合、西沢和彦、山田久、湯元健治『北欧モデル』日本経済新聞出版社、2012年
・ケンジ・ステファン・スズキ『消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし』角川SSコミュニケーションズ、2010年
・後藤道夫『ワーキングプア原論』花伝社、2011年
・神野直彦『「分かち合い」の経済学』岩波書店、2010年
・鈴木優美『デンマークの光と影』リベルタ出版、2010年
・不振ノキアも放置 企業倒産が当たり前の北欧」『WEDGE』2013年5月、53頁
・日本銀行調査統計局『北欧にみる成長補完型セーフティネット―労働市場の柔軟性を高める社会保障政策―』2010年7月、図表14参照。
http://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2010/data/ron1007a.pdf(閲覧日:2013年10月11日)
・宮本太郎『生活保障』岩波書店、2009年